ロックダウンや外出自粛はコロナの感染抑制に逆効果

医療従事者など最優先の対象者に新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった米国。感染者数1660万人、死者数30万人と、状況の悪化が続く米国にとって、ワクチン接種は暗闇の中の一縷の希望である。

 その一方で、民主党の首長が進めるロックダウン政策によって市民生活は破壊されている。なぜ民主党はロックダウン政策に固執するのか、そしてコスパの悪い封鎖政策が住民の信頼を失い、民主党の内部からも批判されている現状と、リベラルエリートの偽善と詭弁を明らかにする(※過去2回の記事は以下をご参照下さい。1回目、2回目)。

(岩田太郎:在米ジャーナリスト)

 立憲民主党の羽田雄一郎参院議員が12月27日に、新型コロナウイルス感染により53歳の若さで急死した。当初は軽症であったため、コロナ第3波襲来で多忙な保健所や医療機関に負担をかけまいとPCR検査を即座に受けなかった。それが容体の急変という手遅れの事態を招いた。

 元朝日新聞記者でジャーナリストの高橋浩祐氏は、羽田参院議員の地元メディアである長野放送がヤフーニュースで配信した記事にオーサーコメントを付け、「(日本は)人口100万人当たりの検査件数はいまだ世界220カ国中149位にとどまっている。とても先進国とは言えない水準だ」と指摘し、「(検査・追跡・隔離は)コロナ対策のイロハである」と強調した。

 確かに、羽田氏のような痛ましいケースを繰り返さないため、政府はPCR検査キャパシティの拡充を推進すべきだろう。しかし、検査を受けたい人や受けるべき人が希望すればすぐに診断可能な検査能力を整え、助けられる命を救う体制を構築することは、即コロナの感染拡大そのものを抑え込むことにはつながらない。この2つは混同されてはならない。

検査先進国は、実は死者数後進国

 たとえば、12月27日現在で総計2億4434万件のPCR検査を実施した米国は、人口100万人当たりの検査数が73万8200人と、名実ともにPCR検査先進国である。ちなみに日本は、同3万6700人と「後進国」だ。

 しかし、その「先進」米国の感染者数は同日に1920万人、死者数は33万3000人と両カテゴリーで世界ワースト1、人口100万人当たりの死者は921人で世界ワースト第10位である。感染も死者も増加が止まらない同国においては、特効薬であるはずの「検査数の拡充と追跡・隔離の実施」が、感染抑制および死者数減につながっていない。市中感染が指数関数的に増加する米国において、追跡や隔離は有効に機能していない。

 一方、わが「後進」日本の感染者数は22万1000人、死者数は3100人、人口100万人当たりの死者は20人と、決して優等生ではないものの、欧米の「検査先進国」と比較すれば桁違いに優れている。高橋氏の言うように「検査・追跡・隔離がコロナ対策のイロハ」であるならば、なぜ先進米国が感染・死者数の抑制に見事に失敗し、後進日本が欠陥だらけではあるものの、最悪の事態を免れているのだろうか。

 また、欧米諸国では支配層のリベラルエリートが過去9カ月にわたり、「ロックダウンでヒトとヒトとの接触を最小化すれば、感染拡大は収束する」と念仏のように唱え、感染者が増加すれば懲罰を伴う都市封鎖を民衆に課してきた。

 ところが、「すでに感染が広がっている状況において、1人の感染者が次に平均で何人に移すか」を示す指標である実効再生産数(Rt)の米国における推移を見ると、各州でロックダウンが実施される以前からすでにRtが急降下を始めている。「ロックダウンをしたから、感染者数が減った」という因果関係あるいは相関関係はそれほど強くないのではないかとの疑念がわく。

感染増は国民の行動が問題?

