「地球の歩き方」を直撃したコロナ禍という誤算 ひとり勝ちから一変

2020年11月16日の午後、筆者のもとに1通のメールが届いた。すでにメディアでも報じられたように、海外旅行ガイドブックシリーズ「地球の歩き方」を刊行するダイヤモンド・ビッグ社が、出版事業・インバウンド事業を学研グループに譲渡するという内容のものだった。

プロフィールのとおり、筆者は同シリーズの中国や極東ロシア方面を担当する制作会社の一員である。メディアによれば、「新型コロナ感染症の世界的流行で、海外旅行関連の事業環境が変化したことが影響」(読売新聞オンライン2020年11月17日)が譲渡の理由だという。

当事者のひとりとして、1964年の海外渡航の自由化以降の日本人の海外旅行のスタイルに深く影響を与えた同シリーズの版元が立ち行かなくなった事態を、市場の全体像や推移をふまえて解説してみたい。

東京五輪で飛躍の年になるはずだった

実は、こういう事態に至るだろうということは、関係者の間でもある程度予測されていた。それだけのどうしようもできない客観的な情勢があったのだ。国際線が前年比99%減という状況では、海外旅行専門出版社が保たないのは無理もない。市場が消滅した航空業界の惨状をみればわかるだろう。

筆者も含めた関係者にとってショックが大きいのは、昨年までの2010年代の日本は、国際観光市場の観点でみれば、バブルの時代を謳歌しており、まさに天国から地獄への急転直下が「地球の歩き方」を直撃したからである。

2019年は、日本人の海外旅行者数が初めて2000万人を超え、過去最高となった。加えてインバウンドも過去最高の約3200万人。つまり、年間で国際線の利用者が5000万人規模となる画期的な年だったのだ。しかも東京五輪が開催されるはずだった2020年は、さらなる大きな飛躍を遂げることを誰もが疑っていなかった。

「地球の歩き方」シリーズは、1979年の「ヨーロッパ編」「アメリカ編」創刊以来、世界各国・地域の100タイトル以上の巻が刊行され、国内では同業他社の追随を許さない存在だった。筆者も、創刊初期の1980年代に、同書を手にして海外へ旅立った世代である。

筆者がこのシリーズの制作に関わったのは2000年代半ばからで、すでに出版不況とインターネットによる海外情報の拡大で、紙メディアの優位性は揺らいでいた。

しかし、比較的長期の海外取材が自由にできる媒体は他になかったことから、ありがたい仕事だった。掲載内容の更新のために、現地に足を運んで地道に歩くという経験は、その国・地域の社会的な変化を定点観測できるという意味で貴重だった。

とりわけ、中国のこの20年間の変化は想像を超えるもので、訪ねるごとに町の景観や社会インフラ、生活サービスのみならず、そこで暮らす人々の意識が刻々と変転していくさまを目撃し、体感することになった。

取材のため、日本よりいち早く普及した中国のスマホ決済や配車アプリ、シェアサイクルも体験した。いまではさすがに下火になったが、街角に乗り捨てられた自転車を、アプリで鍵を開け、好きな場所で乗り捨てるという日本ではありえない中国ならではのサービスは、どれだけ取材や観光に便利だったことか。読者にも利用してもらおうと、「地球の歩き方」のページに写真を載せて解説したものだ。

それに比べ、日本はのんびりしたものだと常に感じていた。むしろ、そののほほんとしたところが、これほど多くのアジアの観光客から愛され、日本へのインバウンドの魅力になったのではないかと思いもする。

これまで「歩き方」が生き残れてきた理由

昨年、初の2000万人超えをしたといっても、日本人の海外旅行者数は1990年代半ばから25年間近くほとんど伸びていない。1600万~1800万人の間を上下するだけで、成長は見られなかった。

近隣アジアの韓国や台湾に比べても、日本国民の出国率は著しく低く、長く内向きの時代を送っていたのが実情である。2010年代には、もはや日本は「海外旅行大国」といえる地位にはなかったのだ。

それでも、「地球の歩き方」が生き残れたのは、同業他社のガイドブックが年々淘汰されていったことで、結果的にひとり勝ちの様相を呈することになったからだ。何より多くの国々をカバーする刊行点数が他を圧倒していて、書店の棚を押さえていた。

その「戦線拡大」があだとなったというのはたやすいが、同社は日本の長期デフレがもたらした「安近短」志向や旅行目的の多様化に合わせた派生シリーズもかなり世に出していた。

筆者も「72時間(2泊3日)で目一杯楽しむためのガイドブック」として、2016年に創刊された「Plat(ぷらっと)」シリーズで、これまで旅行先としては考えもされなかった極東ロシアのウラジオストクを取材することができた。おかげさまでウラジオストク編は好評で、版を重ねた。今年春には、JALやANAも初就航を果たし、多くの日本人が極東の地に旅立ったのである。

それらすべてを今回のコロナ禍は振り出しに戻したのだが、人はいつまでも移動するという衝動を抑えられない生き物だろう。

ウィズコロナ、あるいはポストコロナの時代に、コロナ禍を経験した時代を生き抜いたわれわれは、いかにして新しい旅のかたちを生み出していくのだろうか。

2010年代は観光バブルの時代だったことはすでに述べた。観光が「経済効果」を生むという福音を、政府やメディアが過度に広めたせいだと考えているが、その結果、本来あるべき旅の価値がなおざりにされてきたのではないだろうか。

当事者としてそんな悠長な話をしていて大丈夫なのかと言われるかもしれないが、コロナ禍によって突如にして観光バブルが粉砕されたいま、あらためてこの10年間の何が良くて、何が良くなかったのか、振り返る機会にしたいと考えている。