社長の愛人

 仕事も一段落しのどかな日々を送っていたある日である。新入社員の関谷君がおもしろいものを見た、と話しかけて来た。
  「実はですね、社長が北陸社の早川という女と一緒にいたのを見たんですよ。」
  「なにそれ?。」
  「昨日、残業してたとき、もう12時も回ったころ何か駐車場で車を出している音が聞こえてたんで、変だなあって思って駐車場にいったら、社長の車が逃げるように出ていったんですよ。それで道に出てみたら、会社のビルの横に北陸社の早川がいたんです。それで僕の姿を見たら逃げて行くんですよ。そしたら、100メートル位離れたところに社長の車が電気を消して止まってるんですよ。それで早川が車に向かって走っていって、そのまま二人でどっかいっちゃったんですけど、これってあやしいですよね。」
  「怪しいね。でも、その早川って何物なの?。」
  「八木さん知りませんか。早川ってのは元フオークデュオのボリンズにいたちょっと太めの方ですよ。よく、シンドーチェーンのサテスタに出でた人で、今は毎朝新聞の情報誌「毎朝WAS」を作っている北陸社の専務をしてるらしいですけど。」
  「お前、よくそんなことまで知ってるな。」
  「僕のおやじ、某放送局にいるから、昔から芸能関係は知り合いが多くて、僕も顔見知りなんですよ。」
 「へぇ、そうなんだ、でも、もし不倫ごっこしてるんだったら許せないよな。だってこないだ檜木さんの事件があったばかりでしょ。本当だったら、とんでもないおやじだな。」
 僕は、また仕事をやる気がうせはじめていた。しかし、この話を口火にどんどん社長と早川のツーショット目撃談は続くのであった。
 僕は新田自動車の件で、青竹副部長と打ち合わせをしていた。青竹副部長は全学連世代の生き残りで、奥さんは活動家。この間南米のコロンビアから帰って来たばかりである。大体打ち合わせが終わったあたりで、青竹副部長が切り出した。
  「先週の日曜日、俺、うちの奥さんと二人で久しぶりに夕飯食いに駅前にいって、大学時代から良くいっていた汚い飲み屋に入ったら、そこにいたんですよ。」
  「だれがですか?。」
  「社長と北陸社の早川が。俺、まずいって思って、すぐ帰ろうとしたら、見つかって、こっちに来いっていわれて、嫌々一緒に飯食ったんだけど、そこで紹介されて、仕事の件で打ち合わせしてたってんだけど、どう考えても日曜の夜にあんなこ汚い店で仕事の打ち合わせする人なんて、まずいないと思うけどね。きっとデートだったんじゃないの?。」
 青竹副部長は少年のような瞳を輝かせながら、しゃべっていた。そこで僕は関谷君から聞いた内容を青竹副部長に告げた。
  「関谷それみたの?。ほんとに?。じゃ俺が見たのも本気ってこと。まあ、あの人なら考えられるけどね、それにしてもおおっびらだ。隠すと目立つから、わざとやってるんだと思うよ。」
 その話をしていたとき、そばにいた板橋君が話に加わって来た。
  「やっぱり、社長と北陸社の早川はあやしいんでしょう。僕、見たんですよ、月曜の朝。僕いつも出社時間が早いんですよ。8時半前には会社についてますから。いつもの様に会社に向かって歩いてたんですよ。そして、いつもの様に会社の裏のラブホテルの横を歩いてたとき、ラブホテルの裏口から、どこかで見たことのある女性が出できたんですよ。そのあと、社長そっくりの人が出て来て、その女性と反対のほうに歩いていったんですよ。」
  僕は半信半疑でたずねた。
  「まさかその女性が早川ってわけ?。」
  「僕の目に狂いがなければ、あの女は早川でしょう。」
  「つうことは、日曜にそのラブホテルに泊まって、月曜にそこから出勤して来たわけ?。」
  「そうだと思いますよ、社長そっくりの人の背広と、その日の社長の着ていた背広は同じでしたから?。」
 僕はいいかげんうんざりしていた。五十を越えた、いい年の社長が、芸能人くずれのたかり女に熱を上げているのである。それもニカ月前には社員を強姦した男がである。あまりのバカさ加減に、哀れみさえ感じていた。このとき、僕の頭の中に昔の会社の先輩から言われたことがジングルされていた。
  「いいか、常識なんてものは時代とともに変化するから、そんなものにとらわれるな。大事なことは、あんたの良識だ。良識はそう簡単には変化しない。」
 僕はこの言葉を思い出しながら、心の中でこうつぶやいていた。
  「良識のない社長に、良識のない社員。きっとそういう会社なんだな。ここは。」
この件は1か月もしないうちに全社員に知れ渡り、その後も何人もその光景を目の当たりにし、物議を醸し出していた。さらにこの件はたくさんのスボンサーの皆さんからも激励の電話をいただくほど、メジャーな話になっていった。