「不気味な“人口減少実験室”ニッポンで、いま起きていること」を仏紙が列挙

ちょうど50年前、日本は世界で最初に出生率が人口置換水準を下回った。それ以来、頑なに移民の受け入れを拒否し続けた結果、この国はいま、世界にとって「混じりけがない人口減少」のサンプルになっている。

「この区画分けした芝生が、集合住宅のようなものだと想像してみてください」。そう話す井上治代(いのうえ・はるよ)は、死後の住宅の管理人だ。

井上が代表を務めるNPO法人「エンディングセンター」は、孤独な日本人の生前と死後の支援をしている。このセンターの墓地は一ヵ所ごとに数百人を受け入れていて、亡くなった会員はそこで死後、再会することになる。いわば目に見えない小さな分譲地を割り当てられているのである。

桜の木が茂る美しい墓地を前にして、井上は「死の助産師のようなものが必要なのかもしれません」と哲学的なことを言う。

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日本の人口減少がどのようなものか、その必然的な結果として、生ける者がどれほど孤独に取り巻かれているのか──多少なりとも、この言葉からそれを察することができる。

「消滅した星」

なんと悲しい50周年だろう。日本人の出生率が、人口置換水準である女性一人当たり「2.07」人という数字を下回ったのは、1974年のことだった。その年以来、一歩また一歩と人口減少の歩みを続けている。人口統計学者たちが見守るなか、かつては土台が安定した形だった人口ピラミッドが、砂時計のようにひっくり返りつつある。

日本国際交流センターの毛受敏浩(めんじゅ・としひろ)が挙げる数字によると、「毎年平均して470校以上の公立学校が閉校し、1000km以上のバス路線が廃止になっている」という。さらに、日本では2020年代末までに550万人が亡くなり、その次の10年間ではさらに730万人が亡くなるだろうと予言する。

新潟では、フランス人現代芸術家クリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンが、この新時代の先鞭をつける作品「最後の教室」を作った。廃校になった小学校に「生まれなかった子供」が集まり、そこで蠟燭のように電球が瞬くというものだ。

転落の一途をたどる日本─その「独創性は、従順性を上回るまでには至らない」

政府が発表した速報の推計値によると、2023年の日本の出生数は75万8631人だった。これはフランスの2022年の数字とほぼ同じだが、日本の人口はフランスの2倍だ。

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まだ日本から人がいなくなったわけではなく、事実はそれと程遠い。1億2300万人という人口は世界第12位。だが、目に見えて高齢化が進んでいる。本来若者が担うはずの身体を使う仕事も、ここでは従事者の年齢がますます上がってきている。

農業従事者の平均年齢は67歳で、自衛隊員は平均36歳だ。医療業界では、介護士の年齢が患者の年齢と数年しか違わないということがよくある。引っ越し業者もマンションの警備員も年老いていて、レストランのウェイトレスの手は節くれ立っているが、これはまだ始まりでしかない。

2024年に残業規制が厳しくなって就業機会がさらに減るために、経済学者たちはこの年が「衝撃の年」になると考えている。配達員、労働者、医師もさらに少なくなるだろう。どの業界も人手不足に直面しているのである。

日本の大都市がこの変化の波に覆い尽くされたかといえば、まだそうではない。消滅した星はしばらく光を放ち続けるものだが、それと同様に、いまもまだ人々は新聞配達のバイクの音で目を覚まし、あちこちにあるコンビニエンスストアは24時間営業を続けられている。まだ従業員が確保できているガソリンスタンドも多くある。

いつまで現状を維持できるだろうか。「もうとても手が回りません」と東京の中心地にある高級ホテルの支配人は嘆く。料金に見合うレベルのサービスを維持するために、ホテル業務を大幅に縮小することを強いられた。

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そのすぐ側にある複合商業施設に行くと、昼食時に店を開けていないレストランがあることに気づく。ホールスタッフが足りないのか、食材の配達が間に合わなくなったのか、あるいは客が来なくなったのか……。郵便局はもう土曜日の配達をやめてしまった。

最新技術で何とかなるのではないか、ロボットが使えるのではないかと思うかもしれないが、そもそもサービスを享受できる人が少ない。ロボットの使用はかなり限定的だ。

そして、日本のような国は例外ではないのだ。ここは、世界的な出生数減少の最前線。サハラ以南のアフリカ以外の世界は、人口置換水準を下回ろうとしているのだから。

日本が他の国とは違う点

国連によると、歴史上最大の出生数はおそらく2013年にピークを迎えたらしい(「ピークチャイルド」と呼ばれる)。これが世界人口減少の第一段階になるだろう。そればかりか、世界人口の「指数関数的下落」の前触れだろうと統計学者のスティーヴェン・ショーは予言する。ショーは、この現象により近くで立ち会うために東京に居を定めた。

彼が作ったドキュメンタリー『バースギャップ』は、子供が少なくなった世界を一周するものだが、その出発地点が日本だ。「女性一人当たりの出生率が1.4を下回ると、日本、ドイツ、イタリアのような国は、3世代で出生数が70%減少する」とショーは言う。

