韓国の「親日派清算運動」が永遠に続くと言える理由

「韓国の反日言動には必ず意図がある」。韓国・ソウル生まれのノンフィクションライターで、この度『韓国・「反日フェイク」の病理学』を上梓した崔碩栄氏はそう主張する。去る3月1日、抗日運動記念日で「親日残滓清算は、あまりにも長く先送りされてきた宿題だ」と発言した文在寅大統領の真意を、崔氏が読み解く――。

「親日残滓」とはいったい何か

<尊敬する国民の皆さん、親日残滓清算は、あまりにも長く先送りされてきた宿題です。誤った過去を省察した時に、我々は共に未来に向かっていくことができるのです。>

これは去る3月1日、文在寅大統領が3.1節の記念辞として述べた内容だ。3.1節は1919年に朝鮮半島全域において起こった抗日運動を記念するもので、8月15日の光復説(終戦記念日)と共に韓国大統領の記念辞から政権の対日観をうかがえる日でもある。

これらの行事における記念辞の内容は、日韓両国関係の「現状」をうかがい知ることのできる一つのバロメータともなっている。両国関係が良好な時には、過去の歴史に触れながらも未来志向的な内容が強調され、両国関係が悪化していた時には執拗に被害、苦痛の歴史を強調する内容が発表されてきた。

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今年の3.1節は、前年末のレーダ照射問題、新日鉄(現・日本製鉄)の戦時動員労働者に対する賠償判決問題などにより、日韓関係が最悪と言われる状況だった。韓国のみならず、日本政府、そして日本のマスコミもこの日の記念辞には注目していただろう。

ここで語られたメッセージが冒頭の「親日残滓清算」である。文在寅大統領は「親日残滓」という言葉を4度も使い、これを清算しなければならないと強調した。文大統領が強調した「親日残滓」とはいったい何を意味するのだろうか?

韓国に残る日本由来の制度、文化

韓国においては、既にずいぶん前から「日本残滓を清算しよう」という運動が行われてきた。日本の残滓とは日本統治期(1910-1945)に朝鮮半島に導入された日本式制度、言語、風習、文化のうち、終戦後にも韓国に残り韓国人の生活に大きな影響を与えてきたものをいう。

別の言葉で表現するのであれば(それが肯定的なものであれ、否定的なものであれ)日本統治時代の「遺産」ともいえる。日本残滓清算運動とは、これらを排斥しようという一種の反日民族主義的な性格の運動である。

確かに、日本式文化は終戦以降にも韓国に根深く残り、韓国人の生活のみならず思考にも大きな影響を与えてきた。例えば、行政、教育、経済、軍事、産業などの現場において今なお使用されている用語の大部分は日本から入ってきた用語を韓国語読みにしたものであり、あるいは日本語の発音そのままに使用されているものもある。

例えば、「満タン」や「飯場」、「傷(韓国ではギス)」などは日常生活でも頻繁に使われる言葉である。言葉だけではなく、衣食住においてはもちろん、芸術や娯楽、さらには、職場や学校内での上下関係といった人間関係においてまで、日本文化の影響はもはやどうしようもないほどに大きい。

はっきり言っておくが、これは韓国人が日本風、日本式のものに憧れたり、好んだ結果ではない。朝鮮の近代化と日本の朝鮮統治が同時期に起こったからだ。近代化の産物である法、社会制度、学問、技術、文化が日本を通じて導入されることになったのだ。仮に、朝鮮における近代化という大きな変革の波が米国によって朝鮮半島にもたらされていたのなら、韓国には米国式の制度や言葉、風習などがしっかりと根付いていたことだろう。

終戦後日本人が引き上げ、韓国内で反日感情が一斉に爆発した時期、日本式の制度、文化を利用し、享受することは社会的な非難を受けるようになった。「日本統治時代が懐かしいのか?」といったような感情的な批判がなされ、日本が残した遺産は即ち「罪悪」と見られるようになったのだ。

やがて日本統治時代の遺産は無条件に「清算」の対象になった。それらの中は韓国人の嗜好や好みに合い、多くの国民が自ら好んで行っていたものごとも含まれていた。

私の近著 『韓国「反日フェイク」の病理学』で詳しく述べたが、例えば韓国で「国民的遊び」と言われてきた花札、春ともなれば家族や友達と桜の下に集う花見、飲み屋で多くの大人たちに愛唱されてきた演歌風の歌、日本料理、などである。これらは多くの韓国人が楽しんできた遊びであり、趣味であり、楽しみそのものであったのにも関わらず、それらを楽しむことが社会的批判の対象となった。

その批判のために使われるようになったレッテルこそが「親日派」という言葉だ。日本の文化を楽しむことは親日派たちがやることであり、親日派は批判を受けて当然である、というのが当時の雰囲気であった。

除夜の鐘にIZAKAYAに…

1968年の韓国の月刊総合誌『新東亜』3月号に興味深い記事があった。「日帝残滓は清算されたのか?」というテーマで行われた大学教授4名による座談会を記事にしたものである。

彼らは「(日本の)文化的要素は長らく韓国人の思考や行動様式に影響を与えた」と憂慮し、「日本の教育を受けた私たちが早く死んでいなくならなければならない」などという自虐的、また過激な発言までが飛び出していた。それほどまでに「日帝残滓」の清算は韓国人にとって簡単には片づけられない「課題」であったということだ。

