東日本大震災の津波で被災した宮城県七ケ浜町と、能登半島地震の被災地・石川県七尾市との交流が広がっている。名前に「七」が付く縁で、町民有志が復興支援に出向いたことがきっかけになった。町は震災直後から神奈川県鎌倉市七里ガ浜の住民に支援を受けた経緯があり、町民たちは「『七』でできたつながりを能登半島にも広げたい」と「恩送り」の思いも語る。(塩釜支局・佐藤駿伍)
3・11後は神奈川・七里ガ浜から災害応援
七ケ浜町の有志は10月下旬、「震災から復興した姿を見せるのが一番の復興支援になる」として七尾市の20代の若者5人を町に招いた。震災以降に整備されたカフェや宿泊施設が立つ花渕浜地区をはじめ、菖蒲田海水浴場や町民らが「おはじきアート」を施した代ケ崎浜地区の防潮堤など町内各所を案内した。震災当時の様子や復興の経緯を説明し、復旧を遂げた松島湾のカキ養殖現場も訪れた。
5人のうち、七尾市で実家のカキ養殖など水産業に携わる宮本崇弘さん(24)は「元日の被災でひび割れた道路や崩れた七尾のまちから、復興する姿をイメージできなかった」と打ち明ける。七ケ浜の被災地を巡り「どう復興したのか、地元に持ち帰って役立てたい」と話した。
七ケ浜町と七尾市の交流は、町民有志が復興支援のボランティアで発災直後に同市を訪れたことがきっかけで始まった。その後も町民が避難所や現地の祭りを訪問するなど関係が続く。背景に、七ケ浜町が震災当時に受けた恩がある。
鎌倉市七里ガ浜の住民が「名前が似ている」との理由で「七里ガ浜発七ケ浜復興支援隊」(七七支援隊)を発足させ、町内に何度もボランティアで訪れた。
七ケ浜町のボランティアリーダーで町職員の荻野繁樹さん(62)は、「七ケ浜は七七支援隊に非常に励まされた。恩送りの意味も込めて、少しでも力になりたかった」と七尾市を訪れた経緯を振り返る。
七七支援隊との交流は現在も続いており、一緒に七尾市に赴いたこともある。「震災で被災した分、被災者の悩みや不安に気付ける。七ケ浜と七尾市、七里ガ浜の三つの『七』が重なり、喜びにつながればいい」と期待を込めた。