「温かみがない」「餌を出されているよう」「これってエコじゃないのでは?」――そんな感じで、すき家の“ディストピア容器”がディスられている。
ご存じない方のために説明をすると、ディストピア容器とは、すき家の一部店舗でちょっと前から食事の提供時に使用されているプラ容器や発泡スチロール容器、紙皿などの「使い捨て容器」のことだ。従業員の作業負担軽減のためとのことだが、これに一部の客が文句を言って、SNSで「ディストピア」(反理想郷、ユートピアの逆)などと揶揄(やゆ)されたことから、ディストピア容器という言葉が生まれたのである。
すき家の山かけまぐろたたき丼(出典:すき家の公式Webサイト)
個人的には言い得て妙だなと感心する一方で、こういう「安さ」を売りにしている外食企業の取り組みにいちいちディストピアとかなんだとかケチを付ける風潮こそが、日本を「安くて貧しいディストピア」にした元凶のような気もしている。
ここまで日本が貧しくなってしまったのは、人口減少で日本のGDPの約7割を占める「内需」が盛り上がらないからだ。これは消費税をゼロにしても解決しない。年収5000万円の富裕層からすればお得な話なので特定の市場は潤うが、年収300万程度の低所得者層はもともと消費が少ないので「コロナ禍のバラマキ」と同じでほとんど意味はない。おかずが一品増えるか、預貯金が増えるだけだ。
では、どうすれば解決するのかというと、「稼ぎ」を増やしていくしかない。つまり、賃上げである。2022年時点でOECDの主要先進国中、日本の賃金は最も低く、ドイツやカナダの7割弱、米国の約半分という水準だ。OECDの平均値を下回るだけでなく、イタリアや韓国の水準も下回る。
低賃金と日本特有の風潮の関係
なぜこんなに日本だけ賃金が低いのかというと、実は日本人の7割が働き、日本のGDPの7割を占めている「サービス業」に対して、異常なほど「安さ」の圧力が強いからだ。ここに筆者は「ディストピア容器」をディスる日本特有の風潮も関係していると思っている。
単刀直入に言わせていただくと、「安い店で大したカネも払わないくせに高品質・高サービスは過剰に求める」というモンスター客が異様に多いのだ。そのため「安くて高品質」を実現するためどうしても、現場の労働者が「低賃金で重労働」を強いられてしまうのである。
そう聞くと、「消費者が品質やサービスを求めるのは当たり前だ」というお叱りが飛んできそうだが、筆者は「それがいかん」と言っているわけではない。そこまで品質やサービスを求めるのなら、客側もそれなりの対価を払わなくてはいけない。そこで「安さ」まで求めるのは、店側に労働者を犠牲にした消耗戦を強いることになる。それが全国津々浦々で日本経済を冷え込ませている、と申し上げたいのだ。
主要先進国は日本と違って着々と賃上げができているのは、消費税をゼロにしたわけでも積極財政をしたわけでもない。社会全体が「値上げは仕方がないこと」で、「じゃあ賃上げもしょうがない」という好循環が生まれているからだ。
東京大学 渡辺努教授の研究室で、米国や英国などにおける先進国の消費者と日本の消費者に対して「スーパーでいつも買う商品が値上がりしているのを見たときどうするか」とアンケートを行ったところ、米国や英国などの消費者は値上がりをしていても、やむなしと受け止め、高くなった商品を買うという答えが多かった。
しかし、日本の消費者は多くが、その店で買うのをやめて、元の価格で売っている別な店を探すと回答した。世界トップレベルで「安さ」に執着しているのだ。だから当然、「安さ」を売りにしている日本の外食チェーンは、世界トップレベルのコストカットを強いられる。
「並盛430円」のスゴさ
ご存じのように、すき家をはじめとした日本の牛丼チェーンは、世界的な牛肉の需給不足により価格高騰に加えて、企業の社会的責任から「賃上げ」も加速していかなければいけない。その流れの中で、いまだに「並盛430円」という常軌を逸した「安さ」をキープしている。
これは普通に考えたらスゴいことだ。あらゆる無駄な作業、余分なコストを削って効率化を極めないと達成できない。
そんな牛丼チェーン各社が「まだここが削れたか」と手を付け始めているのが「食器洗い」である。
牛丼屋でバイトをした経験がある人ならば分かるが、食器洗いはかなりの重労働だ。ただ食器洗い機にぶち込めばいいというものではなく、丼に米がこびりつくので「浸漬槽」に浸すなど「工程」が多いのだ。こういう重労働に従業員の時間と体力が奪われるのは、経営的にも効率が悪いということで各社が試行錯誤を続けているのだ。
食洗機に入れる前に食器を1枚1枚浸漬層に浸して汚れ取る(出典:プレスリリース、以下同)
例えば吉野屋は2024年3月、ロボットベンチャーの「FingerVision」(フィンガービジョン、東京都江東区)と食器洗浄ロボットを共同開発して、国内約1200店舗で導入していくと発表した。もちろん、これは現場の負担軽減が目的だ。
