外国人に大人気 徳島の“かかし村”は、なぜ「世界の秘境」になったのか

「こんにちは」。元気のいい女の子の声がした。

 マレーシアから旅行に来たピャー・ケンジーさん(39)の一家4人だった。小学4年生のシーリンちゃんが、ひょいと「かかし工房」に顔をのぞかせたのだ。元保育園を利用したかかし作りの拠点だ。

「入って下さい。かかしがいっぱいあるよ」。綾野月美さん(69)が手招きする。

「うわーっ、すごい」。シーリンちゃんと、妹の小学1年生、ジーリンちゃんは目をキラキラさせて写真を撮る。

「顔、作ってみる?」。綾野さんが針と糸を差し出すと、2人は交代で縫い始めた。

© 文春オンライン かかしの顔を作るピャーさん一家。マレーシアから訪れた

「綿などを柔らかい布で包んで顔にします。つまんで縫ったら鼻になる。体は新聞紙を丸めた棒をまとめて縛るんです。80本ぐらい使うかな。最後に本物の人間の服を着せて、出来上がり」。綾野さんが作り方を説明する。

 母のロック・ムーンチンさんも手伝うと、どことなく姉妹に似た鼻が浮かび上がった。

「マレーシアでは多くの人が知っています」

 徳島県三好市の祖谷(いや)は、四国山地の奥深くに抱かれて、「秘境」と言われる。中でも最奥の集落、名頃(なごろ)は秘境中の秘境だ。標高約900メートル。そこから先に集落はない。

 若者は出て行ってしまい、19軒に27人しか住んでいない。最年少は40代。最高齢は綾野さんの父(89)だ。65歳以上が半数以上を占める地区は「限界集落」と呼ばれるが、その典型と言っていい。

 この名頃集落には最近、世界中から観光客が訪れるようになった。

 ピャーさん夫妻も「一度来たかったんです。マレーシアでは多くの人が名頃のことを知っています。私達が行くと知って、皆うらやましがりました。今後はもっと人が来ると思いますよ」と話す。

 語弊を恐れずに言えば、日本人には打ち捨てられた辺境の集落だ。そこになぜ世界から人が訪れるのか――。

 名頃は、三好市の中心部から約60キロメートルも離れている。

 車で向かうには、国道32号線を吉野川に沿って上る。「大股で歩いても小股で歩いても危険だ」という大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)の峡谷から脇道へ入り、くねくねと急坂を登る。山を一つ越えた先には「かずら橋」がある。長さ45メートル、高さ14メートル。昔ながらのかずらで編んだ橋である。

 そこから、さらに谷を分け入って進む。軽自動車も行き交えないような道もある。

 そうして30キロメートルほど山道をたどると、こぢんまりとした集落がある。

集落にはこれといった産業がなかった

 綾野さんは名頃で生まれた。

「かつては300人も住んでいました。名頃ダムが建設された時には工事の人が住んでいたからです。銭湯やパチンコ店までありました」

 だが、工事が終わると集落は活力を失った。山仕事以外に、これと言った産業がなかったからだ。

 綾野さんの父も大阪に出た。このため綾野さんは中学校1年生の時に故郷を離れた。

 それからは大阪で暮らし、結婚して居を構えた。「新大阪駅に近いビルの谷間のようなところでした」と綾野さんは語る。

 名頃に帰郷したのは18年前だ。

 先に戻った父が独り暮らしになっていた。老化で衰えた夫の父の療養にも適していると考えた。

 かかしを作り始めたのは、それから2年ほどしてからだ。「畑に豆を植えたのに、芽が出ませんでした。鳥に食べられたのかなと思って、かかしを置きました。父に似せて等身大にし、作業着も父のを着せました」。人形作りは、大阪にいたころからの趣味だった。