それでは、この記事が出てから50年が過ぎた現在はどうだろうか?「日帝残滓清算」という運動は数十年間に渡り行われてきたが、今も韓国社会には日本統治期の「遺産」が社会のあちこちに残っており、終戦後時間の経過と共に忘れられかけていたものまで、近年になって復活したりしている。これが終戦後70年以上を経た韓国社会の現在の姿だ。

例えば、大晦日の除夜の鐘は依然として韓国において国民的な行事として、日本よりも盛大に執り行われる一大イベントして定着している。なかでも最も有名なソウル市の鍾路というところで行われる除夜の鐘の行事には毎年10万近くの人が集まり、この行事のために地下鉄が特別延長運行を実施するほどだ。

また、日本の葬式でよく見かける白と黒の縦幕である「鯨幕」は、韓国の歴代大統領らの葬式、追悼式などでもほぼ毎回と言っていいほど登場するし、最近では日本式の花祭壇が広がりを見せている。

花札は全国のコンビニどこでも売られているし、日本のビールと日本酒の消費量は年々伸びる一方だ。

また、韓国は空前の和食ブームで、都会の繁華街ならどこででも「IZAKAYA」と書かれた看板と店名を見つけられる。それに、雰囲気を出そうとしたのかメニューが日本語で書かれている日本料理店も少なくない。

50年のも長い間、無くそう、無くそうと言い続けてきた結果がこれである。もしかして韓国人は「日帝残滓」を嫌っているのではなく、望んでいるのではないだろうか?と疑いたくなってしまうほどだ。

「親日清算」の本当の意味とは

今回、文在寅大統領が3.1節の記念辞で使用した「親日残滓清算」とは、数十年間行ってきた「日本残滓清算」がより具体化され、強調されたものである。それは、日本の「遺産」を排斥しようというよりも、「人間」、即ち「親日派」とその子孫を清算しようというものだ。一般的に韓国で「親日派」とは日本統治時代に行政、軍、警察の高官を務めた人、戦争協力者など「過去の人」を指す言葉だ。

だが、一つの疑問が浮かんでくる。1945年の終戦時、弱冠20歳の青年だった人は、既に90歳を超えている。この世を去った人も少なくない。では文大統領のいう清算すべき「親日派」とはいったい誰のことを指しているのだろうか? 現在の韓国において「親日派」とされる人がどのくらいいるのか。なぜ大統領は親日清算を「宿題」という大仰な言葉で表現したのだろうか? という疑問だ。

文大統領のいう「親日」とは、実は文在寅政権の「反対勢力」、即ち、朴槿惠前大統領の弾劾により与党から野党へ転落した保守勢力を指す。現在の与党とその支持勢力、即ち韓国の左派勢力は既に、李明博、朴槿惠の時代から保守勢力に「親日派」というレッテルを貼り、反日感情が強い国民を煽り立ててきた。

李明博元大統領は独島(日本名、竹島)上陸や天皇謝罪発言で、朴槿惠前大統領は「(韓日の)被害者と加害者という立場は千年が流れたとしても変わらない」といった発言で日本においては反日大統領だというイメージが強い。

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しかし、これとは対照的に韓国内においては親日派、あるいは親日派の子孫だという攻撃を受けてきた。その理由は、実のところ、二人とも保守系の政治家であるということによる。親日派批判は韓国の左派が独占使用する強力な政治道具なのである。

現政権のこのような「親日派攻撃」は北朝鮮とも連動している。北朝鮮もまた李明博、朴槿惠を親日派だと断じ非難してきた。それだけではない。最近では韓国与党と同じ、「土着倭寇」(自生的な親日派という意味)という新しい表現を使って、北朝鮮が韓国の保守野党を攻撃している。北朝鮮と現韓国与党の共通の敵こそが清算の対象になる「親日残滓」、つまり韓国の保守右派なのだ。

韓国が「日帝残滓」を清算することができない理由

韓国は数十年間に渡り「日帝残滓」を清算すると言い続け、一般国民たちが楽しんでいる日本文化や風習を罪悪視してきた。だが、一方で既に定着し、万人が楽しみ、利用する除夜の鐘、葬礼風習などについては何の批判も、清算の声も聞こえてこない。自分たちにとって目障りな対象を叩きたい時だけ「日帝残滓」というレッテルを使っているのだ。

文大統領が言及した「親日残滓」も同じである。それは日本に対する無条件反射的な反発ではなく、韓国内の政治的敵対勢力を批判、非難するための政治的用途の「レッテル」だ。そのことを明確に示している事例は与党の院内代表である洪永杓議員に対する沈黙だろう。

文大統領は今年の3月「親日をしたら3代がぜいたくに暮らすという言葉がある」とし、「それを正すことが祖国のすべきこと」と発言している。しかし洪議員の祖父は 朝鮮総督府で中枢院参議を務めた人物で洪議員こそ代表的な親日派の末裔だ。にもかかわらず、彼は与党の幹部を勤めている。だが彼に対し「親日清算」とか「3代がぜいたくに暮らす」といった批判の声は上がらない。結局、親日残滓清算とは反対派にだけ限定される魔法のようなものだ。

私は韓国で日帝残滓、親日残滓の清算運動は簡単に終わらないと思う。なぜならば、それは日本と親日派が憎いからではなく、韓国人同士の争いの中で生まれた「憎しみの表現」に過ぎないからだ。

たとえ誰かがその残滓を一掃したとしても、韓国人は再び清算すべき新しい「日帝残滓」や「親日残滓」を作り出すだろう。自分たちの新しい敵を攻撃するために。