こんなに違う、「テキヤ」と「ヤクザ」

前回、筆者の経験則から「テキヤとヤクザは別物であると自信を持って言えるのである・・・ただ、そうはいっても、テキヤがヤクザと没交渉なわけではない」と言及したところで筆を擱いた。記事をお読み頂いた読者の諸兄は、消化不良の感を持たれたのではないだろうか。

(前回)「テキヤ」は「ヤクザ」として扱うべき存在か http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55394

 本稿では、その消化不良を解消すべく、テキヤとヤクザの交わる部分について、テキヤ経験者としての私見を述べてみたい。

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警察も黙認しているテキヤ稼業

 テキヤはヤクザか――結論から言って終わっては身もフタもないが、溝口敦氏の『暴力団』(新潮新書)によると、その点につき、以下のように書かれている。

「人気の映画『男はつらいよ』の寅さんこと、車寅次郎は暴力団の組員なのでしょうか。テキ屋が彼の稼業ですから、今の法律では確かに暴力団に分類されます・・・まじめに街商をやっている人たちを、一律に暴力団とみなして祭礼の境内などから追い払えば、お祭りだって楽しくなくなってしまう、という声はとても多く、地域によっては警察も見て見ぬ振りをしているのです」と。

 この意見は、筆者も体感的に納得するところである。実際、縁日の雑踏を、これでもかという威圧的な人数で、警察官がパトロールしていたが、こちらから挨拶をしても、返事を返されたためしがない。

 ただ、溝口氏は関東在住だから、テキヤ系指定暴力団の極東会に目が慣れているのでヤクザ色が強く感じられるのかもしれない。しかし、西日本のテキヤは、関東よりも商売熱心な気がするし、指定暴力団ではないから、当局の目も関東に比べると緩やかであるようだ。

 こうした傾向を象徴する出来事が、新年28日に朝日新聞の記事になった。代々木公園の平日(ヒラビ=常設屋台)摘発である。この出来事は、暴排における当局の本気度と、異例とはいえ、テキヤの肩身の狭さを象徴する出来事であった。

 朝日新聞のデジタル版によると「代々木公園(東京都渋谷区)の占用許可を都から得ている常設の屋台を警視庁が調べところ、全7店舗の出店者計7人について指定暴力団極東会系の関係者と分かったとして、同庁は28日、東京都に連絡した。都は出店者に聞き取りし、占用許可の取り消しを検討する。7店舗のうち3店舗は現在営業していない。都によると、都立公園で営業中の屋台に関し、暴力団の関与を理由とした占用許可の取り消しは極めて異例だ」とされる。

 同様の取り締まり強化が、他所の地域に飛び火しないことを祈るばかりである。テキヤへの締め付けは、誰にとっても益がない。たとえば、筆者の生活する福岡市では、九州の夜の街を代表する中洲のイベント「中洲まつり」がある。このイベントも、数年前からテキヤの屋台が姿を消し、素人の飲食ワゴンなるものが台頭した。結果、祭の殷賑が半減し、博多っ子も「今日は何がありよっと? あ、中洲まつりね」という具合である。

縁日のルールの根底には親分の顔がある

 日本の原風景を継承してきた縁日の仕掛け人「テキヤ稼業」の陰には、その祭りを支える親分と、若い衆の並々ならぬ苦労がある。露店で食中毒を出さないため、調理プロセスや衛生管理に目を光らせるのは、親分の務めである。縁日の後の掃除――参道に輪ゴムの一本落ちていないように境内を掃き清めるのも庭場を仕切る一家の責任である。

 テキヤの商売には、それなりのルールがある。そのルールの管理人は、庭場の親分である。親分の顔にかけて、庭場の若い衆も身体を張ってその秩序を保つし、旅人も在所の親分の顔に泥を塗るようなことはしないよう、自前の若い衆を戒めるのである。

 たとえば、フライドポテトとして割られた場所で商売を始めたとしよう。この稼業人は考えるかもしれない。「折角フライヤーがあるのだから、アメリカンドッグもできるし、唐揚げもできる。よっしゃ、一石三鳥やで」と。そうすると、近隣のアメリカンドッグ屋や、唐揚げ屋から苦情が出る。しかし、直接、文句を言うと喧嘩になる恐れもあるし、そうなったら、庭場の世話人に迷惑を掛けるから、とりあえず本部事務所にケツを持ち込む。

唐揚げとプライドポテト。親分の目が光っているので、商品を勝手に変えたりすることはできない(写真はイメージです)

 すると、親分は、若い衆にナシ(話)をつけて来いと命令する。早速、若い衆が一石三鳥の店主を諭して、フライドポテトに専念してもらうという寸法である。日本人でないとこうした道理が分からない。だから、外国人の経営する露店が、縁日では見掛けられないのである。

お巡りさんがテイタ割り?