このなかで日本は一点において他の国と違っている。それは、移民を執拗に拒否し続けているという点。一時的な移民も、労働力としての移民も拒んでいるというところだ。

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「日本がこんなにも興味深いケースであるのはそのためです。外国人を拒み続けていることから、混じりけがない人口減少が見られます」とショーは分析する。

この人口減少は、予期せぬ結果を生んでいる。唯一数が増えている人口区分は65歳以上だが、政府がもっとも配慮しているのはこの層であり、晩年期の生活を支える資金の捻出に心を砕いているのだ。

こういった背景において、他者の負担になるのは高齢者ではなくて子供だということになってしまった。東京で、騒音の種になる保育園を開くのはデリケートな問題で、それはパリにごみ捨て場を作るのと似たようなものだと思われる。

「DQN TODAY」というサイトでは、うるさい子供がどこの通りにいるのか事細かにあげつらわれている。「キックボードに乗った子供たちがわがもの顔で遊歩道で遊んでいて、変な声で叫んでいるので騒がしくて大変です」という投稿が典型的なものだ。

人口と反比例して増える孤独

人口が減少すると、必然の理として孤独な人が増える。この問題については、「孤独・孤立対策担当大臣」という役職まで作られたが、それほどまでにこの問題は社会をむしばんでいるのだ。日本の人口はどんどん減っているのに、孤独な人はどんどん増えている。村の景色は人気(ひとけ)なく、都市の景色は味気なく、いずれにおいても孤独な人々は中心部の周りにますます集中することになる。

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もはや老年を田舎で暮らすことは考えられない。高齢者たちは中心街で暮らすことを好むが、それは村にはなくなってしまった医療施設や商店があるからだ。世帯数は減っているが、一人世帯の数は増えている。

賃貸住宅の平均面積は小さくなり、同じく消費財もより小さなサイズで売られるようになった。レストラン、ホテル、旅行会社は“お一人様”向けに商品やサービスをアレンジし、シャンパンやワインもハーフボトルで売られるものが増えた。

いっぽう、ペット市場規模は爆発的に拡大している。犬は800万匹(註:最新の実態調査では、700万匹弱)、猫は900万匹で、子供の代替物になった。ペットは子供のようにカートに乗り、服を着て、いやいやをしたりするのだ。

買い物も社会活動も自分だけの楽しみになった。銭湯はかつてコミュニケーションと情報交換の場だったが、いまやおしゃべりを控えることが求められている。カラオケボックスの経営者もこの流れに合わせている。カラオケはもともと歌を歌って楽しい時間をともに過ごすものだが、いまは一人カラオケの場が提供されている。おかげで客は自分だけのために歌うことができるのだ。

さらに、昨今日本は香水ブームだが、これもまた孤独の傾向を表す例だ。このブームは、新型コロナウイルスの流行を機に始まった。「日本人は自分の家で香水をつけることが多いのですが、それは日常に彩りを添えるためであって、家の外で自分が通ったことを残り香によって示す他の国の人とは違うのです」と、日本ロレアル代表取締役社長、ジャン=ピエール・シャリトンは指摘する。

「死」の西洋美術史─死神から映画まで、死の表現はどう変化したのか

「墓友」

この孤独がもっとも悲痛なものになるのは、死を前にしたときだ。社会規範やしきたりを重んじる日本社会において、死はかつて親族が丁重に取り扱うものだった。「墓の世話と死者の弔いには33年かかります。この伝統はきわめて独特な社会関係の上に築かれています」と文化人類学者のアン・アリスンは説明する。彼女は2023年、この問題に関する本『もう一つの死に方』(未邦訳)を発表した。

彼女が語るには、日本の住民はかつてみんなが「縫い合わされていた」のだという。人々は生者も死者も互いにつながれていて、国家にも天皇にもつながっていた。たった一人で死に直面した場合、死は「場違い」なものになってしまう。

そのために、孤独死した死者の家を清掃する需要があることを見越した産業が生まれた。この未来ある業界を率いる会社「キーパーズ」が謳うように、こういった会社は「遺族の代わり」に最期に備えるのだ。

では、「まだ若かった故人」はどうなのだろうか。仏壇、仏事、墓のお供え(故人が好きだった果物や花など)によって、死者は常に日本の家において特別な位置を占めてきた。

孤独な人々の死後の魂は「つながりを失った魂」になるとアン・アリスンは語る。役所の棚には6万個もの引き取り手のない骨壺が並び、いつか墓に埋葬されるのを待っている。

遠からぬ未来に故人と呼ばれるようになる人々は、いつでも井上治代のエンディングセンターを訪ねることができる。孤独な3900人の会員は「墓友」と呼ばれ、死を前にして顔合わせする。

おしゃべりをし、軽食を共にし、「もう一つの我が家」で知り合うようになる。それは墓友のためにつくられた一軒家だ。墓友たちは和やかな雰囲気のうちに入棺体験をおこなう。そうして町田の墓地の桜の木陰に埋葬されるのを待つ。

死が訪れてやっと、みんなと一緒になれるのだ。

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