仙石線依存で失速した仙台市繁華街 昨秋スタートの「市内循環バス」は救世主となれるか? 栄える駅前とは真逆の現状を占う

利便性の高い「支店経済都市」

仙台市内を走る循環バス「まちのり「チョコット」」(画像:写真AC)

 市街地に新たな人の流れを創り出せるのか――。2022年秋、仙台市で市街地の回遊性を高めるための新たなバス路線が新設された。地方都市では一部のエリアに客足が集中する「ひとり勝ち」現象が起こりがちだ。それを打開する策として、バスは有効なのだろうか。 【画像】えっ…! これが60年前の「仙台駅周辺」です(9枚)  仙台市は元来、ひとり勝ちの街だった。政令指定都市として、東北地方のなかで、あるいは宮城県のなかで同市だけが栄える状況は長らく続いて来た。そんな大都会でありながら、繁華街は極めてコンパクトだ。  筆者(碓井益男、地方専門ライター)はかつて、仙台市の東側にある多賀城市に住んでいたが、仙台市の利便性は全国屈指だと考えている。仙台駅を起点として、一番町や中央通り周辺に ・デパート ・商店街 ・歓楽街 までもがそろっており、歩いても1時間程度の範囲だ。そのため、バスや地下鉄で移動することなく消費を楽しめる街だった。徒歩圏内にすべてが集中していることが最大の利点だった。  ところが、震災復興以降、仙台市街地では大きな変化が起こった。この狭いエリアの中でも、仙台駅の周辺に人の流れが集中するという格差が生まれたのである。  仙台市はもともと支店経済都市(全国規模で展開する企業の支社・支店などが集中する都市)として栄えていたが、2011(平成23)年の東日本大震災以降、復興の中心を担う都市として存在感を強めた。  結果、県外からの復興需要をあてこんだ出店が相次いだ。さらに、県内の飲食店などでは復興需要をにらみ、市街地へ新たに出店する動きも見られた。そのなかでも中心地と目されたのが仙台駅前だったのだ。

2016年の東西自由通路供用が転換点に

仙台市の一番町エリア(画像:(C)Google)

 古くからの仙台を知る人であれば、駅前がひとり勝ちして繁栄するのは、にわかには信じられないだろう。かつて、仙台市街地の繁栄の中心地は一番町エリアだった。対して、駅前は空洞化が進むエリアだった。  例えば、大手スーパーの西友は1991(平成3)年に駅前に「SEIYO仙台店」を開業したものの、1997年に閉店している。この店舗は、駅前にあった「エンドー仙台駅前店」の撤退後に、百貨店タイプの店舗を目指して開業したが、客足はまったく伸びなかった。  東日本大震災以前の駅前は、その後も伸び悩みが続いていた。2003年には1982(昭和57)年の開業以来、駅前の核店舗と見なされていた「ams西武仙台」が閉店。さらに2005年には「十字屋仙台店」も閉店している。  この間、駅前では駅ビル「エスパル」の商業施設の充実などの動きも見られたが、十分ではなかった。ところが、震災復興を契機に流れが変わった。ターニングポイントとなったのは、2016年3月にJR仙台駅へ新たな東西自由通路の供用が開始されたことだ。  それまでも、仙台駅は駅ナカビジネスを推進しており、 ・牛たん通り(2003年) ・すし通り(2004年) ・エスパル(2008年) と順次、商業施設の拡充を進めていた。そうしたなかで、この東西自由通路とともに開業したのが「エスパル仙台東館」だった。この施設には東北初出店となる店舗が多数出店したため、人の流れが変わった。  かつての仙台駅東口は 「ヨドバシカメラ以外はなにもない」 という印象だったが、それも既に過去の話である。東西自由通路の供用から半年後の2016年9月に「ロフト仙台店」がリニューアルオープンしたなどもあり、仙台駅を中心として東西に集客施設が密集する状況が生まれたのだった。

循環バス「チョコット」の登場

在りし日の「さくら野百貨店仙台店」。2014年撮影(画像:(C)Google)

 2017年には「さくら野百貨店仙台店」が破綻したものの、これは匿名投資ファンドが突然オーナーになるなど、不透明な経営が行われた結果だった。  むしろ、現在では跡地に計画されている2棟の高層ビルが、駅前の完全中心街化を果たす役割を期待されている。  この圧倒的なひとり勝ちに対して、一番町のアーケード街などへの回遊性を求める声も出てきた。これに応える形で2022年10月に運行を始めたのが、循環バス「まちのり「チョコット」」である。  宮城交通の運行するこの路線は、120円の均一料金で仙台駅西口から定禅寺通・晩翠通・青葉通などを回る。運行間隔は、日中におおむね20分間隔。これまで存在した「るーぷる仙台」が観光地をめぐるルートだったのに対して、チョコットは純然たる買い物路線を目指している。 しかし、これで市街地の回遊性が高まるかどうかは正直怪しい。過去、仙台市では1999(平成11)年、2000年にも「100円カーバスくん」の愛称で市街地を循環するバスの実証運行を行っている。しかし、採算ラインにも達しない大失敗に終わった。  なぜなら、高齢者を除けば 「歩いたほうが早い」 という意見が圧倒的だったからだ。

一番町復興はあるか

2000年に開業したあおば通駅(画像:(C)Google)

 それから二十余年が過ぎ、高齢化社会が進行していることを鑑みれば需要も期待できそうだが、高齢者以外にはどうだろうか。  最大の問題点は、回遊性を高めても一番町周辺に駅前に対抗できる集客施設が不足していることである。「藤崎」のような老舗デパートはあるものの、今の一番町アーケードは駅前に勝てる集客要素を持っていない。  かつて駅前が低迷し一番町周辺が繁栄した背景のひとつとして、2000年に仙石線が地下化されあおば通駅が開業したことがある。当時は、利用者には魅力的な店も多い一番町へ便利に行けるルートができたと好評だった。  しかしその利便性に依存したことで、一番町周辺の店舗は、時代の流れとともに魅力を失ってしまった。この状況を打破するためにも、回遊性と同時に一番町に出掛けたくなる魅力の創出が求められる。  果たして、今の仙台市にそのような力が残っているのだろうか。