第一章 アドプロという会社

 「お電話変わりました、八木です。はい、今日の6時ですね。よろしくお願いします。」。
 僕は従業員数では大手製作プロダクションの範疇に入る会社、アドプロに勤務するコピーライター。たった今、取引先である佐々木広告社から、仕事の依頼を受けたところでした。
 このアドブロ、確かに人数は多いが、会社としての組織がなってなく、親会社である活版印刷の仕事以外はすべて八木が引き受ける、といった状態であった。
 また、コピーライターといっても文章を書いているだけではなく、打ち合わせに出掛け、企画を立て、スケジュールを管理し、デザイナーにディレクションをし、さらに見積もりもするのが、アドブロでのコピーライターの仕事であった。
 僕は昨年、佐々木広告社が大手自動車メーカー、新田自動車の競合プレゼンで運良く仕事が取れ、それ以来分信用が生まれたのか、佐々木広告社の仕事の大半をこなすことになった。
 僕はこのところ大変疲れていた。オーバーワークなのである。なにしろ朝の9時から朝の2時まで毎日慟きづくめ、日曜だけは何とか休んでいる、といった状態が半年も続いていたのであった。一応、売れっ子コピーライターの仲間入りをしたのかなぁ?って、思ってもいいでしょ。
 だが、僕の務める会社には個人の能力を評価するシステムはない。会社が信じていることは一つ、それはお金であった。八木はそんな会社に不満を抱きながらも、たんたんと、来る仕事をこなしつづけなければならなかった。
 6時。僕は約束どおり佐々木広告社に出向いた。そして受付嬢に彼を呼んだ本人、根掘部長を呼んでもらった。まもなく応接に通され根掘部長を待った。根掘部長は32才、佐々木広告社では異例の出世をした、辣腕部長である。
 「なんか今日は大袈裟だなあ。」と八木は感じていた。「俺なんかめったに応接には通されないのに。」
 しばらくして、根掘部長が現れた。彼はメインスポンサーである新田自動車の新聞やカタログを抱えていた。
 「再来月、ここで新田自動車主催でモーターショーがある。昨年の11月に東京モーターショーで展示した新田自動車の車をこっちにもって束てイベントを行い、販売促進に役立てるんだそうだ。イベントの方は、東京の時報堂が仕切るのはもう決まっている。で、今日、新田自動車からその告知として新聞を使うのだが、それをデザインコンペにするので参加して欲しいと、いわれたわけだ。ざっと概略はこんなもん。わかった?。」
 「はい!。」
 僕はなぜだか、やる気に満ちた張りのある声で答えていた。そもそも新田自動車の仕事といえば、販売会社の週末の新聞かチラシとだいたい相場は決まっている。毎回同じパターンに食傷気味だった僕にとっては+分魅力ある仕事。僕はやや興奮ぎみに、打ち合わせを続けた。
 佐々木広告社の根掘部長はいつも話が長いのが欠点。何度も同じことを繰り返し、一つの打ち合わせに3時間はかかるのは定例のことだった。今日の八木にはどうでも良いことであった。
 やがて、時計が9時を回るころ夜食の出前を注文した。ほどなく出前はやって来た。僕は根掘部長と一緒に夜食を食べながら、雑談を始めた。そのときである。佐々木広告社の佐々木社長が奥の部屋から応接に入って来だのは。
 「きみ、八木君だっけ、こんな時間まで打ち合わせ、ご苦労さんだな。」
 といって、僕の隣に座った。八木は初めて会話する佐々木社長に多少とまどった。一応、社交辞的なことをしゃべり、その場を繕っていた。と、そのときである。根掘部長の口から、思いもしなかった言葉が発せられた。
 「お前、うちの会社に入らないか?。」
佐々木社長がその後を続けた。
 「どうせ製作会社なんて、35識で定年みたいなもんだし、うちに入れ。うちはバックがアースリースだし、会社はしっかりしている。若いうちが花だぞ。」
 ヘッドハンティング。
 僕は嬉しいような、恥ずかしいような、何ともいえない気持ちになった。根掘部長と佐々木社長の話は、この後30分くらい続いた。時計が10時を回ったころやっと打ち合わせは終わった。佐々木広告社を出るとき、根掘部長は念を押すようにこういった。
