「文在寅大統領は徴用工にお金を渡せ!」被害者団体の訴えが韓国社会で黙殺されている

「文在寅大統領! なぜ韓国政府は日韓基本条約のお金を被害者や遺族に渡さないんですか? 答えてください!」

 5月7日、晴天が広がるソウル。韓国大統領が暮らす大統領府(通称・青瓦台)の通用門前では大音量の演説が響き渡っていた。

「被害者の気持ちを韓国政府に伝え続ける必要がある」

 演説を行っていたのは日帝被害者報償連合会・会長のキム・インソン(金仁成)氏だった。同会に登録しているのは約1万人、太平洋戦争における在韓被害者団体としては有力団体の一つだという。キム氏の周りには10名ほどの会員や支援者が取り囲んでいた。道路ではサングラスをかけた警備警察官が鋭い視線をデモ隊に投げかけている。

 道路にはデモ隊が立てかけた〈韓日会談 一般請求権問題〉というパネルが並んでいた。

 演説を終えたキム氏に話を聞いた。

「毎週火曜日、私たちはデモを青瓦台前で行っています。誰かが被害者の気持ちを韓国政府に伝え続ける必要があると考えて、このデモを行っています」

 キム氏自身も父親がインドネシアなどに従軍した旧日本軍・軍属だった。キム氏は多くの太平洋戦争の被害者、遺族と交流しているうちに、韓国政府の責任を痛感するようになったという。

韓国政府は補償資金をインフラ投資等に回した

「日本の外相は日韓基本条約に基づいて韓国政府が払うべきと話しています。だから日本政府には条約の交渉記録を明かして欲しいと文書を送っています。補償金額が明らかになれば、それに基づいて韓国政府は相応の金額を被害者や遺族に渡すべきだと要求することができる。このデモは2018年にスタートして、今回が57回目です。しかし未だに韓国政府からは正式回答がありません」

 日本と韓国政府は1965年、日韓基本条約を結んだ。そのときに協議した日韓請求権協定に基づき、日本政府は無償3億ドル、有償2億ドルの計5億ドル(当時のレートで約1800億円)を韓国政府に提供している。

 条文には〈日韓両国とその国民の財産、権利並びに請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたことを確認する〉とあり、植民地時代の賠償問題はこれで解決したとされた。韓国政府はこの補償資金をインフラ投資等に回し、“漢江の奇跡”と呼ばれる経済発展を遂げたことは周知の事実だ。

韓国政府が補償をケチったことで……

 2000年代初頭、韓国政府は被害者の補償に取り組んだ過去がある。盧武鉉大統領は真相糾明法を制定し、同法に基づいて戦争被害者遺族には2000万ウォン(約200万円)、生存者には月8万ウォン(約8000円)の年金を支払うことを決めた。しかし、その経緯が後にシコリを残すことになるのだ。

「当時、太平洋戦争犠牲者遺族会は戦死者遺族に対しては5000万ウォン(約500万円)を補償するという案を政府に提出していた。この遺族会案は国会も通過し決定したと思われたのですが、盧武鉉大統領がこれを差し戻した。結局、補償金額は半額以下の2000万ウォンにディスカウントされてしまった。

 日韓基本条約では韓国国家予算・数年分(当時の貨幣価値で)ともいわれる巨費が支払われた。それが時代を経て、補償金からわずかばかりの“お見舞い金”に変貌してしまったことに憤りを感じている遺族が多い。多くの被害者や遺族は韓国政府の補償案に納得していなかったのです」(遺族会関係者)

 前述したように生存者には月8万ウォンの年金が支払われた。しかし、この案は、金額があまりにも安すぎるという批判が強かった。

 こうした感情が徴用工裁判のバックグラウンドとなった。戦争生存者という枠組みには徴用工として日本に駆り出された人々が含まれている。不満を抱える徴用工被害者や遺族の一部が、反日市民団体らと連携した日本企業向けの徴用工裁判へと向かったのだ。つまり韓国政府が補償をケチったことで問題は解決されないどころか、複雑化してしまったのだ。

