チア女子部員パワハラ 日大はなぜ「まともな対応」をしなかったのか

〈日大チア監督 パワハラ 上部組織、対応せず〉8月9日、毎日新聞朝刊(筆者=川上珠実、銭場裕司)

ハラスメント問題の語られ方が変化している。それもポジティブな方向に。

閉鎖的な組織内で力を持った人の発言が、虚偽であったとしても「事実」として広がり、被害者は泣き寝入りを強いられる――。こうした事案は全国どこでも起きているがゆえにニュースバリューは低く見積もられがちで、大きく取り上げられることは少なかった。

これまでは、である。被害者は声をあげ、メディアが検証して報じるという流れができた。変化はこう言いあらわせる。ハラスメントは「ありふれているからニュースではない」から「ありふれているからこそニュース」なのだ、と。

虚偽をもとに叱責を続けた女性監督

8月9日朝刊で私の古巣、毎日新聞が社会面トップで大きく報じた「日大チア監督 パワハラ 上部組織、対応せず」というスクープは変化を象徴している記事だった。

日大チア部でパワハラ事案が続いたのは今年2月前後のこと。部の女性監督が、手術後にリハビリを続けたいと申し出た女子部員に対し「ずる賢いばかは嫌い。証明できるものを見せなさい」と彼女が虚偽の報告をしていると決めつける発言をした。さらに全員の前で「大雪の日に事務員に頼んで練習をなくそうとした」と虚偽をもとに叱責を続けた。

記事を読む限り彼女が傷ついたのは監督の主張に同調した同期が、「反省していない」と彼女を責めたてたこと、監督が叱責の内容を訂正せず、虚偽が部内で「事実」として広がったことにある。

ところが悪質タックル問題で懲戒解雇処分となった、アメフト部の内田正人前監督が事務局長を務めていた日大保健体育審議会は解決に応じなかった。彼女は学内の人権救済機関に訴え、パワハラ認定を勝ち取る。

スクープによりチア部の監督は解任に追い込まれるのだが、疑問は残る。なぜ日大側は事実を把握しながら、まともな対応をしなかったのだろうか。「まともな対応」とは明らかに分が悪い事実を早く認め、責任をもって謝罪するという対応だ。私は「日大保体審が非論理的だから」が答えではないと考えている。

低い確率に賭ける

補助線として経済学者・牧野邦昭が『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書)で展開した議論を引いてみたい。牧野が着目するのは日米は開戦をしても国力の差が圧倒的であり、高い確率で敗北するというのは当時の指導者層にとってコンセンサスであったという事実だ。

なぜ彼らが非合理な開戦をしたのか。牧野はその要因の一つとして研究が進む行動経済学の理論を踏まえて、高い確率で敗北が見込まれるからこそ「低い確率に賭ける」決断があったと論じる。

「A:確実に3000円を支払う。B:8割の確率で4000円を支払うが、2割の確率で0円で済む」。合理的に考えて損失が小さいのはAだが、多くの人は損失の大小に拘わらずBを選ぶというのが研究の教えるところだ。人はBで起こるかもしれない2割の確率を過大評価してしまう。

当時の日本の指導者は数年後に国力が低下して確実に屈服するシナリオより、かなり少ない確率ではあるが開戦してアメリカが講和するかもしれない可能性を選んだ。日大も少ない確率であっても部員が「沈黙」するシナリオに賭けたのではないか。これまでの運動部なら監督の言うことが絶対だからだ。

人間の思考は、簡単には変わらない。8月は70余年前の「失敗」が語られる月である。だからこそ、常に「なぜ」を問い続けないといけない。「失敗」の火種は個々人のすぐそばにある。その事実から出発することが歴史から学び、いまを考えることだと私は思う。

(石戸 諭/文藝春秋 2018年10月号)