 「さっきの伴、本気で考えておいてくれよな。それじゃまた。」
 僕は足取りも軽く、会社に戻った。会社にはほとんど人はいなかった。自分のデスクに座った。いまさっき起こったことが嘘のようでたまらない。
 「さっきの話、いい話ではあるけどなあ?。」
と、独り言をいった。そして、いつもの様にたんたんと仕事を始めた。
 僕が働くアドブロは毎月のように組織変更がある。今度は、企画部門の強化のため企画ディレクターを入れる事が決まった。当然、八木もコピーライターなので今回の組織変吏の影響を受けるのであったが、いつもの事と思い、聞き流していた。
 翌日、会社に出社すると席替が始まっていた。そのディレクターは八木の上司になることになっていた。突然のことだったが、いつもの様にたんたんと聞き入れ、その席についた。「今度は企画部を作るのが?」。僕はやっと会社の意図を理解した。そのとき、一人の男が専務と一緒に入って来た。
 「ちょっと手を休めてください。今日から企両部の企画課長になる、田尻さんです。皆さん、よろしくしてやってね。」
 と全社員の前で専務が告げた。とてもテキトーな紹介だった。なんせ僕が務めるアドプロは毎月だれかが退職し、毎月だれかが入社してくるといった、実に定着率の悪いブラック企業だったのである。
 「この人もすぐ辞めるんだろうなあ。」
 ほどなくして、僕は田尻さんを紹介された。田尻課長の席は僕の隣と決まった。田尻課長は自己紹介を始めた。
 「僕はいままで出版のほうをメインにやって来たんだけと、よく活版印刷さんとは一緒に仕事をしてきて、今回活版印刷さんから、ここにいってみないか、ということでここにきた、というわけだ。はっきりいって広告のほうは良くわからない。でも、出版の企画や文章ならだれにも負けないと思っているからそちらの方向でこの企画課を延ばしていきたいのでよろしく!。」
 田尻課長は力強くこういった。そのあと、企画課にもう一人入ることを聞いた。課長がいうには、フィニッシュの福島くんだそうだ。彼のかつての希望により、コピーライターに抜擢されたそうだ。だが、芽がでなければまたフィニッシュに戻るそうである。僕はなんとなく楽しい気分になって来た。今まで何でも一人でやってきた僕にとっては味方が出来たようで、なんとなく心強いのである。少したって福島君がやってきた。三人揃ってやっと企画課の始まりである。その日の夜は歓迎会ということで、飲み明かした。
 それから約3ヵ月がたっただろうか。八木はいつもの様にマイペースでたんたんと仕事をこなしていた。そして田尻課長のもとに大きな仕事の知らせが届いた。地元の新聞社のハウジング年鑑の編集の仕事である。田尻課長の手腕の発揮所である。
 そこでまた組織替えが始まった。田尻課長と福島君は3ヵ月間みっちりその仕事だけをすることとなり、僕はまた一人でその他の仕事をいってに引き受けることになった。僕にとってはなにも嬉しくない決定だった。さらに嬉しくないことに、僕は10入ほどのデザイナーを部下に持ち、ディレクションの毎日となった。とても、コピーを書いている暇はなかった。コピーを書くのはいつも決まって、夜の10時以降となっていた。
「俺ももう歳だし、そろそろ辞めようかな。」ふとそんなことを考えていた。
 約3ヵ月が過ぎ、企画課はもとの平穏な形に収まった。田尻課長は大体会社のことについて分かってきたようであった。しかし、それにともない会社に対して不満も大きくなって来たようだ。それはつまり会社はお金のことしか考えてなく、良い仕事をしようとか付加価値を高めようとかは、全く考えていないことにであった。
 田尻課長の苛々は日を追う事に大きくなって行くようだった。僕も元の鞘に収まりいつも通り、マイペースでたんたんと仕事を続けて行くのであった。
 それから半年は過ぎたであろうか。また、組織替えが始まった。企画課は本社を出て別のビルに拠点を移すことになった。別のビルは本社から歩いて5分、そう遠くない距離だが、精神的にはものすごく遠く感じる。僕にとっては災難であった。僕はデザイナーと組んで初めて仕事になるタイプなのである。僕は佐々木広告社から仕事が入るたびに、本社まで打ち合わせに行く事になってしまった。苛立った。