 たとえば、フロリダ州では、外出制限令が出された4月上旬時点でRtが近未来の感染者減を示す「1」を切っていた。ロックダウン前に、Rtは自然に減少していたのだ。(出典: RtLive.com、https://rt.live/) © JBpress 提供 (出典: RtLive.com、https://rt.live/)

 一方、ノースダコタ州では、5月上旬のロックダウン解除前に、すでにRtが再増加して「1」を超えていた。解除後に増えたのではない。(出典: RtLive.com、https://rt.live/) © JBpress 提供 (出典: RtLive.com、https://rt.live/)

 また、感染ホットスポットとなったニューヨーク州においても、ロックダウン開始時にRtが「1」まで下がっていた。(出典: RtLive.com、https://rt.live/) © JBpress 提供 (出典: RtLive.com、https://rt.live/)

 一方、「リベラル派の女神」ことアンゲラ・メルケル首相率いるドイツでは現在、厳しいロックダウンをかけているにもかかわらず、1日当たりの新規感染者数が1~3万件の間を推移したまま、有意に減らない。同国の感染者総数は166万人、死者は3万300人、100万人当たりの死者数は283人と日本の14倍だ。

 こうした現状に対してメルケル首相は、12月9日の連邦議会における演説で拳を振り上げながら感情を爆発させ、「科学的な知見に基づく政府の指示を軽視する市民への強い苛立ちと失望感」を表明した。

 悪いのは、能書き通りの結果を出せない科学やリベラルエリートではなく、エリートの命令に従わない非科学的で反知性的な愚衆であるというわけだ。感染者の増加は乾燥した低温の冬季気候が主な原因で、国民の行動とは直接の因果関係がない可能性は考慮されていない。

破綻する検査・ロックダウン至上主義

 そのメルケル首相は第1次ロックダウン開始時の3月18日に、「国家によって自由を制限されるということがどれほど不愉快なことであるか、旧東ドイツ出身である私自身が身にしみて理解している」と演説し、その「驚くべき共感能力」により、独テュービンゲン大学の修辞学者たちによって2020年の「今年のスピーチ」に選ばれた。

 だが、ロックダウンで感染が抑制できるとする「科学的知見」にこだわり、国民統制に邁進するメルケル氏の姿を見れば、彼女の若かりし頃、東独でエリート独裁支配を行った社会主義統一党(SED)が全社会的な目標設定とその実現のための計画作成を行ない、これを全市民に周知させ、社会のあらゆる組織を使って執行・統制していった「均質性原理による統治」を、現在の統一ドイツにおいて再現しようとしているように映る。

 それが実効性のあるもので、コロナ退治ができるのであれば国民は納得するだろうが、厳罰主義で統制すればするほど感染者や死者が増える。国民は、いつまで因果関係や相関関係の薄弱な「科学」に従わなければならないのだろうか。実際に人々の健康が維持されるか否かではなく、政府命令に従うか否かが目的化した懲罰的ロックダウンによって苦しみを味わう国民に対する、「驚くべき共感能力の欠如」である。

 そのためドイツでは、ロックダウンに不満を持つ市民の抗議活動が絶えず、連邦議会での首相演説にもヤジが飛ぶ。これに対し、自身が科学者であるメルケル氏の回答は、「私は啓蒙の力を信じている」「今日の欧州が、まさにここに、このようにあるのは、啓蒙と科学的知見への信仰のおかげ」というもので、ロックダウンの効果の証拠やデータではなく、宗教のように「信じること」「信仰」を強調したものであった。

 ここに、欧米知識層の権力の源泉である「科学」「啓蒙」や「知性」の機能不全と行き詰まりが象徴されているのだが、なぜかリベラル系のメディアではドイツが「コロナの抑制に成功した国」という設定で、賛美の対象となっている。「信ぜよ、さらば救われん」というリベラルエリートの科学観は、あやしい宗教と紙一重だ。

サディスティックな恐怖政治は逆効果

 こうしたエリートと民衆の意識の乖離と、その危険性に気付いた一部の欧米専門家からは、反省に基づいて「国民を守る代わりに彼らを脅し、規則を守らなければ罰を与える従来のやり方を改めるべきだ」との声が上がるようになっている。

