傘寿間近の老将は経験を武器に奇策を決め、若き指導者は徹底した「分業制」を披露。世代交代真っ只中にある高校野球界を象徴する大会となった今夏。新旧の名将、それぞれの信念が聖地で激突した。
ベンチで立ち続ける79歳の老将
この夏は明徳義塾(高知)の馬淵史郎(67歳)や県立岐阜商業の鍛治舎巧(72歳)など、優勝候補と目されていた名門校の名将たちが地方大会で姿を消した。一強時代を築いてきた大阪桐蔭も、大阪大会決勝でライバル・履正社に敗れた。
一方で、春夏あわせて35度目の甲子園出場を果たしたのが岐阜・大垣日大の阪口慶三だ。
今年5月に79歳になった老将は、初戦の近江(滋賀)との試合中、ベンチの端に立ち続けた。3回には2ストライクと追い込まれてからスリーバントスクイズのサインを出して40勝目をたぐり寄せ、自身が持つ史上最年長勝利監督の記録を更新した。
Photo by iStock
「立って指揮しなければ選手に失礼でしょう。80歳、90歳、100歳になっても監督を続けたい」
愛知・東邦を率いていた時代に「鬼の阪口」と呼ばれ、昭和野球の権化だった阪口は、お立ち台に腰掛けてそう笑った。
灼熱の甲子園で、小刻みに身体を震わせながら采配を振るう阪口には鬼気迫るものがあった。今なお勝負勘や度胸は衰えぬことを阪口は甲子園で証明し続けた。
人生と野球は同じ
2回戦のおかやま山陽戦では、前戦に続きスリーバントスクイズを決め、タイブレークでは一死一、二塁から重盗(ダブルスチール)を敢行、相手捕手の悪送球によって1点が入った。
「打って得点するのと、重盗を仕掛けることによって相手捕手のミスを誘発することを天秤にかけた。長いこと野球をやっていれば、同じような場面に何十回と遭遇する。ただ人生と同じで野球も成功ばかりじゃない。必ず失敗もあるもんだ」
選手の適正ポジションを見抜くのも阪口の慧眼だ。今春のセンバツまで一塁を守っていた高橋慎の強肩を買い、捕手に抜擢。扇の要となった高橋は阪口にとって長女の三男、つまり孫である。
60歳以上も年下の球児からしたら、お釈迦様ならぬ、仏の阪口の掌の上で転がされている気分かもしれない。おかやま山陽戦では、孫の高橋が1点をリードされた8回にソロ本塁打を放って同点に追いつくも、タイブレークに入った10回裏の守りでは高橋のパスボールと本塁への悪送球で一気に逆転サヨナラ負け(3対4)した。阪口にとっては天国と地獄を味わった気分だろ
「まさかこんな結末になるとは思わなかったが、これが高校野球であり、甲子園。こんな素晴らしいゲームができたことを幸せに思う。でも勝たないといかんから、残念だ」
甲子園からの去り際、昭和・平成・令和の3元号で勝利を挙げた阪口に、「引退」の2文字が頭をよぎることはないのか、と訊ねた。すると阪口は目を見開いて、シンプルな2文字を口にした。
「ない」
選手のために鬼に徹する
大垣日大のグラウンドあるいは球場のベンチが死に場所―阪口はそう肚に決めているのだろう。
今大会において、阪口に次ぐ年長監督が専大松戸(千葉)の持丸修一(75歳)だった。
2投手を起用して7対5と競り勝った東海大甲府(山梨)戦では「3ボール2ストライクからストライクで勝負できない投手は起用できない」と話し、MAX151kmのエース右腕・平野大地を起用せず。そして3回戦の土浦日大(茨城)戦では、先に6点のリードを奪いながら、6対10で逆転負けした。この試合でも平野を救援に向かわせることはなかった。
その理由は、敗退後に判明する。平野は7月に入ってから右手の指先にしびれを感じ、コントロールが定まらなくなっていたのだ。一般的に投手の指のしびれといえば、血行障害が疑われる。投手生命にかかわる危機だ。が、平野は病院には行かず、快復するのを待った。最後の夏を棒に振りたくなかったからこそ、診察を避けたことは想像に難くない。持丸は言った。
「ケガから守るために投げさせないと判断したわけではない。チームスポーツである以上、特定の個人のための戦い方は選びません」
鬼に徹した言い方だが、将来のある平野に対する持丸の情が、起用を断念させたのだろう。持丸は「エース不在でよくここまできた」とナインを讃え、平野は「自分を育ててもらった監督が誰よりも自分のことをわかってくださっている。不満はありません」という言葉を残した。
監督の前でスマホをいじる
老将たちが甲子園を去るなか、快進撃をみせたのが若き指揮官たちだ。
昨夏の甲子園で初優勝を果たした仙台育英の須江航(40歳)は、令和時代のニューリーダーだ。
年を重ねるばかりの指揮官に対し、指導を受ける球児は15歳から18歳と不変で、年齢差は広がるばかり。その点、須江のような青年監督と球児のコミュニケーションはベテラン監督らに比べれば”密”となる。
3年前の冬、仙台育英の監督室にて、驚きの場面に遭遇した。当時のエース・伊藤樹(現・早稲田大)が須江から練習メニューの指示を受けていたのだが、その内容を右手に持ったiPhoneにメモしていた。当然、伊藤の視線は須江の目ではなく、スマホの画面に注がれることになる。
k
監督を前にすれば選手は直立不動で、指示を受ければ大声で返事をするというような、高校野球の先入観を覆す光景だった。スマホにメモした内容は他のナインにも共有されるのだろう。
また、今夏の宮城大会決勝で先発したエースの高橋煌稀は、試合前夜に須江とLINEし、先発を告げられたと話していた。先発の伝達はある種、部内の儀式。それが個人間のLINEでやりとりされるのも新時代の盟主たる仙台育英ならではのコミュニケーションだ。
大阪桐蔭などは学校の校則で携帯電話を持つことすら許されず、監督との一番のコミュニケーションツールはアナログな野球ノートである。当たり前に携帯電話が普及したとはいえ、監督と球児のデジタルな関係性は令和の時代であっても稀だろう。
「週刊現代」2023年8月26日・9月2日合併号より
後編記事『「自分より能力の高い選手に何を与えられるか」「慶應では監督を監督と呼ぶ者はいない」…勝利し始めた高校野球の“令和の指導者”たちは選手にどう向き合っているのか』に続く。