3月11日のこと

3月11日PM1時30分。
昨日のマンションの競合プレの結果が電話で知らされる。
「良かったじゃないですか・・・。」
嬉しい電話だった。これからし忙しくなるなぁ。そんな気持ちを胸に抱いて、電話を切った。
3月11日PM2時。
僕は某携帯電話会社のVPの制作を6本請け負っていて、その初校を届けるのが今日。で、大手広告代理店である仙台H堂さんにいる。
簡単な試写と説明が終わり、何事もなくその場を離れた。
実は年明けからずっと忙しすぎて、髪を切っていなかったので、仙台H堂さんをでて、まっすぐいつも行く会社の近くの床屋さんに行った。
2時30分。
いつものように70近いおばあちゃんが僕を迎えてくれて、いつものように冗談を言いながら髪を切っていた。半分くらい切ったところだろうか、突然そいつはやってきた。
おっ、地震だねぇ。
うん?。
大きいんじゃない?。
おばあちゃん大きいよ、これ。
ぼくとおばあちんは、床屋さんの水平になる椅子を水平にして、その陰に身をひそめた。
立っていられないほどの揺れ。
ドドドドドドッッッという地鳴りの音。
窓が外れてきて、ものが倒れてきた。木造平屋の床屋さんは、不気味なきしみ音に包まれた。
5分くらい経った頃か、やっと揺れが小さくなった。
すごかったネェ。
そとには、周りのオフィスビルから次々と会社の人が出てきて、
道路の真ん中に集まっている。
僕も外に出ようとしたら、おばあちゃんが、「まだ半分しかやってないから
恥ずかしくないようにしてやるから、ちょっと待って。」
と、そそくさと髪を切ろうとした。
水平にした椅子は停電でそのまま。
余震が続く中、何度かびびりながら、なんとかとりあえずカットは終了した。
おばあちゃんは、あんた、急いで会社に戻りなさい。と、促された。
ぼくは、おばあちゃんに、礼を言って、その場を離れた。
「こんな恐ろしい地震の時に、一人じゃなくてよかったよ。おばあちゃん。」
会社のビルに到着した。倒壊はしていなかったが、いろいろとひび割れが・・・。
停電でエレベータは使えず、しかも、階段には水が滴っていた。豪雨のように。
屋上のタンクが破裂したな、と思った。
真っ暗の階段をのぼり、3階にあるぼくの会社へ。
ドアを開けると、そこはぐちゃぐちゃ。
書庫が倒れ、足の踏み場もないくらいに。
ぼくのデスクでは、PCが落ちていて、机のコーヒーがこぼれて
その辺がコーヒーだらけ・・。
悲しくなった。そして、妻と娘のことが浮かんできた。
大丈夫だろうか?。
ぼくは、余震があまりにも多く、電気のつかない事務所は怖いので
ぐちゃぐちゃはそのままにして、会社の通帳と、現金、実印をもって、会社の下の駐車場に行った。
隣の会社の人たちがいた。
そとで、皆と話しながら、いろいろと電話をしまくったが、
殆ど通じず、誰とも連絡はつかない。
メールも通信できず、途方に暮れてた。が、ツイッターはなんとか生きているみたい。
ぼくは、ツイッターに無事を書き込んだ。
友達からも返信が・・・。
地震の時のライフラインはツイッターですな。
そんなこんなで、突然猛吹雪に・・・。
泣きっ面に蜂とはこのことか?。大人だけれど、泣きたくなった。
雪がやむまで30分くらい駐車場で待った。
事務所に営業用の自転車があることを思い出し、3階から担いで持ってきて
それで家に向かった。
自転車で僕のマンションに向かう。
途中、東の方から黒い煙が上っているのを見た。悪い予感。
少しして、家に着いた。あわただしく避難しようとするマンションの人たち。
僕は妻と娘を探した。マンション内の友達同士で避難所である小学校へ行こうとしている途中だった。
と言っても、情報が何もない。
当然、マンションも停電でガスが止まっていたが、水は奇跡的に出ていた。
家の中は、全く被害ない。とりあえず、免震マンションの価値ありか。
そういえば、僕はマンションの管理組合の役員なので、
とりあえず、そちらに合流して、住民の避難とかを指示しないと・・・。
で、家にあったワンセグテレビを付けてみると、そこには恐ろしい映像が。
仙台空港が流される映像とか、津波が来ている映像とか、千葉の石油会社のタンクが燃えているとか、
とにかく凄まじい映像だった。
とりあえず、女性や子供、お年寄りは避難所に避難させることにした。
近くの中学校へ連れて行ったが、体育館は寒く、人が座れるようなスペースもなく
混乱していた。しかも、全く情報もなく・・・。
僕の奥さんと子供をそこに残して、マンションに戻った。もう、夜になっていた。
管理組合の理事さんたちと話して、どう考えても、うちのマンションの方が安全だし、温かいし
集会所を開放して、そこを仮設の避難所にしようと決定。
避難所に行っていた人たちを呼び戻しに行った。
空には、見たことのないほどのきれいな星が見えた。
僕は懐中電灯を持って走って行った。懐中電灯の明かりがこんなにも明るく見えたのは初めて。
その途中で、妻と子供とその友達親子が帰ってくるのに遭遇。
皆、寒くて揺れるし狭いし、うちのマンションの方が安全だ、ということで戻ってくる途中だった。
なんとなくほっとした。
そんな時、うちの娘が大きな声で叫んだ。
「すっごいきれいなお星さまだよ!!。皆見て!!」
そこには、南十字星とかいろいろな星が浮かんでいた。プラネタリウムでもこんなには見えまい。
街の灯りがないと、こんなにも星が見える物なのか。文明を少し恥じたが、この感動は忘れられない。
あんな恐ろしい地震を体験して、避難までしているのに、こんなに無邪気な娘。
お前はみんなの元気の源だ。
しばらく星に見とれながら、我が家に到着。
マンションの集会室で、その日は過ごした。余震はひどく眠れたものじゃなかったが・・・。

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