中国人満載の豪華クルーズ客船はどこに消えたのか?

「天海新世紀号よ、さようなら」──2018年初秋、こんな見出しを掲げた記事が中国語のサイトに掲載された。天海新世紀が正式に中国市場から撤退したことを伝える内容だった。

 天海新世紀とは、「中国本土初」と言われた豪華クルーズ船である。英語名は「スカイシー・ゴールデン・エラ」。中国市場向けのクルーズ会社、スカイシークルーズ(天海クルーズ)が運航していた。

 スカイシークルーズは、2014年に、中国の大手旅行会社シートリップと、クルーズ客船運行会社・米ロイヤルカリビアンが共同で設立した会社だ。翌年からクルーズ船の運営に乗り出し、日本や韓国などに向けて延べ300回運航、約50万人にのぼる中国人客にサービスを提供してきた。

 中国の人々にとっては憧れの豪華クルーズ船だったが、運航は2018年秋に終了。スカイシークルーズも営業を停止した。現地メディアは「3年を待たずに運航終了、中国のクルーズ市場の発展に大きな影を落とした」と報じた。

スカイシー・ゴールデン・エラ(天海新世紀)の船体(出所:Wikipedia)

© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 スカイシー・ゴールデン・エラ(天海新世紀)の船体(出所…

中国市場から移動するクルーズ船

 中国の国際クルーズ船市場の歴史は2006年からスタートする。上海を発着港にして中国で初のクルーズツアーを実施したイタリアのクルーズ会社、コスタクルーズが皮切りとなり、2009年にはロイヤルカリビアンが、2014年には米プリンセス・クルーズが進出した。この3社が中心となり、中国~日本~韓国の“ゴールデントライアングル”を周遊する航路を定着させてきた。

 この間、市場は爆発的成長を遂げる。「中国クルーズ船発展報告(2017-2018)」によれば、黎明期である2006年はわずか38万人に過ぎなかった中国のクルーズ客は、2015年には248万人と、10年で6.5倍に成長した。

 だが、2017年をピークに市場は縮小し始める。同年、中国を母港としたクルーズ船の乗客は478万人。2018年は471万人と微減だったものの、クルーズ船の運航の回数は2017年の1098回から2018年には898回と18%も落ち込んだ。

 原因は、国際クルーズ船が発着港を中国以外の港に変更するようになったからである。

 中国~日本~韓国を結ぶルートで運行してきたプリンセス・クルーズの「サファイヤ・プリンセス」号は、現在は欧州や東南アジアを中心としたエリアにシフトしている。中国市場向けに特別に設計、建造された「マジェスティック・プリンセス」号も現在は台湾で運行、今年の夏以降はオーストラリアやオセアニアに航路を変更する計画だ。

 ロイヤルカリビアンの「マリナー・オブ・ザ・シー」号もすでにカリブへ移動した。マリナー・オブ・ザ・シーは上海を発着港とし「中国人の習慣に合わせて短期周遊コースを打ち出した」(NYタイムズ2013年)と言われる。しかし、ここ数年は需要が高まるシンガポールに拠点を移している。

 米国のクルーズ会社、ノルウェージャン・クルーズラインは2017年6月に上海を発着港にして「ノルウェージャン・ジョイ」号の運航を開始した。16.8万トン、3883人乗りのノルウェージャン・ジョイは、船体の絵柄を鳳凰にするなど中国人客向けにカスタマイズされていた。船内の案内板もメニューも中国語がメイン。料理も中国の伝統メニューが中心で、クルーの半数以上が中国語で対応していた。しかし、運航を開始してから「わずか1年で撤退した」(新華社の『経済参考報』)。ホームページを見ると、現在はアラスカ、マイアミ、パナマ運河などを周遊しているようである。

驚きの“激安”ツアー、価格競争が泥沼化

 せっかく中国人向けにカスタマイズしたクルーズ船を、なぜ中国市場から撤退させたのか。

 中国の多くのメディアが指摘するのが、泥沼化した価格競争だ。中国発着のクルーズツアーは、旅行会社が客室を買い取って商品開発を行い、販売している。だが、発着港の数が限られている中国では新たな客層を開拓できず、市場は供給過剰の状態に陥った。ここ数年、旅行会社は投げ売りに近い状態で激安ツアーを販売せざるを得なくなっていた。

 旅行会社が激安ツアーで利益を確保するには、乗客の2次消費が必要だ。つまり、船上での飲食や娯楽などの消費、そして寄港地での免税店ショッピングである。しかし、実際にクルーズ船に乗っているのは高齢者や子連れが多く、期待するほどの2次消費は発生しなかった。

 上海在住の郭夫妻(仮名、60歳代)もそのケースに当てはまる。郭夫妻は2016年12月に上海~博多~済州島をめぐる天海新世紀号のクルーズツアーに参加した。4泊5日の日程だが、1人当たりのツアー料金はわずか2000元(約3万2000円)だったという。

 博多でも済州島でも、添乗員に連れて行かれたのは免税品店でのショッピングだった。しかし夫妻は「ほとんど何も買わなかった」と語る。「船内は高齢者や子連れが多かった」というから、旅行会社も運行会社も大赤字を出していた可能性がある。

不確定要素が大きい東アジアの海

 国際クルーズ船の中国市場からの撤退は収益性だけが理由ではないという見方もある。中国のニュース媒体「観察者網」のコラムニストによると、「船上のマナー問題」も原因だというのだ。

 ノルウェージャン・ジョイ号では、「台風や霧など天候が理由で発着が遅延した際、中国人の乗客300人が抗議する一幕もあった」(同)。トラブルがあるたびに抗議活動を起こす中国の乗客に、クルーズ会社は頭を痛めていたということらしい。2010年代半ばまでは上海を中心とする長江デルタ地帯(=比較的裕福な地帯)からの乗客が中心だったが、その後、中国東北部や内陸部からの集客が増えたことも、乗客の「質」低下の一因とみられる。

 さらに、中国には政治的な「チャイナリスク」がある。

 2016年に韓国政府が米最新鋭ミサイル防衛システム「THAAD」を在韓米軍に配備決定した際は、2017年3月に中国政府が制裁措置として、韓国への団体旅行商品の販売を中止するよう旅行会社に命じた(いわゆる「禁韓令」)。韓国に中国人旅行客が戻る動きもあるようだが、クルーズ船を扱う主要旅行サイトを見ると、韓国を寄港地とした商品はほとんど掲載されていない。

 振り返れば2012年には、尖閣諸島をめぐって中国で反日デモが吹き荒れた。東シナ海や日本海での運航はリスクが大きいとクルーズ会社が判断した可能性も否定できない。

 国際クルーズ船の航路変更は、日本の寄港地にも影響を与えている。2018年の訪日クルーズ旅客数は244.6万人で、前年比3.3%の減少となった。シェア最大の中国発のクルーズ船の旅客数が減少した(前年比7%減)ことが原因とされる。

 中国のクルーズ市場は大きな曲がり角に差し掛かっている。日本ではクルーズ船に活路を見出そうとする自治体が少なくないが、冷静なリスク分析が必要だろう。