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「どんと祭」発展の歴史とは

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正月飾りを焼き納める伝統行事「どんと祭」が14日夜、仙台市青葉区の大崎八幡宮をはじめ市内130カ所(市消防局届け出)である。どんと祭はいつから、なんのために行われてきたのか。市歴史民俗資料館の学芸員佐藤雅也さん(62)に歴史や由来を聞いた。(編集局コンテンツセンター・佐藤理史)

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江戸末期には恒例行事に

 起源について、大崎八幡宮の社伝では300年の歴史を持つとされる。史料では1849(嘉永2)年の「仙台年中行事大意」に「松焚(た)き」として「門松を八幡の社内にて焚失(たきしつ)るなり」などの記述が残る。遅くとも江戸時代末期には恒例行事になっていたようだ。

 お正月は1月1~14日の大正月(おおしょうがつ)、15~31日の小正月(こしょうがつ)に分けられる。松飾りは年神(歳徳神)を迎えるための目印。県内では大正月が終わる14日に下ろし、屋敷神(敷地内のほこら)や近くの神木に納め、自然に朽ちさせることが多い。

 松飾りを焼く風習は140年ほど前まで大崎八幡宮特有の行事で、東北ではほとんど見られない。佐藤さんは「小正月の参拝者を温めるために用意されたたき火に、一部の人が松飾りを投げ入れたのが始まりだろう。数年の間に口伝えで広まり、規模が大きくなって神事とされ、明治以降は周辺の社殿でも行われるようになったようだ」と話す。

裸参りに参加する仙台市立病院の看護師ら=1981年

本来は「松焚きの後に裸参り」

 松焚きは神送りの行事。神々は時に自然災害を起こす恐ろしい力を持つため、神事の期間だけ来てもらい、終わったら帰ってもらうのがよいと考えられてきた。燃え上がる御神火に当たると、一年の無病息災と家内安全などの御利益があると言われている。

 松焚きで大正月を終えると、14日の夜遅くから翌朝にかけて行われる「暁参り」で小正月行事が始まる。暁参りで特別な祈願をする人は裸参りをする。1850(嘉永3)年ごろの「仙台年中行事絵巻」には市内の蔵元の杜氏(とうじ)が裸参りする様子が描かれている。佐藤さんは「本来は松焚きの後に裸参りの順だが、今はごっちゃになっている」と説明する。

御神火を回る参拝者=1972年

観光化で記事の説に乗る?

 大崎八幡宮での正式名称は「松焚祭(まつたきまつり)」。明治時代以降に「どんと祭」の呼び名が生まれた。きっかけは河北新報の記事のようだ。

 1906(明治39)年1月14日の記事は「九州地方では一般に正月の松を神社の境内で焼くが、これをドンドととなえている」(現代表記)と紹介。その上で「つまり大崎八幡の松焚祭もすなわちこれドンドであって、その神体が(大分県の)宇佐八幡の分身ゆえ九州の方の習慣が何かの場合にここ仙台に紛れ込んで古来の慣例となったものとみえる」とした。以降、紙面で「松焚祭(どんと祭)」と表記するようになった。

 大正時代には「どんと祭」が市民に定着した。佐藤さんは「実際には、西日本の火祭りである『どんど』や『とんど』とのつながりを示す史料はない。仙台の名物として、ある種の観光化が進む中で、仙台の人たちが記事の説に乗っかった結果だろう」と推察する。

「今夜の大崎八幡宮の焚火」の挿絵(中央)=1906年1月14日の河北新報
「大崎八幡の松焚祭」の見出しが付いた記事(右上)。「ドンド」の表記が初めて登場した=1906年1月14日

「新興住宅地」にも広がる

 戦後の高度経済成長期は仙台市以外の社殿に広がり、市内の新興住宅地の単位でも行われるようになった。今では元々の風習とも融合し、青森県から新潟県にかけて東北の200カ所以上で行われているという。

 発祥の大崎八幡宮はピーク時の1981年ごろ、約25万人の人出があった。市消防局によると、2020年は16万8500人、コロナ禍で迎えた21年は10万5000人だった。