 しかし、こうした庭場も、近年は減少の傾向がある。なぜなら、テキヤの規制が厳しくなり、跡を継ぐ若い者が減ったりして、親分不在の庭場が出てきたからである。そうなると、庭場の番人をするのは、われらが公務員であるお巡りさんにお鉢がまわってくる。

 お巡りさんもナカナカやるもので、ちゃんとテイタを割ってくれる。この警察によるテイタ割りのことを、業界では「ヒネ割り(ヒネとは警察を指す隠語)」と呼ぶ。しかし、テイタを割ったあとの保守点検までは手が回らない。だから、もし、先述した一石三鳥の店主のような業腹な人間が出てきたとしても、そのケツを所轄署に持ち込んだところでどうにもならない。食中毒が出たといって、警察署長が謝罪するなという図は想像できない。これでは、やった者勝ちである。

 ヤクザは一般人からクレームを付けられることはないが、テキヤにとって、お客さんからのクレームは、組の看板、ひいては親分の顔に泥を塗ることになる。筆者が居候していたテキヤでも、かつて食中毒が出た時は、幹部が土下座もので謝罪したと聞いた。もっとも、お客さんがテキヤの事務所に怒鳴り込むというのではなく、クレーム自体は、神社の社務所に上がるのであるが。

 そのほかにも、目に見えない、いわゆるテキヤのサブカルチャーともいうべき、掟の下に彼らの稼業は成り立っている。

テキヤの不文のならわし

 テキヤは業態が移動であり、様々な人間が入ってくる。筆者が居たテキヤにも、ガテン系元公務員や農村の力自慢の若い衆が居た。しかし、稀に在所を追われたヤクザも来る(筆者がテキヤの世話になった時は、一般の求人誌に掲載されていた)。応募者がヤクザの場合は「どこそこの何某が、当方の世話になりたいと来ているが、そちらのお身内だった方ではないか」などと、電話で身元確認を行う。黒字破門か除籍程度で、かつ先方の親分さんが、「何某は、いまは当家とは関係の無い者です。在所の誰それ親分さんにはご面倒掛けますが、よろしゅう・・・」などと言ってくれたら、身柄を引き受けるが、ヤクザとして重大なマチガイをやらかして、赤字破門や絶縁と判明した場合は、テキヤでも引き受けない。

 歴史的にみても、玉石混交の組織であればこそ、仲間の緊密性が不可欠となる。移動はしても本拠地を持たねばならない。それを持たない若い衆は、親分を持つことで、テキヤ=露天商の資格を得ることができる。こうして親分・子分の関係が成り立ち、一家なるものが形成される。これは、稼業上の疑似家族制度の構築である。この家名を名乗ることで、旅から旅のテキヤも、営業のための場を渡り歩くことができるし、行く先々で土地の親分に便宜をはかってもらえる。そして、かれらは緊密な仲間を指していう――おれの「ダチ」と。古来より、彼らの口伝による決まりごとはシンプルだ。バヒハルナ(売上金を横領するな)、タレコムナ(仲間内のことを警察に訴えて出るな)、バシタトルナ(仲間の妻女を犯すな)である。こうした禁忌を犯せば、一家から破門され、テキヤ渡世はできなくなる(参考:添田知道『テキヤ(香具師)の生活』)。

テキヤとヤクザとの関係

 花見の席のこと。その名所は、神社がちょっとした丘の上にあり、坂道がまっすぐに伸びている。もちろん、その両脇にはテキヤの三寸が、肩を寄せ合うように並んでおり、威勢のいいタンカが飛び交う。

