宮城、福島沖のコウナゴ不漁 水揚げ維持の北海道で買い付け過熱

かつて宮城、福島両県沖で大量に取れた小魚「コウナゴ」の不漁が続いている。貴重な収入を失う漁業者のみならず、ちりめんやつくだ煮といった地域の特産品を作ってきた加工業者も窮地に陥っている。不漁の詳しい原因は不明で、資源回復の先行きは見通せない。一定の水揚げ量を維持する北海道の産地では、各地の加工業者による「原料」の買い付け交渉が熱を帯びる。(福島総局・横山勲)

 コウナゴは、沖縄を除く海域に生息する「イカナゴ」(別名メロウド)の稚魚で、西日本では「シンコ」と呼ぶ。3、4月が水揚げの旬で、春の風物詩として各地で親しまれてきた。

 現在、国内で一定程度のまとまった水揚げがあるのは、日本海に面する北海道南西部の後志(しりべし)地方と、兵庫県など瀬戸内海東部のみ。それも不安定な状態が続く(グラフ)。宮城、福島の海域はかつて数万トン規模の水揚げ量を誇った一大産地だったが、近年は「ゼロ」が続く。

 海水温や潮流の変化が影響しているとの見方もあるが、原因は特定できていない。コウナゴの加工品を扱ってきた相馬市の磯部加工組合の担当者は「思い切って生産を諦めるか、コスト高を覚悟で県外調達を模索するか。加工業者はどこも手探り状態だ」と明かす。

 明治初期からコウナゴ漁が盛んな北海道後志地方の寿都町で老舗加工会社を営む山下邦雄さん(70)は「ここ数年、東北の業者から買い付けの相談が頻繁に来るようになった。宮城、福島の不漁で関西や中部方面からの引き合いも強くなり、もはや『奪い合い』だ」と困惑を隠さない。

 後志地方のコウナゴ漁は小型漁船が中心で、もともと目立って水揚げが多いわけではない。例年数百トン、豊漁時も1500トン程度で、低調だった昨年の漁獲量は206トンだった。

 寿都町は新鮮なコウナゴを生のまま炊き上げたつくだ煮が特産。道外の業者による買い付けが増え続ければ地元業者の仕入れに影響が出かねないが、山下さんは「『お互いさま』の面があるので、断るのも心苦しい」と打ち明ける。

約30隻の漁船が停留する北海道寿都町の漁港。周辺海域のコウナゴ漁の旬は本州より1カ月ほど遅く、4月から6月上旬まで続く=2021年12月

かつての「恩返し」の意味も

 後志地方も1980年代にコウナゴが全く取れない時期があり、山下さんも当時、原料調達のために本州の産地を訪ね歩いた。最初の「出稼ぎ先」は屈指の水揚げ量のあった石巻市だった。

 同市に自前の釜揚げ工場を設け、近場の宮城県女川町や相馬市の産地市場にも足を運んだ。当時知り合った東北の同業者から買い付けの相談が来た際は極力引き受けているといい、後志が不漁で苦しんだ時代の「恩返し」の意味もある。

 とはいえ資源は有限だ。後志地方の水揚げも、この先どうなるかは読めない。山下さんは「海の恵みで商売する以上、また不漁になったら、しがみついてでも頑張るしかない」と、過去を思い返して苦笑いした。