 「今までなら1時間で終わる仕事が、30分余計にかかるんだなあ。本当に仕事がやりづ
らいよ。じゃあ、本社に打ち合わせに行ってくるからね。」
 僕はそう言い残して本社に向かった。かくいうなかれ、事実、田尻課長も福島君も仕事のはかどりが悪く、苛々は日を追う事に増していった。
 「課長、なんで俺たちだけが、こんなに不便な所で仕事をしないといけないんですか?!」
 福島君はむっとした表情でいった。
 「福島君、きっと僕らに辞めてほしいんじゃないの、会社は。僕だってやってらんないよ。企画課を作って会社の新しい核を作ってくれ、ということで入社したのに、これじゃ飼い殺しだよ。」
 「ただいま。」
 僕はこのとき本社から帰って来た。
 「八木くん。八木くんはどう思う。僕たちの置かれた立場を。」
 唐突に田尻課長はたずねた。
 「一種のいじめ、じゃないですか。本社にはいてほしくないんでしょ。夜も寝ないで慟いてこうだもんなぁ」
 僕は自虐的に言った。それからこの話は、堰を切ったように続き、約1時間程したところである結論が出た。
 「八木君、福島君、僕はこの会社を辞めて独立するよ。もうやってらんない。あした、専務に退職届をだす。長である僕が最初に辞めるのは、みんなに悪いんだけど、僕にも僕の人生があるから、きっぱり辞める。」
 田尻課長はこう言い放ってタイムカードを押しにいった。
 「あしたの朝は直接専務のところにいってくるから。それじゃお先に。」
 僕と福島君はあっけに取られていた。ようやく落ち着いた所で、福島君が何かを決断したように口を開いた。
 「八木さん。僕もこの会社を辞めます。就職先、探します。八木さんはどうするんですか?。」
 「おれ?。俺はゆっくり考えるよ。それよりもお前、行くあてがあるのか。よかったら、俺が紹介してやるよ」
 「ありがとうございます。」
 僕はこの後、自分にふりかかってくる災難も考えずに、後輩の面倒を見るのであった。
 それから2週間後、田尻課長が退職したと同時に企画課は解散した。新しく借りたビルからまた引っ越しである。僕と福島君は、本社のデザイン課のはずれに席をもらい、電話もない場所で仕事をしなければならなかった。僕は取引先を担当している手前、電話が多いのである。電話がくるたびに、少し離れたデザイナーの所へ行き、立ったまま受け答えをしなければならなかった。
 「畜生、俺に仕事をするなっていうのかよ。やってらんねえ。」
 僕は電話がくるたび怒っていた。自分も早く辞めようと思った。
 「~うちの会社に来ないか?~」
 僕は佐々木広告社の根掘部長の言葉を思い出していた。
 「八木さん、電話ですよ」
 遠くから呼ぶ声が聞こえた。
 「はい、お電話変わりました、八木です。」
 「あ~どうも。」
 「え~そうですか。大丈夫かもしれない。」
 「さっそく本人に伝えますので、よろしくお願いします。本当にありがとうございます。」
 僕は福島君を呼んだ。
 「今、製作会社のミントの本田さんから電話で、やる気があるなら面接を受けてみないか、って電話が来たんだよ。どうだ、いい話だろう。受けてみるか?。」
 「はい、ぜひとも。」
 僕はまず後輩である福島君の就職先が決まったら自分のことをやろうと考えていた。
 それから3日後には福島君はミントに就職が決まった。
 そして僕は佐々木広告社の根掘部長に会いに行き、例の話は今でも本気かどうかたずねた。
 「八木くん、やっと気が変わってくれたね。うちはいつでもOKさ。」
 心強い話だった。僕はその場で就職させてほしい旨を、今の会社の現状を交えて訴えた。製作会社から広告代理店への転職である。不安がないわけではなかったが、今の僕にとってはこれがベストの選択だと思っていた。
 それから2週間ほどして福島君は退社して行った。それを見届けるように僕は退職届を提出した。
退職届の提出から2週間後、僕は佐々木広告社に入社した。