東日本大震災から8年 釜石の教訓「逃げようよ」

死者・行方不明者が1万8000人を超えた東日本大震災は11日、発生から8年を迎えた。1064人の犠牲者を出した岩手県釜石市では9月開幕のラグビーW杯日本大会が被災地で唯一開催される。昨年完成したばかりの競技場が建つ鵜住居(うのすまい)地区には、命をつなぐ教訓を伝える看板がある。「逃げようよ」。最愛の妻が行方不明になった男性のメッセージが短い言葉に凝縮されている。

【写真】震災の教訓を伝えるために木村正明さんが建てた看板のメッセージ

 津波で全壊し、高台に移った鵜住居小と釜石東中。登下校中の生徒が明るい声を響かせる通学路に木村正明さん(63)=釜石市栗林町=が立てた2枚の看板がある。

 一枚は今にも津波にのみ込まれそうなタコ、もう一枚は津波に持ち上げられて峠を越えようとしている石臼が描かれている。いずれも津波の恐ろしさを伝える勢いある作品。鵜住居町の伝承がヒントになっている。

 それぞれ添えられているのは「逃げようよ 津波の跡の 蛸(たこ)みやげ」「逃げようよ 津波で石臼 峠越え」という五七五調のメッセージ。ラグビーW杯で訪れる外国人向けに「W杯の最中に大きな地震が来ないとも限らない」と英訳も掲示。横約40センチ、縦約30センチの絵画に「忘れないで」という願いと命を守るための教訓が込められている。

 再建された学校の敷地にはかつて妻タカ子さん=当時(53)=と暮らした自宅があった。鵜住居小の事務職員だったタカ子さんはあの日、一人だけ学校に残り行方不明になった。「なぜ残ったのか」。真相を知るため市や教職員に事実確認を求めた。話し合いは11年6月から4年で計15回を重ねた。保護者からの連絡を待っていたらしいということは分かったが、詳しい理由ははっきりしていない。

 同小や釜石東中に在校していた生徒約600人は全員助かり「釜石の奇跡」の象徴的な例として称えられた。その裏で「奇跡」という言葉によって「教訓にすべき事実が消されてしまう」と危惧。市が「釜石の出来事」と表現を変える契機になった。

 現在は鵜住居から離れた集落に家を建て1人で暮らす。母光子さん=当時(81)=義母佐藤モンさん=当時(80)=も津波で失い、生活は一変。それでもタカ子さんが作ってくれた具だくさんの味噌汁をいつの間にか自分が作るようになり「母ちゃんに調教されてたんだな」と感謝する。

 絵画を習い始めたのは4年前。転機は知人が描いてくれた「シュウカイドウ」の花の絵。タカ子さんが大好きだったピンク色の花を見て、あの日から感じていなかった色を取り戻した。「震災を忘れさせない絵を描きたい」と看板の絵を完成。震災を知らない子供たちや教員にも伝わるよう鵜住居小へも同じ絵を送った。

 旧鵜住居小跡地に完成した「釜石鵜住居復興スタジアム」にも教訓を刻む。競技場そばに小さな祈念碑が建つ予定で「あなたも逃げて」という言葉を木村さんが発案した。「逃げた人が後悔することはない。誰も責めないでほしい」

 「ともかく逃げよ、自分を助けよ」という三陸地方の教え「津波てんでんこ」のように浸透を願っている。

 《死者1万5897人、各地で追悼式》東日本大震災は発生から8年。8日現在の警察庁のまとめでは岩手、宮城、福島の3県を中心に死者は1万5897人、行方不明者は2533人に上る。11日は午後2時46分の発生時刻に合わせて、全国各地で追悼行事が行われる。

 10日も被災地では祈りがささげられた。岩手県山田町では、震災で犠牲になった消防団員9人の慰霊碑が建立された。除幕式で佐藤信逸町長は「津波に立ち向かった勇気ある行動を継承する」と述べた。85人が亡くなった福島県いわき市平豊間地区では追悼式があり遺族ら約300人が参列。夫の年泰さん=当時(77)=を津波で亡くした金成晁子さん(81)は「災害を忘れず過ごしていく」と誓った。