トレースはもはや「つみ」状態なのか  引用とオマージュと再構築の果てに浮かび上がった問題とは?

2月に入ってからというもの、おそらく一生分の「トレパク」という言葉を目にしたように思う。

 人気イラストレーター「古塔つみ」氏の多くの作品が、既存の写真や画像をトレースしたものではないか、またその利用許諾もとっていないのではないかとして、炎上状態にある。

 「古塔つみ」氏本人はこの騒動について、「引用・オマージュ・再構築として制作した一部の作品を、権利者の許諾を得ずに投稿・販売してしまったことは事実」という声明をTwitterで出している。その一方で、「写真そのものをトレースしたことはございません。模写についても盗用の意図はございません」と、トレースではなく模写であると主張している。 https://platform.twitter.com/embed/Tweet.html?creatorScreenName=itmedia_news&dnt=false&embedId=twitter-widget-0&features=eyJ0ZndfZXhwZXJpbWVudHNfY29va2llX2V4cGlyYXRpb24iOnsiYnVja2V0IjoxMjA5NjAwLCJ2ZXJzaW9uIjpudWxsfSwidGZ3X2hvcml6b25fdHdlZXRfZW1iZWRfOTU1NSI6eyJidWNrZXQiOiJodGUiLCJ2ZXJzaW9uIjpudWxsfSwidGZ3X3NwYWNlX2NhcmQiOnsiYnVja2V0Ijoib2ZmIiwidmVyc2lvbiI6bnVsbH19&frame=false&hideCard=false&hideThread=false&id=1489140943768809475&lang=ja&origin=https%3A%2F%2Fwww.itmedia.co.jp%2Fnews%2Farticles%2F2202%2F14%2Fnews085.html&sessionId=4cf918a23d8a87722b994c624487318aea9d61e5&siteScreenName=itmedia_news&theme=light&widgetsVersion=0a8eea3%3A1643743420422&width=550px

 これを受けて、同氏の作品集を出版していた芸術新聞社では、事実関係の精査のため、一旦出荷停止の措置を取ることを発表した

 声明では「クライアントワークは全てオリジナル作品です」としているが、コラボTシャツを販売していたポケットモンスター事業会社のポケモンでは、作品自体はオリジナルであると判断したものの、事態を重く見て店舗及びオンラインショップで販売した分の「返金・キャンセルを承る」と発表した

ポケモンによる発表

トレースと創造性

 またアパレルブランド「ANARC」とコラボして手掛けたTシャツやパーカーなどの絵柄について、大友克洋氏の「AKIRA」に登場する「金田のバイク」ではないかとの指摘もある。こちらのほうはANARCから公式発表はないようだが、コラボ商品ページがサイトから削除されており、さまざまなオンラインサイトでページが見つからなくなっている。一方講談社の広報室は、メディアの取材に対して「今回の商品に関しては、許諾したものではありません」とだけコメントしている。ANARC x 古塔つみ A-BIKE TEE(現在在庫切れまたは販売期間外となっている)

 現時点で、確定的に分かっていることはこれだけだ。現在作品とトレース元とされる画像の比較検証画像や動画があまりにも多くSNSに投稿され、またそれをまとめたサイトも乱立状態にあるが、それをもって「確定」であるとは誰にも判断できない。講談社が調査するとの回答を得たというメールの画面キャプチャーもあるようだが、それが本物か誰も確認していないため、現時点ではまだゴシップの域を出ていない。

 どこまでが確定で、どこから先が未確認情報なのかは、きちんと線引きしておく必要がある。

 この騒動で危ういなと思うのは、「トレースという行為そのものがアウト」という認識が一人歩きし始めているところである。トレースというのは一種の複写方法であり、文科省後援の技能検定まである、確立した技術だ。

 一方絵を描く人としては、模写とトレースは明らかに異なるものだろう。模写は現物を目で見てそれを写し取る行為であり、古来「絵」というものはそうして描かれたものである。

 「作画手法としてのトレース」が広く定着したのは、写真の発明よりも後だと考えられる。それ以前も、立体のレリーフに紙を当てて写し取るみたいな方法はあったとは思うが、実風景をハンディなサイズに瞬間的に写し取る写真の登場は、その紙焼きの写真の上に薄紙を敷いて写し取るという手法を一般的かつ効果的なものにした。

 実際マンガやアニメの背景制作などでは、写真からトレースする例はある。もちろん、写真を見ながら「模写する」という手法もあり、作品性と効率とのバランスで、両方が使われている。

 写真からトレースしたものに作品性や創造性がないというのは、誤りだ。著名イラストレータである鈴木英人氏は、TBSの現社屋であるビッグハット竣工・開局記念番組の中で、その制作過程を公開している。1995年頃の話なので今の制作手法とは違うと思うが、当時は鈴木英人氏自らが米ナンタケット島に赴きポジフィルムで風景を撮影したものを、プロジェクターで紙に投影し、そこからトレースして作品の輪郭を取りだしていた。

 トレースの過程で複数の写真を組み合わせつつ、有象無象ある実写風景写真の中のどの線を採用し、どの線を無視するか。シンプルな線と面で構成される同氏の特徴は、すでにそのプロセスの段階で生まれている。TBS初のハイビジョン制作であったこの番組は、今となっては見る機会もないと思うが、なぜこんなに鮮明に覚えているかというと、この番組を編集したのが筆者だからである。

