『ファイナルファンタジー』が安定収益すぎる理由、ドラクエすら超える“商売の秘密”

『ファイナルファンタジー(以下、FF)』と言えば、日本RPG史に残る名作である。累計出荷本数・ダウンロード数は約1.6億本と、スーパーマリオ・ポケットモンスター(約4億)に次いで日本では3位、世界では10位前後に入る超人気シリーズである。そんな本作の前には、常にライバルである『ドラゴンクエスト(以下、DQ)』の存在があった(現在はどちらの作品もスクウェア・エニックス)。今回は、追いかける立場にあったFFが、なぜDQを上回ることができたのか、そして今なお安定的に収益を上げることができているのか、その理由に迫りたい。 【詳細な図や写真】FFシリーズ歴代最大のヒット作とは?(次のページで詳しく解説します)※映画:Box Office Mojo、家庭用:各作品の発表出荷本数、モバイル:上位20作品の他社パブリッシュのFFブランドアプリも含めた売上推測額(WebゲームはIRのモバイル売上推移よりアプリゲームの消費額から逆算して代入)、MMO:IR資料

FFの強敵「ドラクエ」の凄さ

 FFは、誕生してからこれまでの間、どのように販売実績を伸ばしてきたのだろうか。1987年に発売されたFF1は、初回出荷で30万本強を売り上げている。当時のファミコンカセットは1本あたり3,000円程度のROMカートリッジ代を開発会社が払い込み、事前に任天堂に生産委託する必要があった。  30万本と言えば、それだけで10億円、売れずに余れば当然ながら自社の死蔵在庫になる。ソフト開発費に100万~1,000千万円(あるいは数億円)がかかるという当時の開発規模から考えると、ゲームビジネスは開発や流通以上に「製造」が高リスクの商売であり、しかも発売半年前にはその本数を見込みで発注しなければならない制約も手伝い(売れたものを後から追加発注すると2~3カ月遅れになってしまう)、人気はあっても在庫切れになって結局売れなかったという事例も珍しくなかった。  FF1の発売開始1年前の1986年末、DQ1(約150万本)によるRPG大ブームがあった。そうした後押しもあったとはいえ、当時のスクウェアの経営体力を考えれば、30万本という初回出荷本の用意は、かなりのチャレンジだったと考えられる。最終的には累計51万本の販売となったが、FF2が約133万本売れたことを考えると、それでも機会損失はあったのかもしれない。  FF1と同時期に発売されたDQ2が240万本、1988年末のFF2の時には社会現象となったDQ3(約380万本)。300~400万部売れていた集英社の週刊少年ジャンプの『ドラゴンボール』作者の鳥山明氏と手を組んでいたDQは、常にトリプルスコアでFFを圧倒する“遠い背中”であった。

いつFFはDQを越えた? プレステ時代に起きた大変革

 それでは、FFにとって悲願のDQ越えはいつ達成できたのだろうか。それは、約328万本を売り上げたFF7(1997年)であり、DQ6(1995年)の320万本を超えた時期だ(DQ7は開発遅延を繰り返した2000年に406万本で記録を抜き返している)。また、同時にプレイステーション(以下、PS)が任天堂一強時代に終止符を打ち、ソニーグループが一大コンソールプラットフォーマーとしての地位を確立した時期でもある。  PSが約1000万台出荷していた1997年1月、FF7が単体でまたたくまに300万本越えとなったのだ。PSがあったからFF7が売れたのか、FF7があったからPSが売れたのか分からないほどだ(その後、PSは1998年末には約3000万台弱まで到達)。  実際に、ソニー・コンピュータ・エンターテイメント(以下、SCE)は「FF7、プレステで始動!」というテレビCMを発売の1年前から大量に投入するほどに乾坤一擲(けんこんいってき)の作品だったと言える。  なお、このFF7がリリースになる1997年1月に、エニックス社はDQ次回作(DQ7)がNintendo64ではなく、PS向けに出されることが発表する。PS販売数1000万台突破記念パーティーの席上で挨拶を行ったSCE代表の丸山氏は、まるで大物アーティストが移籍してきたかのように、声を詰まらせて「ドラクエに来ていただいて…」と喜びを表していたという(山下敦史『プレイステーション 大ヒットの真実』日本能率マネジメントセンター1997)。  また、『僕たちのゲーム史』(2012、星海社)の中でも、著者さわやか氏は「『長いゲームの歴史を、どこか一カ所で区切ってくれ」と言われたら、僕なら1997年を選びます』と語っている。  それは、1997年がFF7という伝説的タイトルの誕生した年でもあることに加えて、DQまでもが参入してPSが盤石化した年であるからだろう。さらには任天堂が『NINTENDO64』を値下げ&それまでの流通の根幹となっていた初心会の解散を決定したほか、セガとバンダイの合併も表明されるなど、ゲーム業界大激変の年でもあったのだ。  FF7が今を持ってなおFFシリーズ屈指の人気を誇るのは、純粋な物語やキャラクターだけでなく、こうした半世紀にわたるゲームの歴史における画期的な分岐を象徴する作品でもあった、という影響もあるかもしれない。

