対馬から盗んだ仏像を頑として返さない韓国の非常識

住職のいない寺から仏像が相次いで盗まれている。文化庁によると国宝・重要文化財の行方不明は37件、うち盗難は23件だ。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「8年前に韓国の窃盗団に持ち出された長崎県対馬の木造文化財は、いまだに返還されておらず、現地で金ピカに改造される恐れもある。国が文化財の保護に乗り出すべきではないか」という——。

■長崎県対馬の菩薩像を盗み、勝手に金ピカ化をもくろむ「隣国」の常識

仏像、仏具など寺社由来の文化財の盗難が相次いでいる。

背景には地方都市の人口減少に伴う寺院の無住化や、防犯設備の不備などがある。コロナ禍における法事、祭事の中止によって地域の監視の目が届かないことで、今後ますます盗難が増えていく懸念もある。

盗まれた寺宝は古美術商に流されたり、海外のオークションにかけられたりして、二度と戻ってこないケースが多い。寺宝は国民共有の財産である。「まったなし」で国や自治体と寺社が連携して防犯する仕組みを整えなければならない時機にきている。

九州と韓国の中間にある長崎県対馬。

高度成長期の1960年代にはピーク人口の7万人を数えたが、以降減少傾向をたどり、2015年は半減以下の3万1000人。2020年現在では2万8000人前後とみられ、2060年には1万500人前後になると推計されている。

■過疎化と海外からの人の出入りの増加生んだある事件

一方で、東日本大震災以降は韓国からの観光客が急激に伸び、大型ホテルも建設されるなど、観光が島の経済を支えている。過疎化と海外からの人の出入りの増加が、ある事件を生んだ。

2012年10月8日、島にある臨済宗南禅寺派の古刹、観音寺から14世紀に朝鮮半島で制作されたとみられる観音菩薩像(座高約60cm、長崎県指定有形文化財)が、盗まれた。同時に、同島の海神神社の銅造如来立像(国指定重要文化財)や、多久頭魂(たくずだま)神社の大蔵経(県指定有形文化財)も盗難に遭った。犯人は韓国人窃盗団であった。

翌2013年に窃盗団は韓国内で逮捕される。海神神社の銅造如来立像は一部破損した状態で回収され、日本に返還された。多久頭魂神社の大蔵経は犯人によって捨てられたとみられる。

そして、観音寺の観音菩薩像をめぐっては、韓国瑞山市にある浮石寺が「そもそも観音寺の観音菩薩像は14世紀に自寺で造られ、(日本の)倭寇によって奪われたもの」として、所有権を主張しはじめた。現在も韓国の高裁で審理が続いている(同寺が2016年4月に菩薩像を保管している韓国政府を提訴。一審の大田地裁は、韓国政府に対し浮石寺側への引き渡しを命じたが、韓国政府は判決を不服として控訴)。

■しっとりとした銅が金ピカに……“改造”を許せば日韓関係悪化は必至

そして今月になって、不穏な動きがあった。

地元長崎新聞の報道(10月8日)によれば、韓国・浮石寺側が高裁の場で、仏像に金彩を施す意向を示したという。同紙が外務省などへ取材し事態が判明した。現在の観音菩薩像は経年変化によって、文化財らしい、しっとりとした銅の味わいを見せている。それを、真新しい金ピカの像に勝手に改造するというのだ。

同紙が九州国立博物館に取材したところ、金など不変的なものへの信仰があつい中国や朝鮮半島では、仏像に金箔(きんぱく)や金泥(きんでい)を施す仏教儀式が見られる。しかし日本国内の文化財の無許可の現状変更は、文化財保護法や県条例に違反する恐れがある。

外務省や観音寺住職は、韓国側に早期の返還を求め続けており、すでに日韓の外交問題に発展しているが、韓国側が盗難品の改造を許せば、ますます日韓の関係は悪化しそうだ。

■日本の寺院にある古美術を海外窃盗団が狙う背景

海外の窃盗団が日本の寺院を狙う背景には、日本の古美術にたいするブームがある。欧米や中国などの富裕層が、こぞって日本の古美術を買い求めているのだ。

日本で盗まれた仏像類は香港などのオークションを経由し、世界各地へと散逸していく。近年、オークション会社は売却先を明かさないので、落札された仏像類が日本に戻ることは二度とない。九州にある無住寺院 撮影=鵜飼秀徳 九州にある無住寺院 – 撮影=鵜飼秀徳

コロナ禍で外国人の入国が制限される中、海外窃盗団の犯罪は一時的に減っているとみられるが今後、入国制限の緩和が広がっていけば、再び海外窃盗団による事件が多発する可能性がある。来年、東京五輪が開催されれば、いっそう、国内の美術品が海外に流れてしまうことも考えられる。

■ネットオークションサイトで「仏像」と入れて検索すると

仏像の盗難は対馬の事件だけではない。

たとえば和歌山県内では2010年と2018年の二度にわたって、計70もの寺で計230体以上の仏像が大量に盗難に遭っている。いずれも犯人は逮捕されたが、大阪の古美術商などが買い取っていた。大量の仏像の売却など通常はありえないため、古美術商も盗難とわかっていながら、買い取っていたようだ。