「韓日関係を悪くするような市民運動家とは違います」

 一方で、韓国政府が補償を疎かにしてきた経緯を当事者として見つめてきた大多数の被害者・遺族は、改めて正当な手続きを踏むことを模索し始めていた。補償問題は、第一次的には韓国政府が対応すべきだ、との声を強く訴えるようになったのである。

「私たちは実被害者として韓国政府に補償を求めています。韓日関係を悪くするような市民運動家とは違います。韓日が背を向けたままで日帝時代の話をして、何の意味があるのでしょうか。問題は何も解決しません」(キム氏)

 日本大使館前で慰安婦問題の支援者らが行う「水曜日デモ」は、日韓メディアの間で有名になった。しかし、被害当事者による「火曜日デモ」の存在は知られていない。キム氏は苦笑いを浮かべながらこう語った。

「私たちを取材に来たのは、日本人記者のあなたが始めてです。韓国メディアの記者たちには、見て見ぬふりをされており、彼らが取材に来ることはありませんでした。太平洋戦争の被害者や遺族はみな高齢で、地方在住者も多い。彼らの声は消されつつあるのです……」

「日本企業相手に裁判を起こす動きを止めさせるべきだ」

 実際に韓国政府相手に訴訟を起こした被害者団体も存在する。

「私が韓国政府に言いたいのは、徴用工問題で日本企業相手に裁判を起こす動きを政府が止めさせるべきだ、ということです。なぜなら韓国政府はその前にやるべきことがある。だから韓国政府を訴えたのです」

 こう語気を強めて語るのは、アジア太平洋戦争犠牲者韓国遺族会のチェ・ヨンサム(崔容相)事務局長だ。同遺族会は多数の戦争被害者や遺族が参加する有力団体の一つである。

 同遺族会は、昨年12月20日、徴用工被害者と遺族1103人を原告として、韓国政府を相手取り1人あたり1億ウォン(約1000万円)の補償金を求める訴訟をソウル中央地裁に起こしたのだ。韓国政府を相手に複数の裁判が起こされており、軍人・軍属等の広義の意味での徴用者を含めた原告の累計は1386人にも上り、その数はさらに増え続けているという。日本製鉄や三菱重工業相手の徴用工裁判と比較すると、裁判に参加した被害者数は比較にならないほど大きい。

「韓国政府は、日韓条約に基づいて日本からお金を受け取っています。韓国政府はその受け取った資金を(戦争)被害者に渡さなかった過去がある。だから私たちは、日本から韓国政府が貰ったお金が被害者に渡っていないという状況を“正す”ことが必要だと思いました」(チェ事務局長)

企業相手の訴訟は根拠が薄いケースも多い

 チェ氏らは当初は日本企業相手の訴訟も行っていた。その点について問うと、こう語った。

「やはり正しい裁判は韓国政府相手のものになると考えています。だから私たちは『今後、日本企業相手の訴訟はやらない』と宣言し、これまで提起した訴訟も順次取り下げていく予定です。企業相手の訴訟は根拠が薄いケースも多く、実態が掴みづらいというのもその一因です」

 韓国では日韓基本条約の交渉記録の資料が公開(※日本では非公開)されている。その記録によると、日本側が被害者補償について提案したところ、韓国政府側から「自国民の問題だから韓国政府で行う」と反論したことが明示されている。キム・インソン氏もチェ・ヨンサム氏も、こうした歴史的経緯を検証したうえで、補償の責任は韓国政府にあると考えているのだ。

 徴用工問題において最大の障壁となっているのが、韓国政府が盧武鉉時代の補償対応をもって、韓国政府の責任は終わりであるというスタンスをとり続けていることにある。

 いま行われている徴用工判決に対する対応にも、それは如実に現れた。

「韓国政府は判決に関して『司法を尊重する』と公式にアナウンスしていますが、実は内々で徴用工判決問題への対策を協議していました。しかし、徴用工問題は全体で10万人規模にも及ぶ大規模な問題であり、韓国政府が対応を始めたら補償費が莫大になってしまうという結論に至った。それで韓国政府は徴用工問題を放置するという方針を決めたといわれています」(韓国メディア記者)

 国交正常化後、最悪とも評される日韓関係の悪化を引き起こした徴用工裁判、その正体とは何なのか。

 本連載では知られざるその歴史と、実態について明らかにしていきたい。