宮城・山元の震災遺構中浜小 当時3年の千尋真璃亜さんが語り部に

東日本大震災で被災した山元町の震災遺構中浜小で、当時3年だった千尋真璃亜さん(21)=亘理町=が語り部活動に取り組んでいる。元児童で唯一。「伝える側(の世代)が途切れると、中浜小は残らない。これからもできる限りやり続けたい」と力を込める。
(亘理支局・橋本智子)

春から看護師に「伝承活動続ける」

 千尋さんは4日、仙台市の団体がライブ配信したイベント「オンライン防災2023」に出演。中浜小の校舎前に立ち、当時校長だった井上剛さん(65)=白石市=と語り部を務めた。

 あの日、約10メートルの津波が押し寄せた。「防風林の隙間から真っ黒い壁のようなものが上がり、ここで死んでしまうんだと思った」。千尋さんは津波を目撃した瞬間をそう振り返る。

 児童ら90人は教員の誘導で屋上の屋根裏倉庫に逃げ込み、全員が無事だった。井上さんは1989年の校舎建て替えの際、高潮や津波を心配した住民の要望で敷地が2メートルかさ上げされたことを説明。備えの大切さを言い添えた。

 語り部となったきっかけは2022年の成人式。会場に来ていた井上さんにやってみないかと誘われた。井上さんらが活動する「やまもと語りべの会」=?=には関心があった。人生の節目に「自分を守ってくれた大人や校舎に恩返しをしたい」と決意した。

 震災の記憶を掘り起こす作業はつらい。「やっぱりやめよう」。何度もくじけそうになった。

 一方、研修では学校敷地のかさ上げや素早い垂直避難の決断など、大人たちが命を守るために何を備え、どう行動したのか知った。心の整理がつき、経験を語る覚悟ができた。

 4月からは看護師として仙台市内の病院に勤める。被災した友人が身を寄せた避難所で、看護師が一人一人に声をかけていた。「心で寄り添える看護師になりたい」と願う。

 語り部として昨年4月下旬に独り立ち。約1年間で20回余り、案内してきた。

 「災害が起きたとき、子どもは大人に素直に従うしかない」。だからこそ、これからの社会を支える自分たち世代に、子どもを守り導く大人の役割と意義を伝えようと考えている。

[やまもと語りべの会]2013年11月発足。23年2月末現在、元教員や元町職員ら34人が所属する。震災遺構中浜小を活動拠点に、来館者の案内や町内バスツアーのガイド役、全国での防災講演などを展開。山元町内の復興の歩みや震災前の沿岸部の記憶を広く発信する。町民ら希望者を対象に、語り部の育成も行っている。