 そのような中、スーツを着た男性が「ご商売中にすいません。私はどこそこ一家の者ですが、親分が花見にお邪魔させていただきます。よろしくお願いいたします。これは些少ですが、お飲み物でも」と言って、ピン札の諭吉が入った封筒を手渡していた。まあ、平坦な参道ではなく、坂道に並ぶ三寸全てに挨拶していたから、春とはいえ汗だくである。ちなみに、親分はというと、通行禁止の立て看板を、ガードマンが(恭しく)外してくれたから、上の花見の席まで車で登って行った。

 こうなるとテキヤは大忙しである。頭(かしら)から指示が飛ぶ「おい、○○一家の親分が来るらしいから、焼き鳥、イカ、タコ、キビを、どんどん焼け。シケネタ(古い素材)なんか使うなよ、マブネタ(新しい素材)使えよ」と。

 若い衆も緊張して、鉄板を磨きだす者、車のアイスボックスに仕舞っていたマブネタを取りに行く者、にわかに慌ただしくなる。花見のバイは、鉄板に桜の花びらが落ちてくるから厄介だ。それでも、着々と調理は進み、鉄板の両脇に、出来立ての献上品が積まれてゆく。

 沢山の料理が出来上がって、さて誰が花見の席にもって挨拶にゆくかという段になって、若い衆はお互いに顔を見合わせてモジモジしている。誰の顔にも「遠慮します」と書いてある。仕方がないので、客として頭の三寸で遊んでいた筆者が手を挙げた。すると、「でも、先生、二人じゃ持てんよ」と頭が言うので、「そこの、坊ちゃんのベビーカーを使わんね」と提案した。5分後、ベビーカーは、パーティープレートを満載したワゴンと変貌した。

 この一件でもわかるように、テキヤの若者は、ヤクザを「ホンマもの」として、敬遠する傾向がある。実際、花見の席で先方の若中頭に挨拶をしていたテキヤの頭も、かなり気を遣って真剣だった。頭もヤクザを指していう「ホンマもの」と。

盃の媒酌はお家芸

 縁組の盃をはじめとする盃事については、テキヤ自身のものと、テキヤが助っ人に呼ばれる場合の解説をする必要がある。前者はテキヤの代目披露や兄弟盃等の儀式である。後者は、テキヤがヤクザに依頼されて媒酌人を務める盃事である。テキヤ自体も、盃事は稼業上欠かすことができないが、ヤクザは尚更である。盛大にやるのが代目披露であり、当代の親分から次の親分候補に代を授受する跡目公式発表の式である。テキヤの場合は、正面にしつらえた祭壇の中央に神農黄帝、その左右に天照皇大神、今上天皇の軸が掲げられる。しかし、ヤクザの場合は、右側から八幡大菩薩、天照皇大神、春日大明神が掲げられる。

 こうした神事は、古式に則って行われるが、格式張っているから作法通りにできる人間が、そこらには居ない。そこで、テキヤの出番である。テキヤは寺社仏閣に馴染みがあり、そうした修行が行き届いているから、ヤクザの盃事があると、媒酌人として白羽の矢が立てられる。もちろん、寺社仏閣を庭場とし、テキヤ社会の社交性の上に立って、諸披露の式を行ってきたテキヤからしたらお家芸であるし、先に紹介したエピソードのように、大なり小なり関係する相手ということもあり、作法に長けた幹部が、若い助手を連れて媒酌人の任を果たす。東京では、浅草の雷門を本拠地とする丁字屋会が有名で、吉田五郎会長は「平成の名媒酌人」と呼ばれ、六代目山口組、五代目稲川会、六代目松葉会、四代目道仁会など大組織の媒酌を行っている。

 いずれにせよ、テキヤとヤクザの関係とは、筆者が知る限り、この記事に紹介した程度である。威勢のいい祭の担い手は古今東西テキヤであった。テキヤは商売をしてナンボの稼業人であるし、雰囲気作りの達人である。シャブの売買や闇金などで違法にシノいでいるわけではない。したがって、筆者はテキヤを暴力団のうちに数えることには納得ができない。日本人の心の深奥に残る縁日を風化させないためにも、当局には「見て見ぬ振り」の姿勢を踏襲して頂きたいものである。