FFとDQの出荷本数を比較、なぜFFは安定収益型なのか

 FFとDQの違いを如実に表すのは「海外展開」だろう。国内だけで言うと、実はシリーズナンバリング順で見れば、FFはDQに勝ったことが1度もない(FF8の369万本は4年後に出たDQ8の370万本にわずか1万本の差で負けている)。だが海外を含めると、この立ち位置ががらりと変わってくる。  FFは実は海外での売上が大きく、モバイルなどへのシリーズ派生87作品(「最もタイトル数が多いRPGゲーム」としてギネス世界記録)という数もあり、累計出荷本数ではDQシリーズの0.8億本(2021年時点)にダブルスコアの差をつけている。  この差が付くまでにはどのような変遷があったのか。たとえば、初期ファミコンでは海外化(≒北米展開)には時間がかかり、DQ1(日本1986年/海外1989年)、DQ2(1987年/1990年)、DQ3(1988年/1992年)、DQ4(1990年/1992年)といったように、海外版のリリースは、日本版リリースの2~4年後となっていた。  同じくFFもFF1(1987年/1990年)、FF2~3(海外発売なし)といったように、初期こそDQと似た状況だったが、FF4(1991年/1991年)、FF5(1992年/1992年)、FF6(1994年/1994年)と、それ以降はほとんど半年以内のタイムラグで英語版をローカライズして北米市場で出し続けている。  結果だけで言えば、FF7の国内328万本/海外644万本で、その実績は顕在化するが、この1990年代前半からはじまっていたスクウェアの海外向けの姿勢こそが、DQ発売するかいなかで100~300億と売上が乱高下するエニックス社と、FF7以降700億円越えの安定業績をたたき出し続けるスクウェア社の差を分けた原因と考えられる。  FF8以降は国内出荷本数だけで言うと「減少」の一途をたどり、これは日本の家庭用ゲーム市場のトレンドとほぼ連動している。1999年発売のFF8の369万本をピークに減り続け、大成功と言われたFF15ですら国内は130万本、ピーク時のほぼ1/3になってしまっている。  FF7という「海外での大ヒット作」がなければ(この20世紀末は戦隊シリーズ、セーラームーン、ポケモンやハローキティなど、米国で一大日本ブームが起きていたことも大きい)、FF10(2001年)の海外500万本という記録的な数字は起こりえなかっただろうし、FF7がいかに海外ゲーマーにとっても特別な作品だったかは、2020年に出たPS5向けのFF7リメイクが国内143万本、海外357万本という数字にも表れている。