 リベラル寄りの米ロサンゼルス・タイムズは12月7日付の分析記事で、「(ロックダウンを守らない)一般大衆が無責任なのではなく、恣意的な制限を課す医療政策担当者に対して、彼らが信頼を失っているのだ」と指摘する、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の感染症専門家であるモニカ・ガンディ博士の見解を紹介した。

 同紙は、「(性行為による性病感染を抑える目的で、コンドームなどの防具を無償で配布する)性教育や、(注射針の使い回しによる感染症拡大を防ぐため、麻薬常用者に消毒済みの新しい注射針を供与する)注射針交換プログラムのように、『人々は止められても高感染リスクの行為を行う』という前提で、いかにリスクを最小化するかを追求する『ハーム・リダクション』を採用すべきだと考える専門家が増えている」と報じた。

 ハーム・リダクションを新型コロナウイルスに適用するならば、低感染リスクの屋外活動を禁止したり、友人や家族との面会を全面的に禁じて国民の「コロナ疲れ」を引き起こすよりも、マスク着用やソーシャルディスタンシングを奨励する方が効果的であると、ブラウン大学の医療エコノミストであるエミリー・オスター教授は同紙に対して語った。

 オスター教授は、「あまりに厳格に人々の行動を統制すれば、彼らは当局者の言うことを聞かなくなる」と指摘する。まさに、「ロックダウン恐怖政治」が行われる欧米諸国で共通して見られる現象である。人が社会的な動物である事実を無視したサディスティックな政策は、逆効果であるというわけだ。

「理性」「知性」=西洋の狂気

 コロナ禍でも地位や収入が安泰なエリートたちと民衆の意識の完全なる乖離は、さらに民心を離反させるだろう。

 事実、民主党が強力に推進したロックダウンによる失業や収入減で低所得層や中間層の民衆が塗炭の苦しみに喘ぐ中、次期大統領に確定した民主党のジョー・バイデン氏のジル夫人は、自分に対する呼称が博士を意味する「ドクター・バイデン」ではないことはジェンダー差別だと、まるで天地がひっくり返ったように騒ぎ立てていた。博士号を持つ新大統領夫人であるリベラルエリート様のプライドが守られることは、民衆の飢えや貧困よりも大事なのである。コロナワクチンを接種したバイデン大統領とジル・バイデン夫人(写真:AP/アフロ) © JBpress 提供 コロナワクチンを接種したバイデン大統領とジル・バイデン夫人(写真:AP/アフロ)

 フランスの哲学者であるミシェル・フーコーは、西洋における「理性の時代」の到来とともに、狂気は「非理性」、つまり理性の反対として定義されるようになったと看破した。しかし、コロナ禍を巡るリベラルエリートの「理性」や「知性」は、感染症制御において確かなエビデンスも示せず、機能もしていない。それどころか、理性や知性が救済するはずの一般大衆が苦しみ喘いでいる。その意味において、「理性」は実のところ狂気である。

 コロナ感染が拡大する日本においても、朝日新聞や傘下のリベラル系メディアを中心に「外出するな」「緊急事態宣言が必要」という恐怖を煽る論調が高まっている。だが、リベラルエリートによる不条理支配を強化するのに都合のよい「生命を守る」という名分の偽善や、欧米諸国における「科学」「理性」「啓蒙」「知性」の失敗に学び、逆に感染症指定の見直しや、コロナに対する考え方の転換を行う時ではないだろうか。

 医療や科学に関する権威であるはずの世界保健機関(WHO)は、コロナに関して誤情報を発信し続けて信用を大きく落とした。そんなWHOではあるが、「(配布・接種が開始されたワクチンでコロナ禍が終息に向かったとしても)新型コロナは世界最後のパンデミックではない」と指摘していることは正しい。

 そして、エリートの科学や知性・理性は、これまでの常識を超えた新しいパンデミックに効果的な初期対処ができない可能性が高い。なぜなら、感染症に対する考え方が硬直化し、守るべき民衆との意識も乖離しているからだ。コロナウイルスは、民衆に「リベラルエリートは信用できない」と教えることにより、将来的な社会改革の方向性を示す一助になったのではないだろうか。