【加谷 珪一】ソニーとシャープ「驚異の復活」を遂げた二社の意外な共通点 これが日本企業の底力だ

ソニーの業績が絶好調だ。2019年4~6月期の営業利益は過去最高を更新し、着実に利益体質にシフトしている。同社は大規模な赤字を垂れ流すなど経営危機が囁かれた時期もあったが見事に復活を遂げた。同じく倒産寸前まで追い込まれたシャープも、今はほぼ完全復活を果たした状況にある。

両社に共通しているのは、「何の変哲もないフツーの会社になる」勇気を持ったことである。企業は過度に理想を追い求めるべきではなく、商売の基本に徹するのが原則だ。

ソニー平井氏への「間違った期待」

ソニーの2019年4~6月期の決算は、売上高が前年同期比1.4%減の1兆9257億円、営業利益は18.4%増の2309億円と、四半期決算としては3年連続で過去最高を更新した。売上高が減少する中での大幅増益であり、利益重視への転換が順調に進んでいることをうかがわせる。

同社は2011年3月期に2612億円、2012年3月期には4550億円もの巨額赤字を計上し、一時は経営危機も囁かれた。

1999年に同社のCEO(最高経営責任者)に就任した出井伸之氏は、ビジネスモデルのIT化に邁進し、一時は現在のアップルのような業態を模索したものの、結果を出せずに退任。2005年からCEOの座を引き継いだハワード・ストリンガー氏は、エレキ部門の復活とコンテンツ部門の拡大を図ろうとしたが、やはり成果を上げることができず、その間、同社の業績はみるみる悪化した。

巨額赤字計上後、ストリンガー氏の後任として同社復活を託されたのが、前CEOの平井一夫氏だが、就任2年目から1000億円規模の赤字を連続して出す羽目になり、出鼻をくじかれてしまった。

ソニーの平井一夫氏〔PHOTO〕Gettyimages

ソニーは、「ウォークマン」に代表されるような、消費者の心をつかむメガヒット商品を開発し、それを起爆剤にして業績を拡大させるという戦略を得意としてきた。ひとたび大ヒット商品が出れば、開発費を多少、ムダにしたところで、回収するのは簡単である。悪く言ってしまえば、湯水のようにお金を使っても、ヒット商品を出しさえすれば、それでチャラというのが同社の価値観であった。

平井氏にも当初はそのような期待が多く寄せられ、報道陣からは「ソニー復活の起爆剤となる商品は何か」という質問が何度も浴びせられた。平井氏はソニー・ミュージック・エンタテインメント出身で、物腰が柔らかく、いかにもソニーの社長らしい人物だったことも、周囲の期待をより大きくさせた面もあっただろう。

しかし大規模な赤字を連続して垂れ流している同社には、もはや過去と同じ戦略を採用する体力は残っておらず、次世代のウォークマンを開発するという平井氏の戦略はすぐに行き詰まった。表面的には「軽さ」の漂う平井氏だが、同氏の経営者としての力量が花開いたのは、むしろその後だった。

特別なことをしたわけではない

平井氏は、管理部門出身で、当時はソニーコミュニケーションネットワーク(現・ソニーネットワークコミュニケーションズ)の社長を務めていた吉田憲一郎氏(現ソニーCEO)に白羽の矢を立て、2013年に執行役に、2015年には副社長に抜擢した。主要ラインからは外れていたと思われていた吉田氏を引き上げた理由は、吉田氏が数字の鬼だったからである。

平井氏は、VAIOのブランドで知られるパソコン部門のファンド売却、テレビ部門の分社化など、事業のスリム化を進めてきたが、吉田氏の経営参画で、この動きはさらに加速した。

事業の見直しに加えて平井氏は資産の売却も断行している。同社の象徴でもあったニューヨーク・マジソン・アベニューのビルやソニーシティ大崎など、超優良物件をことごとく売却して資金を捻出。平行して徹底した人員整理を行い、最終的には従業員数は2万人近くも減った。