 つまり、トレースという行為からは芸術が生まれないという考え方は、表現の幅を狭める事になる。逆に、

問題の本質は何か

 古塔つみ氏の作品が「トレパク」であると炎上した背景には、その元となったと見られる写真や画像が大量に見つかったことがある。大量に見つかるということは、その写真や画像がすでにネット上に広く公開されたものであったということである。

 自分で撮影した写真には自分に著作権があり、そこからトレースすることは何も問題ない。むしろ写真を撮影する時点ですでに作品制作がスタートしているともいえる。だが既存の発表済みの写真や画像には著作権者がおり、利用するには、普通は許諾が必要になる。

 普通は、と書いたのは、二次創作の場合には許諾を取らずに制作してしまっている場合もかなりあるからである。そしてその二次創作作品はコミケなどで販売され、利益を得ることもある。

 こうした行為は、著作権法的には違法状態にあるが、著作権者が告訴しない限りは、刑罰が科せられない。こうした「違法だが訴えられていない」という隙間が、多くの制作者や新しい表現を生み出するつぼのようなものであるという認識が拡がりつつある。元の作品そのままを複製して利益を得るような海賊版行為は、2018年の著作権法改正により、著作権者でなくても告発できるようになった。

 二次創作とひとまとめにしているが、その内容はオマージュやパロディーであり、その作品の理解には、原作を知っていることや、原作が何かが分かることが重要となる。タイトルに原作名が織り込まれているものやそうでないものなどいろいろあるが、ポイントはその二次創作を「オリジナル」だとはうたっていないことにある。オリジナルだと主張した瞬間、それは盗用や剽窃ということになる。

3つの怒り

 古塔つみ氏の今回の騒動を観察していると、多くの人が感じている怒りには3種類あるように見える。

 1つは、トレースしたことに対する怒りだ。だがそれを本人が否定したことで、制作手法に対する不信感が増している、要するに「言ってることがウソだらけではないか」という怒りに変わってきている。これには本人が女性を名乗っているにもかかわらず、実際にはそうではないようだという情報も加わって、より大きくなっている。

 2つ目は、著作権法的に問題がある行為が放置されているのではないか、という怒りだ。法的にはそれがトレースなのか模写なのかは、大した問題ではない。ではどこが問題なのかというと、原作があるのにそれを示さず、曖昧にオリジナルのような扱いで作品を発表し続けたことだろう。

 氏の声明の中で「引用・オマージュ・再構築として制作した一部の作品を、権利者の許諾を得ずに投稿・販売してしまったことは事実」としているが、そもそも引用なら権利者の許諾は必要ない。ただ、引用元を示さなければならないし、どこが引用であるかを明確に分離する必要がある。加えて本編と引用部分が主従関係にあるなどの要件も満たさないので、氏の作品は引用ではない。

 オマージュであるならば、それは二次創作であり、原作への敬意がなければ成立しないわけだが、これも原作がなんなのかを示しておらず、「ただ描いただけ」でオマージュしました、はなかなか厳しいといわざるを得ない。

 再構築という定義は曖昧だが、それがコラージュ的な意味であるとするならば、これには既存の作品を素材として使用することは可能だ。だがこれには素材の解体が必要であり、できあがった作品全体としては素材とは別の文脈や意味合い、作品性を持つ、「表現の昇華」が求められる。

 つまり、権利者に許諾が必要な素材を用いていることは認めるものの、表現としては氏が主張するどれにも当てはまらないのではないか。「盗用の意図はございません」とも言うが、盗用は結果で評価されるだけであり、本人の意図は関係ない。

 問題を大きくしているのは、氏の作品のほとんどが人物画であることである。元となった写真には著作権があるのは当然だが、その被写体となった実在の人物には肖像権がある。日本においては肖像権としての明文規定はないが、判例では認められており、民法上の不法行為として損害賠償請求が可能である他、公表や使用の差し止めもあり得る。

 3つ目は、自分も絵を描くといったクリエイター畑の人たちがこの問題に対して感じている怒りだ。これは世間一般の人の怒りとはちょっと違っていて、元の写真などにあった「世界観を盗んだ」ことにあるのではないかと思う。

 例えば「金田のバイク」は、「AKIRA」の世界観を表現するアイコンであるため、これ一発あるだけでその背景にある作品世界を一気に展開する機能がある。人物写真にしても、その表情・髪型・ポーズ・衣装・陰影・色使いなどから醸し出される世界観がある。人物だけを切り取っても、それがなくなるわけではない。そこには、その世界を作るための創造の苦労や試行錯誤があり、研ぎ澄まされた感性が埋め込まれている。

 単にネットで探してきて切り取って画にしただけで、「自分の世界」として名声を得たことに対して、自分の表現や世界を手に入れようと長年苦労している人は、「こんなやり方で……」と納得できないのだろう。

 著作の世界は、オリジナル作品であっても、何からも影響を受けないわけではないし、発想や想像の元になったものがゼロという事も考えられない。ただその先、自分で作りながら走って行くうちに見えてくるものが、オリジナリティーになる。ただ、世の中にはそこまで待てない、結果だけ早く欲しいという人がたくさんおり、こうした手法はデジタルとインターネットの世の中、いくらでも可能である。

 今回の事件は、表現の中で「ん?」と引っ掛かった小骨を引っ張り出してみたら、体中の骨が出てきたような話だった。これはクリエイティブとは何かということを考えるよい機会でもあるし、ちょっと油断するとこういうことはこれまでも、これからもこんなことは山ほどあり得るという、試金石になったのではないかと思う。