汚れた水の中から多種多様な種類の汚れた食器を取り出し、ラックに乗せるロボット
一方、「客の善意」で従業員の負担軽減を目指すのは松屋だ。こちらでは最近、客が食べ終わった食器を返却口まで運ぶ時、食器やコップ、箸、食べ残しなどの細かい「仕分け」をする形態の店舗がある。要するに、社食のようなスタイルなのだ。
「世界一安くて品質の良い牛丼」を食べられる日本人
このように各社が「食器」にまつわる現場の負担軽減を検討している中で、すき家の場合は「使い捨て容器」だったというわけだ。
確かにエコの観点からは時代に逆行する取り組みではあるが、従業員は浸漬槽に食器を浸す工程もないし、食器を食洗機に並べなくてもよいし、洗い残しがないかを目視する必要もない。その作業がごそっと消えた分、調理や商品の提供にリソースを集中できる。
こうした「安さ」と「現場負担軽減」を両立した取り組みに、企業側がどれだけ知恵を絞っているのかを少しでも理解すれば、プラ容器に盛られた牛丼を見てもそう簡単に「餌かよ」「味気ない」なんて文句は出てこないのではないか。
食器を下げて、残飯を捨てることも、その食器を浸漬槽に浸けることも、それを取り出して食洗機に並べることも全て労働者が行う。当たり前だが、そこには全て賃金が発生する。日本人はサービスを水と同じように「タダ」だと思っているが、「きれいな食器」を客に出すのもそれなりのコストがかかっているのだ。
そして、このように低賃金で重労働をしてくれる労働者のおかげで、われわれは「世界一安くて品質の良い牛丼」を気軽に食べられるというわけだ。
牛丼チェーン3社の価格とアルバイト賃金を比べてみると
この構造は牛丼チェーン3社の牛丼並盛の価格と、アルバイトの賃金を見れば分かりやすい。松屋は牛丼並盛が400円だったが、7月16日に値上げをして430円になった。すき家も430円、吉野家は468円と一番高い。
牛肉価格が高騰しているという「ミートショック」だなんだと言っている間に、ここまで安い牛丼が食べられることは本来、異常なことだ。日本の消費者は「牛丼屋が安い牛丼を提供するのは当たり前っしょ、もっと企業努力しろよ」という感じで、この異常な低価格を当たり前のように享受しているが、そのしわ寄せは「現場」にいっているのだ。
その一端が分かるのは、牛丼チェーン各社の東京・新宿エリアの7月16日時点の時給だ。
パート・アルバイト採用ページを確認すると、吉野家の新宿京王モール店は「時給1400~1750円」と最も高い時給で募集をかけている。すき家の新宿南店は「時給1350~1688円」、松屋の新宿1丁目店は「時給1200円~」となっていた。
「安い外食」をキープし続けるには原料を安く仕入れるなどのコストカットだけではなく、「現場の何か」を犠牲にしなくてはいけない、というシビアな現実があるのだ。
犠牲になっているのは……
その1つが、すき家の場合は「使い捨て容器」だったというわけだ。かつて「ワンオペ」の問題もあったので、いくら「安さ」のためとはいえ「人」を削っていくことはできない。そこで苦肉の策として、「人の作業」を削るようになったというわけだ。
今は一部店舗のみだが、これから牛肉価格が上がって、最低賃金も引き上げられていく大きな流れも控える中で、「牛丼並盛430円」なんて異常な低価格をキープするにはさらなる「犠牲」が必要だ。全店舗が使い捨て容器になっていくかもしれない。
このように「安い外食」というのは、現場で働く人やサービスを犠牲にして成り立つ現実がある。そういう搾取の構図を「庶民の味方!」「コスパ最強!」とかありがたがっているうちは、日本の賃金が上がっていくこともない。いつまでもたっても貧しいままだろう。
「これで500円? 高すぎるもう行きません!」と文句を言ったり、1000円もしない牛丼チェーンで「使い捨て容器なんて味気ない、ディストピアかよ」と皮肉を言うことは、全て特大ブーメランになって、われわれの脳天に突き刺さっている。
「もっと安くて、もっと品質の良いものを提供せよ」――。もっともらしいことを言っているようだが、実は「もっと企業は、労働者を法外な低賃金で使い倒せ」と叫んでいることに等しい。
毎年約59万人の人口が消える日本では近い将来、「安さ」と「多さ」にフォーカスしたビジネスモデルは成立しなくなる。かつてセブン‐イレブンの成長を支えたドミナント戦略(同一商圏内に集中して出店する戦略)はその代表だ。
それは牛丼チェーンも同様だ。そのため各社、カレー、うなぎ、定食という感じで客単価を上げるメニューを拡充している。
「安さ」でファンをつくってきたビジネスモデルは、「安さ」から抜け出そうとすると強烈なアンチが生まれるのが常だが、そこにくじけることなく、ぜひ「高齢化社会にフィットした牛丼チェーン」という成功モデルをつくっていただきたい。