〔PHOTO〕Gettyimages

既存事業についてもムダを排除し、すべてのプロジェクトで利益体質になるよう数字の精査が徹底された。当初はなかなか具体的な数字につながらなかったが、2016年頃から、徐々にその効果が現われ、業績が上向くようになってきた。平井氏は過去最高益の更新を花道に引退。後任のCEOには吉田氏が就任し、現在に至っている。

ソニーは、平井・吉田体制になって何か特別なことをしたわけではない。ソニーほどの知名度があれば、既存のビジネスを精査し、ムダを排除するだけでもかなりの利益を捻出できる。逆に言えば、ブランドに慢心した企業というものが、いかにコストにだらしなくなるのかということの裏返しでもある。

実はこの話は、経営危機をきっかけに台湾・鴻海精密工業の傘下に入り、見事、復活を果たしたシャープにも当てはまる。

トップ交代からわずか半年で黒字転換

シャープはもともと、家電を得意とする消費者向けの電機メーカーだったが、2000年頃から本格的に液晶デバイス事業への転換を図り、液晶関連の生産ラインを大幅に拡大した。ところが、液晶の価格破壊が一気に進んだことから、巨額の設備投資負担に耐え切れなくなり、2012年3月期から連続して巨額赤字を計上。2015年3月期には累積の損失が1兆円近くに達し、同社は経営危機に陥った。

土壇場でシャープを救ったのは、iPhoneの製造請け負いで知られる台湾の鴻海精密工業だった。鴻海は2016年夏に、同社幹部だった戴正呉(たい・せいご)氏をシャープに送り込み、経営再建に乗り出した。

戴氏は利益相反を防ぐため、鴻海の取締役を辞任し、排水の陣でシャープの経営に取り組む姿勢を見せた。同氏の仕事ぶりは迅速そのもので、8月のお盆前休み前に社長に就任するも、休み明けには経営基本方針が発表されるという手際の良さだった。

シャープの業績はみるみる回復し、戴氏の社長就任から半年後の2017年3月期には早くも経常黒字を実現し、1年が経過した2017年4~6月期には最終黒字を達成、わずか1年4カ月で東証1部への復帰に成功した。しかも、この間に社員の給与(ボーナス含む)を17%も増やしている。

まさに100点満点の復活劇だったが、戴氏は何か特別な奇策を繰り出したわけではない。経営者としてやるべきことを淡々とこなしたというのが実態だ。

つまらないプライドを捨てるだけ

戴氏が行ったのは、ずさんだった取引先との契約見直しである。当時のシャープは原材料の確保を優先するあまり、割高な長期契約を締結するケースが多く、これが収益悪化の原因となっていた。過剰な設備投資を実施してしまったことから、途中で引き返すことができず、何としても原材料を確保するため不利な契約を行い、さらに収益が低下するという悪循環だったと考えられる。

戴氏は各取引先と個別に交渉を行い、契約内容を変更することで、あっという間に利益を増やしている。

社長室の椅子に座り、決済に上がってくる書類をチェックするだけでも大きな成果があった。情報システムを更新するにあたって、汎用機(メインフレーム)を使った旧式のシステムに、20年の長期契約で30億円もの金額を払っていたケースもあったという。

戴氏が行った施策は、経営者としてはごく初歩的なものばかりであり、高学歴者も多かったシャープ経営陣が状況を理解できないはずはなかったが、現実にはメチャクチャな経営が行われていた(これは東芝にも通じる話といってよいだろう)。

シャープはもともとアイデア商品を得意とするメーカーであり、そこが同社の魅力でもあり競争力の源泉でもあった。同社が躍進するきっかけとなったのは、早川式繰出鉛筆(いわゆるシャープペンシル)だし、同社の主力商品のひとつとなったプラズマクラスターもユニークな存在だ。

ところが2000年代のシャープは、重厚長大産業に憧れ、採算を度外視して液晶の過剰投資に邁進してしまった。経営陣が創業家からサラリーマン集団にシフトし、財界での序列など、つまらないプライドを優先するようなった可能性が高い。甘い契約もこうした土壌から発生したと見てよいだろう。

ソニーもシャープも、もともと強固なビジネス基盤を持っており、商売の基本に立ち返ることで、容易に業績を回復できた。日本メーカーに求められているのは、こうした地道な努力であり、これこそが本当の「日本の底力」である。