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「日本は26位に転落」一人当たりGDPの減少に見る日本経済の処方箋

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情報法や個人に関する情報の分野で、最近特に個人の「学識・学歴」と「生涯所得」に関する議論が活発になってきていますが、先日元新潟県知事で医師・弁護士の米山隆一さんがTwitterで「日本の一人当たりGDPが26位に転落した」点を踏まえた日本再興の議論を呼びかけているのが話題になっていました。

 この問題で見落としてはならない重要な点は「日本はドルベースの名目GDPが、いまなお世界3位である」ということです。ただし、GDPの成長率が名目も実質も低いので、生活面で劇的な改善が見られず、働いても給料が上がるめどの見えない仕事に就くという閉塞感を日本全体では持ちやすいことが、我が国のイケてない雰囲気を醸し出している部分ではあります。

日本のGDP推移(世界経済のネタ帳)

 では、日本の「一人当たりGDP」はどうなのかというと、自由民主党と公明党による安倍晋三政権が立ち上がって以降もこれといった成長をしていないうえに物価も上がらない状態であって、賃金も改善しないことが理由でずっと横ばいです。それを、中堅国の所得の伸びが日本を上回る形で抜いていったので、日本が順位を落としている、と主張する向きもあります。

 しかしながら、実際には日本の「一人当たりGDP」は勤労世帯で見ればむしろ健闘をしていて、実際に足を引っ張っているのは「付加価値の低い産業の温存」と「低い所得でも楽しく働いている高齢者世帯の急増」であることが分かります。逆に言えば、付加価値の高い金融業やソフトウェア産業の振興を行い、低い所得で働いてしまう高齢者を普通の労働者の賃金にまで引き上げれば、あっという間に日本の一人当たりGDPは改善してしまいます。もちろん「それでいいのか」という議論があるわけですが、まずは一人当たりGDPのランキングに関するカラクリから見てみます。

一人当たりGDP国際ランキング(世界経済のネタ帳)

 この上位を見てみると、そもそも上位がルクセンブルク、スイス、マカオと並んでいます。どれも産業面で金融やソフトウェア、観光に特化した小国であり、アメリカは9位です。

 また、ドイツ18位、フランス21位、イギリス22位、イタリア27位と、EU/欧州諸国は日本とそう大差ありません。そして、成長著しい中国は70位です。

 人口を抱えている国と、儲かる産業に特化した中小国との関係で言えば、その国内にGDPに寄与しない産業を多く抱えざるを得ない人口と国土の大きい国は、必然的に世界的な競争とは無縁の稼げない産業を温存せざるを得ない宿命にあります。かつて日本の一人当たりGDPが2位だった(1988年)のはひとえにバブル経済の最終局面であったことと、日本の人口における労働人口がピークであったこととが大きな背景にあります。逆に言えば、生産性が最も高くバブル経済を引き起こしていたころの日本ですら、一人当たりGDPでは金融産業に特化していたスイスの7割しか稼げていなかったことになります。

 翻って、いまの一人当たりGDP上位はルクセンブルク、スイス、マカオであり、国内では一次産業(農業や酪農)はゼロで、ルクセンブルクはOECD諸国で最下位の割合しか農業や製造業に従事していません。そして、ルクセンブルク自体の人口は60万人ですが、ルクセンブルクに納税している人口はほぼ倍の110万人ほど、これらはほとんどが金融関連事業者です。

 スイス、マカオや、シンガポールも同様で、同じく人口の少ないスウェーデン、デンマーク、ノルウェーといった国は、特徴的な産業政策を取り、また、カタールは産油国であって、産業構造や人口構成から見て日本と「一人当たりGDP」という尺度で並べて競争力を考えるという意味ではあまり適切ではないかもしれません。例えるならば、日本の東京都港区・中央区・千代田区の人口55万人と、これらの地域に本社を構え働きに来る人たちが暮らす地域GDPを人口で割ると、概ね一人当たりGDPは11万ドル(約1,320万円)ほどになり、実に見事に僅差の2位になります。

 このように、国際的な経済力や競争力をランキングで見ることそのものにはさしたる意味は持たないのは確実なのですが、しかし米山隆一さんが指摘するように「とはいえ、この30年間で日本が伸び悩んでいたのは事実であり、他国に比べて失速感が否めない」のは正鵠を射ています。

 あくまで国際比較の経済力で見ると、我が国の経済政策は「脱デフレ」の掛け声のもとに、バブル経済の後遺症を30年かけてなお低迷している現状があります。リコー経済社会研究所の所長をされている神津多可思さんが指摘するように、バブル経済の崩壊からの回復過程で、グローバル経済の進展や、日本の少子高齢化が進んだことなど、複数の日本経済や社会の構造変化が同時期に押し寄せた結果として、90年代から安倍政権までずっと脱デフレ政策・財政出動をしてきたにも関わらず物価も景気もそう簡単には上向かなかったということが言えるのではないかと思います。

「デフレ論」の誤謬 なぜマイルドなデフレから脱却できなかったのか(神津多可思・著 日本経済新聞社)

 もしも日本が経済の構造改革を本気で進める政治決定を行い、産業の転換を促す抜本的な政策を志すならば、農本主義的な地方へのばら撒きや製造業に対する支援はすべて打ち切り、金融とソフトウェアなどの「カネになる産業」「世界で戦える業界」にだけ重点的に予算と人材をつけ、子どもの教育から産業競争力に至るまで一貫した経済政策を実現する必要はあったでしょう。言わば「陽はまた昇る(映画)」の世界であり、新しい時代の殖産興業論のような政策を起案し実現する必要がありました。安倍政権においては、むしろ地方創生、ふるさと納税などの縫合策に徹し、都市部も地方も一体となった日本経済全体をどうにかするという取捨選択をしない政治にシフトした結果、米山さんが憂う「日本が何をして何をしてこなかったか」の議論に直結することになります。

 ただ、そのような政策を実施する過渡期に起きることは、地方経済の猛烈な壊滅であり、地域社会の崩壊であって、地域の産業が維持できない地方はそのすべてにおいて再起不能なほどに衰退・消滅を余儀なくされたことでしょう。消費税は10%に引き上げられ、社会保障改革も道半ばの状態で、合計特殊出生率も低迷したまま2019年の日本人新生児数は90万人を割ってしまいました。日本人はそれぞれに政治改革の必要性は叫ぶ一方で、目の前の生活が当然大事ですから、いま喰えている状態を確保してくれている安倍政権への支持率は安定して高い状態が続いている、というのが現状ではないかと思います。

 国際比較から見て、日本経済が相対的に競争力を失い、魅力のない衰退国家になりつつあるとはいえ、全体のGDPはいまなお世界第3位であり、労働力人口の減衰があってもなお余力は残されています。国際競争力を確保するためにお荷物になっている地方経済や高齢者に対する救済を産業力強化に振り分けるべきなのか、ある程度の衰退は受け入れながらもいまある平等を目指して努力を続けるのかは、消費税増税も実施されたことですし貿易相手国・中国の大規模な景気低迷の波が日本を襲う前に国民的な議論にしていく必要があるのではないかと思わずにはいられません。