個人的に気になること

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「スシロー」は原価率50% 2週に1度のフェアで集客 転機は揚げ物とあぶり

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回転ずしチェーン「スシロー」の勢いが止まらない。新型コロナウィルス禍で多くの飲食店が苦境に立たされる中、大阪発祥の「スシロー」は新規出店を続け、JR東京駅の八重洲地下街にも出店した。スシローでは初となる回転ずしとテークアウト専門店のハイブリッド業態だ。「コロナ禍によってすしの食べ方やスシローの使い方が変化しつつある」と、「スシロー」の事業運営会社、あきんどスシロー(大阪府吹田市)の堀江陽社長はみる。競争の激しい回転ずし業界でトップを走り続ける成功の秘密に迫る。 スシローの原点は、すし職人だった創業者、清水義雄氏が1975年、大阪・阿倍野に開業した立ちずし店「鯛すし」にある。「安いのにおいしいと顧客を驚かせたときにこそ、値打ちが生まれる」。創業当時のこの思いは、業界トップの回転ずしチェーンになっても、代々受け継がれてきた。 スシローは業界最高水準という原価率約50%を掲げている。通常、外食チェーンの原価率は約30%といわれる。スシローの50%という原価設定は常識破りだった。ときには原価率80%のネタもあるという。顧客重視の戦略で薄利多売のモデルを築き上げ、競合他社との差異化に成功した。 1皿あたりの利益が薄いぶん、厳格なコスト管理が求められる。たとえば、家賃。賃料を低く抑えるために、これまでの出店地は郊外立地が基本だった。 すしロボットの導入で自動化、省力化を進め、人件費も抑制してきた。広告宣伝費は抑え、2週間に1回の販促フェアに力を入れている。集客力の強いフェア自体が広告の役目を果たしている。 フェアの開催は旬のネタや新開発のすしをPRするうえでも効果が大きい。常に目新しい商品を提供することによって、顧客を飽きさせず、来店頻度を高めている。   回転ずし事業は清水氏が東京を訪れた際、大阪の郊外には回転ずし店がほとんどないと気付いたところから始まった。84年に大阪・豊中で回転ずしの1号店を開店。関西の郊外を中心に店舗を増やし、96年には1皿100円均一の店舗を出店して全国に店舗網を拡大した。

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■テークアウト事業に本腰 フレンチシェフとコラボ

あきんどスシローの堀江陽社長(左)とsioオーナーシェフの鳥羽周作氏

2010年には「かっぱ寿司」を運営するカッパ・クリエイトを抜いて売上高で業界トップに躍り出た。以来、10年連続で1位の座に君臨してきた。店舗数は600店を超え、1店舗あたりの平均売上高も外食全体で高いレベルを誇る。 コロナ禍を受けて、テークアウト事業に本腰を入れ始めた。21年2月から展開し始めたのがテークアウト専門店「スシローTo Go」。駅改札口近くや商店街などへ実験的に出店し、手応えをつかんだことから、出店を加速する計画だ。「依然としておうち需要が堅調に動いている。今までのテークアウト事業はイートインの延長線上だったが、独自に進化する必要がある」と、堀江社長は説明する。 ポイントはメニューの鮮度だ。テークアウト専用商品の開発では第1弾として、東京・代々木上原のミシュラン1つ星フレンチレストラン「sio」のオーナーシェフ、鳥羽周作氏とコラボレートし、「すき焼き海鮮しゃり弁」を発売した。ほどよい甘みがあるスシローのシャリの上にのっているのは、甘辛く仕上げたすき焼きの牛肉のほか、数の子、大えび、いくら、ホタテ貝柱など、スシロー自慢の海鮮の数々。時間が経っても味が落ちにくい点も工夫した。「『さめてもおいしいすし』という鳥羽さんの発想が開発の決め手になった」(堀江社長)

■揚げ物とあぶり物でメニューに幅

フライヤー設備の導入で実現した「エビ天にぎり」

スシローの成長期を知る堀江社長にとって、印象的な出来事がある。1つはフライヤー(油揚げ機)を使う揚げ物メニュー、もう1つはガスバーナーを使うあぶりのメニューが登場したことだ。この2つの設備が導入されたのを機にメニューの幅が格段に広がった。商品開発の転機にもなったという。 「それまでのスシローは火事のリスクを避けるために油と火を使う料理は作らなかった。実際、『やらないほうがいい』という意見が大半だったので、揚げ物とあぶり物の登場は画期的なことだった」と、堀江社長は振り返る。 フライヤーを使った揚げ物の第1号はエビ天にぎり。現在は殻をむいた状態のエビが店舗に届くが、始めた当初は1日500尾ものエビを店内で下処理していた。手間をかけただけ味は抜群だったが、「手がボロボロになる」という訴えをスタッフから受け、それ以降、一部の作業は外注して効率的なオペレーションに変えていった。 一方のあぶりすしは現場から生まれたメニューだ。一部店舗の限定商品だったが、人気を受けて全店で導入した。「すし店で出される温かい料理といえば、うどんか茶わん蒸しぐらいしかなかった時代に、温かくておいしいすしを食べられるとあって、揚げ物もあぶりも評判は上々だった」(堀江社長)。 実は、フライヤーの導入を提案したのは、当時、スシローの筆頭株主となっていたファンド会社のユニゾン・キャピタルだ。敵対的買収話が浮上した折、ホワイトナイト(友好的なスポンサー)としてスシローの経営に参画。一時は意見が衝突したこともあったが、ユニゾンの参画は、かたくなだった当時の経営陣の意識を変えるうえでプラスに働いたようだ。 こうしてスシローは、「安くてうまいすしを出す」という原点を守りながら、激変する市場にも対応できる外食チェーンへと発展していった。後編ではネタの調達力やスシロー流の加工方法などから、トップランナーの強みに迫る。 (ライター 橋長初代)