また、ネットオークションサイトで「仏像」と入れて検索してみると、大量の仏像がみつかる。多くは土産品、工芸品の類いであるが、中には個人所有にしては不自然なサイズ、時代の古仏、石仏、密教法具などが混じっている。同じ出品者が、複数の仏像を出品している事例も散見される。いずれも盗難品である可能性は捨てきれない。

私は地方都市における無住寺院の調査を続けているが、ある福島県の集落の寺では繰り返し盗難の被害に遭っていた。東北の無住神社 撮影=鵜飼秀徳 東北の無住神社 – 撮影=鵜飼秀徳

■鎌倉時代製造の本尊阿弥陀如来像が100万円で売られていた

A寺では過疎化に伴い、無住化した寺院を14も抱えている(兼務している)。自分の寺以外は特段の用事がない限り、年に一度、様子を見にいけばよいほうだという。

A寺が抱える被兼務寺院では過去に3回、被害に遭っている。そのひとつ、14世紀に開かれた古刹B寺では鎌倉時代製造の本尊阿弥陀如来像が、ある日こつぜんと消えていた。

B寺は30軒の檀家しかなかった。つまり、B寺は檀家の減少によって無住化した典型例であり、通常、寺はムラ人が管理するような体制であった。しかし、そんなムラほど、人々は寺と信仰を大事にする。信仰の対象である本尊が不在の寺は、寺とは言い難い。

檀家の落胆は大きく、致し方なく檀家がそれぞれ拠出し、100万円を集めて、新たに仏像を造ることになった。しかし、新しいピカピカの仏像は、古刹の本尊には不似合いであった。

ところが3年ほどが経過したある日。檀家が地域の古美術商を訪れ、B寺の盗まれた阿弥陀如来像が売られているのを発見した。販売価格は100万円だった。

檀家は古美術商にたいし、盗まれたものだから、戻してもらえないかと説得。しかし古美術商は「うちも仕入れが生じているのだから、タダで譲るわけにはいかない。仏像は知らない人間から買った」と拒否した。この古美術商が盗難品とわかって買っていたのは見え見えであったが、致し方ない。

檀家全員は悔しがったが資金を出し合って、買い戻すことになった。

結局、B寺には新旧2体の本尊ができてしまった。新しい仏像はA寺が50万円を出して引き取ることになった。

■無住寺院・神社の宝物にGPS装置の設置を検討するべき

さらに2000年代には、別の無住寺院C寺で仏像(脇侍)が盗まれた。本尊は大丈夫だった。どうやら本尊は大き過ぎて、運び出せなかったようだ。本件は後日、犯人が逮捕された。

なんと、その窃盗犯はA寺の檀家であった。A寺が無住のC寺を兼務していることを知った檀家が犯行に及んだのだ。

仏像だけではない。

先月には千葉県内の無住の神社で、社殿の銅板の屋根が剝ぎ取られているのが発見された。銅板は高値で取引されるため、犯人は換金目的で犯行に及んだと思われる。盗まれた銅板は約300枚、時価で6万円に及ぶ。千葉県内では今年になって同様の事件が相次いでいるという。

所轄官庁である文化庁は今年に入って「盗難を含む所在不明に関する情報提供について 〜取り戻そう! みんなの文化財」と題するホームページをオープン。追跡調査に乗り出している。

ホームページの開設はそれだけ盗難事例が多いことを示唆するものだ。同サイトによると、国指定の国宝、重要文化財で、社寺所有の行方不明が37件。うち盗難と思われるものが23件と報告している。

多くが地方都市の人口減少、高齢化に伴う地域の監視の甘さの隙をついた犯行である。無住の寺院や神社は、防犯に充てる資金そのものがない。住職や神主が常駐する寺社であっても、多くがセキュリティシステムを導入するほどの余裕資金はないのが実情だ。だから、近年、全国の寺社で賽銭泥棒が相次いでいる。

包括法人である宗門や神社庁も各寺院、神社に防犯システムを提供することは資金的にも制度的にも不可能だ。結局は、地域住民・檀家による監視しか、今のところは選択肢がないのが実情だ。

文化財の保護は国や自治体の責任でもある。しかし、指定文化財以外の貴重な宝物も無数にあり、全てを公的機関が守っていくことは不可能だ。国が喫緊に取り組むべきは、仏像類が盗まれないような社会――つまり人口減少、少子化、地方創成、貧困などの対策だろう。

一方で寺院や神社はどうすべきか。無住寺院・神社の宝物にGPS装置を設置したり、レプリカを据え置くことを検討したりすることも視野に入れるべきかもしれない。各地にはバブル期にできた多くの箱物――美術館や博物館などがあるが、そこに寄託する仕組みなども整えるべきだ。

現状を放置すれば今後、無秩序に大量の文化財が散逸してしまうことになってしまうことだろう。

———-鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『仏教抹殺』(文春新書)など多数。近著に『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)。佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)