歴代最大の売上はどの作品?FFシリーズの超重要な転換点

 そんなFF7を凌駕し、シリーズで最も利益を出した作品が存在する。それは2002年にMMORPG(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロールプレイングゲーム:インターネットを介して数百人規模のプレイヤーが同時参加できるオンラインゲーム)として発売されたFF11である。発売以降、10年間売れ続け、2012年時点で累計400億円の「営業利益」をたたき出し、“FFシリーズで一番の孝行息子”と語られるまでになっている(2012年11月6日開催スクウェアエニックス社第二四半期決算説明会概要)。  発売当初は200万本売れないと失敗と言われたFFシリーズにおいて、初回出荷はたったの12万本。2年かけて有料会員もようやく50万人であった。しかし、それが10年もすればFF7やFF10をゆうに超える利益を稼ぎ、そして20年が経過する今なお現役の作品なのである。  2012年に出されたFF14は2弾目のMMO作品であり、それがFF11の記録を打ち破って最も 稼いだゲームとなっているが、ここにDQ10(2012年)もあわせたMMO3タイトルと数十本のモバイルタイトルで2021年に稼いだ営業利益は589億円。詳細は不明だが、この2年低調気味のモバイルタイトルを除いても利益が上がり続けているのには、特にFF14のアップデートが大きく貢献していることがIR上でもうたわれている(FF11、FF14、DQ10のそれぞれの利益割合は出ていないが、非公式統計でDQ10の人口15万人、FF14で120万人と言われている。『FINAL FANTASY VII REMAKE』を出した2020年に比べて低調推移すると思われたデジタルエンタテイメント事業だが、2021年12月の『ファイナルファンタジーXIV』の月額課金会員数が大幅に増加し、前年比でむしろ増益となった)。  オンライン化もCG化も、スクウェアはその盤石な財務基盤をベースに早期から手掛けてきたようだ。坂口博信氏が「これからは、3DCGの中に人が入り込んでプレイする時代になる、その前にまずは3DCGのゲーム・映画を作るんだ」としてスクウェアLA(ロサンゼルス)を作ったのが1995年、さながら25年前のメタバース構想のようだ。  その後、LAで盲腸になってしまった坂口氏が「どうもロスは方角が悪い…ハワイで作ろう!」となり、米国からも日本からもCGが使える開発者をとにかくハワイに渡航させ、200数十名のスタジオを作ってしまったという(岡本吉起ゲームch「スクウェア出身者にFFシリーズ立ち上げ期の貴重なお話を聞きました(シリコンスタジオ梶谷社長対談)」)。  当時「スクウェア・ハワイのせいで日本でCGのCMが作れなくなった」と言われるほどの勢いで、そのままハリウッドに向けて映画を制作。映画『FINAL FANTASY:The Spirits Within』は当初40億円予算だったところ、結果的に138億円がかかり、日本で10億円、全世界で8,500万ドルの興行収入となり(制作側に残るのはその3~4割)、結果的には半分も回収できない状況だったようだ。  だが映画こそ大きな成功とは言えないかもしれないが、この2001~2002年の時期のエニックス統合前のスクウェアの試行錯誤は、今もスクウェア・エニックス・ホールディングスの盤石な体制につながっている。  PCベースのゲームが主流の中国や韓国と異なり、日本ではPS2という家庭用ゲーム筐体をベースにMMORPGが生まれ、FF11(2002年5月)と『信長の野望ONLINE』(2003年6月)が高額な開発コストとサーバー維持費のハードルを乗り越え、一定のポジションを確立。この一度入ると人が抜けにくいMMOの構造上、遅れて参入したナムコ(テイルズオブシリーズ)・コナミ(ときめきメモリアルシリーズ)などは続かず、今なお日本でMMORPGを継続して開発し続けているのはこのスクウェア・エニックスとコーエーの2社に限られる(小山友介『日本デジタルゲーム産業史 増補改訂版: ファミコン以前からスマホゲームまで』人文書院2020)。  家庭用が成功しすぎていた日本では、MMOゲーム化のメリットが小さかったとはいえ、現在のSteam市場の活況と家庭用ゲーム業界がサブスク化により盤石な成長市場に転化している傾向を見ると、そのほかのゲームメーカーにとっては、逃した魚はあまりに大きかったと言えよう。

FFが作り出した経済圏の内訳(図解)

 最後に「ファイナルファンタジー」としてのキャラクター経済圏を総括してみる。国内中心で200億近い売上を上げていた1990年代前半、海外も含めて600億円圏に到達した1990年代後半。そこから2000年代ではリリースタイトル数の減少で一度は縮小トレンドに入るも、2010年代にはいってモバイル(Web)ゲーム・MMOによる回復、そして10年代後半に入るとモバイル(アプリ)・MMOで躍進し、2020年ともなると過去最高の1,200億円にまで到達している。  この10年間シリーズとして1作しか新作が出ていなくても、過去のリメイク、MMOのアップデートとアプリ派生タイトルの新作によって、キャラクター経済圏としては1997年の「ゲーム業界の大分岐点」の倍以上の成果を出すことができるのだ。その経営としての実績は、2020年に入ってスクウェア・エニックスHDが過去最高の時価総額に到達していることからもうかがいしれる。  来たる2023年6月は、ついに7年ぶりとなる(過去ナンバリングが出るまでの期間としては最長)最新作FF16が遂にリリースされる。すでに絶好調と言えるFFシリーズが、このFF16を経て、どれほど醒めることのない“最後の夢”の果てを更新し続けてくれるのか、まさに注目に値するタイミングである。

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