令和“発祥の地”太宰府、市長は歌碑建立に前向き

新元号「令和」の引用素となった「万葉集」の「梅花の歌」が詠まれたとされる“発祥の地”福岡県太宰府市も沸いた。万葉集から初めて元号が選ばれたことを受け、この日は全国から報道陣が殺到し、市の職員も対応に追われた。楠田大蔵市長(43)は、新元号の引用元となった序文の歌碑を建立することに前向きな姿勢を見せた。

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楠田市長は新元号が発表された時、この日市役所に入庁したばかりの新人に講話をしており、その中で新元号についても報告した。講話が午後12時過ぎに終わると、全国の知人、関係者から「由来があるらしい」と情報が入り「あっ、そうなんだ!」と、新元号発祥の地となった状況を理解したという。そして午後4時に市内で緊急会見を開いた。

太宰府は、7世紀後半に置かれた対百済、新羅など対外防衛、外交の拠点で、8世紀に入ると九州全体を治める機能を持つようになった。その長官「帥(そち)」として、728年(神亀5)に太宰府に赴任したのが、歌人としても名高い大伴旅人だった。旅人は730年(天平2)正月13日に自宅で役人らを招き、梅の花を題材にした歌会「梅花の宴」を開いた。そこで詠まれた三十二首の序文「初春の令月にして気淑よく風和らぎ」から「令和」が新元号に選ばれた。

「梅花の歌」三十二首のうち11首は、市内の大宰府政庁跡含め各所に歌碑が作られているが、序文の歌碑はない。楠田市長は「序文が分かるような、何かを作る必要性はあると感じています。ご期待もいただいている」と、歌碑の建立を検討し始めていることを示唆した。既に市長のフェイスブックへの直接の連絡、市への電話など含め、新元号に関する問い合わせが100件以上も来ており、その熱意に応えるつもりだ。

歌碑などを建立する場合、簡易なものであれば予備費などを充てることも可能だが、大規模な石碑になった場合は予算が必要で、6月の定例市議会にかけなければならない。それでは5月1日の改元初日には間に合わない。楠田市長は「5月1日に元号が変わるので簡易的なものを作る考えもある」と説明。まずは大宰府政庁跡にある、旅人の邸宅跡とされる坂本八幡宮の境内に、近日中に序文全文を掲載した看板などを設置する方向で調整が進められている。

楠田市長は「新元号という大切なものとご縁ができ大変、ありがたいし誇らしく、うれしいこと。歴史的に防衛拠点だった太宰府の成り立ちもアピールしていきたい」と力を込めた。【村上幸将】