「こんな人がいたら面白いな」と思うかかしを

 すると近所の人が通りかかりに、「おはよう。朝早くから畑に出とるなぁ」と挨拶し、「なんや、かかしやった」と苦笑していくようになった。

 綾野さんは面白がり、シルバーカーに乗ったお婆さんのかかしも作った。今度は「すいません。道をお尋ねしたいのですが」と車を下りて来る人が続出した。

 その後は、「こんな人がいたら面白いな」と思うかかしを作っては、近所に置いていった。

 これが話題になり、テレビや新聞で取り上げられるようになる。

人間にしか見えない「作品」もある

 リヤカーを引いて遊ぶ子。神社にも子供がちょこんと座っている。薪を置く倉庫では、お爺さん達が集まって談笑する。

 人間にしか見えない「作品」もある。集落の入口には、木に登った作業員のかかしを置いたが、ほとんどのドライバーが「工事をしている」と見間違う。

 畑仕事をする女性達、畑の老婆に道から話しかける老婆、休憩する老夫妻、自転車を止めてかかしを見る男性、座って川を眺める老爺……。

 実物をモデルにしたかかしもあり、夏期だけ都市から帰ってくる釣り名人は、孫と一緒に釣り具を持っている。

 綾野さんの隣家の玄関先には、亡くなった老婆に似せたかかしを座らせた。綾野さんに畑仕事を教えてくれるなど、仲良くしていた人だ。数年前に亡くなり、空き家になってしまったが、生前に「私の分身を作っておいてね」と頼まれた。まるで主を失った家を守っているかのように見える。

 2011年度に綾野さんの母校、名頃小学校が廃校になった。最後の児童は5年生2人だった。2人は自分に似せたかかしを作り、当時のままの教室に置いている。実際に勤務した校長や担任のかかしもある。

廃校で行う「かかしの里祭り」

 体育館では、40体ほどのかかしが阿波踊りをしている。廃校後、名頃では毎年10月の第1日曜日に集落を挙げて「かかしの里祭り」を行うようになった。これに合わせ、皆でテーマを決めてかかしを作るのだが、昨年は阿波踊りだった。それを体育館に展示している。

 廃園になった保育園は「かかし工房」になっている。ここで綾野さんがかかしを作っているほか、雪が降らない4~11月は毎月かかし教室を開く。

 こうして作られたかかしは計500体ほどにのぼる。そのうち約270体が名頃のあちこちに置かれている。

アジア、欧州各国のメディアが取材に訪れた

 2014年にドイツ人が訪れ、名頃の集落や綾野さんのドキュメンタリー映像を撮影した。

 折しも日本の秘境に注目する外国人観光客が増えていた頃だ。

 これが呼び水となり、台湾、香港、シンガポール、フランス、インドネシアなどから、テレビやインターネットメディアが取材に訪れた。5月末にはイギリスの著名な司会者、ジェームズ・メイさんが訪れ、その映像がアマゾンの会員制番組で世界中に配信されるのだという。メイさんも自分に似せたかかしを作り、体育館の阿波踊りの中に置いて帰った。

 名頃が世界の秘境になっていった。

リピーターや長期滞在する外国人も

 私が取材した日も、夕方までに40人ほどが訪れたが、その多くは外国人だった。イギリス、オランダ、オーストラリア、カナダなどからの夫妻やグループが、レンタカーで山道をたどって来た。マレーシアからは、ピャーさん一家でなんと2組目だった。「だいたい6割は外国人客」と綾野さんは言う。

「素晴らしい!」。カナダのトロントから訪れた40代の友達グループ4人は目を丸くした。「こんなにいっぱいあるんですね。優しそうで、癒されました。名頃は緑に囲まれていて、美しい花も咲いている。川も流れていて、人々は親切で……。想像していた通りでした」と口々に感動を語る。

 綾野さんが作るかかしには温かみがある。体は丸っこく、顔のほうれい線がくっきりしているので、にこやかに見える。頬が垂れているのがかわいらしい。

 ほとんどの訪問客が柔和な表情になって帰るといい、リピーターも多い。夏期には毎年、近くの民宿に長期滞在して訪れるアメリカ人もいるほどだ。

 かかしは名頃の人々の優しさの分身ではないだろうか。何もない辺境で、面白く暮らそうという知恵でもある。

「かかしと一緒に阿波踊りをしました。楽しかったです。また来たい。ありがとう、ありがとう」。ピャーさん一家は、車が見えなくなるまで手を振っていた。