人の記憶はあてにならない。なぜ人の脳は、事実を正確に記録しないのか。神戸大学大学院の増本康平准教授は「経験したことの詳細まで長期間、記憶できる超記憶力を持つ人もいる。だがそういう人は、記憶を忘れられずに苦しんでいる。私たちは記憶を書き換えることで現実に対応しているからだ」と解説する――。
※本稿は、増本康平『老いと記憶 加齢で得るもの、失うもの』(中公新書)の一部を再編集したものです。
■なぜ「起こっていないこと」を「起こった」と信じるか
以前、同窓会で同級生たちと修学旅行の話で盛り上がったことがあります。私は風邪をひいて、その修学旅行に参加できなかったのですが、ちょっとしたいたずら心で、あの時はこうだった、ああだった、と、さもその時に一緒にいたように相槌を適当に打ったりして会話に参加していました。
同級生たちは私の言動も気にならないようで、自然に受け入れていたのですが、その後に私がその修学旅行に参加していないとネタバラシをしても、まったく受け入れてくれません。私は確実に参加していないのですが、実際には起こっていないことを起こったと信じて疑わないのです。なぜ、そのような現象が生じるのでしょうか。
これまでの記憶に関する認知心理学研究は、私たちの記憶は驚くほどあてにならず、あいまいで、時には本人も気がつかないうちに偽の記憶を作り出すことを実証してきました。
あなたが今読んでいるページを写真のように記憶できるのは数ミリ秒(1ミリ秒=1000分の1秒)、聞こえる音をそのままの音として記憶できるのは数秒程度です。物理的に存在する情報をそっくりそのまま記憶できる期間はあまりにも短く、すべての情報を覚えることは驚異的な記憶の持ち主でもない限り不可能です。そのため、覚えたい情報のみを取り出し、その情報には何らかの意味づけを行う必要があります。また、意味づけられた情報も時間とともに詳細が思い出せなくなり、大まかな粗筋だけが残ります。
■見ていないはずのを“ガラス”を「見た」という
偽りの記憶(虚偽記憶)研究の第一人者であるロフタス博士は、私たちがどれほど都合よく記憶を変容させるかを実験によって鮮やかに示しています。
彼女の実験では、参加者に交通事故のビデオをみてもらいました。その後、一つのグループには「車がぶつかった(hit)時のスピードはどれくらいでしたか?」と尋ね、別のグループには「車が激突した(smashed)時のスピードはどれくらいでしたか?」と尋ねました。
激突したという言葉で聞かれたグループは平均で時速10.46マイル=時速16.83キロメートルだったのに対して、ぶつかったという言葉で聞かれたグループは、平均で時速8マイル=12.87キロメートルと回答し、同じビデオをみていたのに聞き方を変えただけでスピードの評価には統計的に有意な差がみられました。
また、この実験の一週間後、参加者に対して、一週間前にみた事故のビデオで、「割れたガラスをみたかどうか」を尋ねたところ(実際には割れたガラスは存在しませんでしたが)、激突したという言葉で尋ねられたグループでは、ガラスをみたという回答の割合が高まりました。
■記憶は「後から聞いた情報」で変化する
毎年、私の講義でも学生に記憶のあいまいさを実感してもらうために、同じような実験を行います。ロフタス博士らの実験と異なるのは、半分の学生には「この事故で運転手が亡くなりました」、もう半分の学生には「この事故では運転手は軽傷で済みました」とビデオのあとに表示し、事故を起こした車のスピードを予測させることです。
運転手が亡くなったという情報を与えた場合は、回答の平均時速は約60キロメートル、軽傷で済んだという情報を与えた場合は平均時速40キロメートルと、同じビデオをみていても20キロメートルもスピードの評価が異なります。
このように、後から与えられた情報による記憶の変化は事後情報効果と呼ばれ、記憶は後から与えられた情報とつじつまが合うように変化することを示しています。そして多くの場合、記憶の変化は意識せず生じます。
■“偽物の出来事”を「覚えている」と言う
とはいえ、この実験は実際に車が衝突するビデオをみせ、その事実についての評価が変わったというだけです。心理学者はこのような記憶の変容だけでなく、ちょっとした情報を与えるだけで、まったく経験しなかった記憶が形成されることも明らかにしています。
たとえば、ロフタス博士らが行った別の実験では、参加者が幼少期に経験した4つの出来事を提示しました。3つは本当にあった出来事ですが、1つはまったく経験していない偽物の出来事で、5歳の時にショッピングモールで長時間迷子になり高齢の女性に助けられた、というものです。参加者は、それらの出来事について覚えている内容を書き出すように、また覚えていなければ「覚えていない」と書くように指示されます。
この段階で、24人の参加者のうち、7人が経験していない偽物の出来事を覚えていると回答しました。その後、一週間から二週間の間隔をあけ、二度、4つの出来事の詳細とどのくらい覚えているかをインタビューしました。そうすると、偽物の記憶は思い出す回数が増えるほど、記憶の鮮明度の指標が向上したのです。
この研究は、人が経験していない出来事を記憶していることがあり、かつその経験していない記憶を思い出す回数が多いほど虚偽記憶が鮮明になることを意味しています。これまでの実験から、溺れて死にかけたがライフガードに助けられた、ディズニーランドでバッグス・バニーと握手した(バッグス・バニーはワーナー・ブラザースのキャラクターなので、ありえない話です)といった、さまざまな経験していない記憶が形成されることが示されています。
■鍛錬された兵士でも「誤った記憶」を作り出す
そして、このような幼児期の記憶だけでなく、後から情報を加えることで、トラウマになるほどの出来事、たとえば、捕虜となり暴力や尋問を受けた相手の顔すらも、確信をもって誤った選択をすることが示されています。
アメリカ海軍の訓練で戦争捕虜となることを経験するものがあります。30分の間、尋問者から一人で尋問を受けるのですが、訓練の一環とはいえ、尋問者の質問に答えなかったり、要求に従っているように見えない場合は、顔面を叩かれたり、腹部にパンチを受けたり、無理な体勢を強いられたりと身体的懲罰をも伴います。
尋問の間は尋問者の目をみることが求められ、尋問される側は確実に尋問者の顔を眺めることになります。尋問が終わった後、独房に隔離され、顔写真を渡され写真を見るように指示を受けます。写真をみている間に、「尋問者があなたに食べ物を与えましたか?」など尋問に関する質問を行います。渡された写真は尋問者とは違う人物のものです。
その後、尋問者の写真を選択するよう求められると、9割の人は後でみせられた偽物の写真を選びました。偽の情報や特定の行動へと誘導するプロパガンダに対して抵抗できるよう、訓練を受けた兵士でさえも、虚偽の情報に晒されることで誤った記憶を簡単に作り出すのです。
■記憶は一体何のためにあるのか
そして、この虚偽記憶は記憶力が低下していなくてもみられます。パティス博士は、1987年10月19日の出来事を尋ねられると、「月曜日で株式市場の暴落の日だった」というように、すぐに何が起こったのかを思い出せるような極端に優れた自伝的記憶の持ち主20名と、平均的な記憶力を有する38名の対照群に対して、虚偽の情報によって記憶の歪みが生じるのかを検討する実験を行いました。その結果、驚異的な記憶の持ち主でも、一般的な記憶力の持ち主である対照群と同じように誤情報によって誤った記憶を想起したのです。
記憶が経験したことを正確に記録していないという前提に立つと、記憶は一体何のためにあるのか? という疑問が生じます。私たちが一般的に考えている記録するという役割以外の機能が記憶にあるとすると、その機能はどのようなものなのでしょうか。そして、加齢とともに記憶の役割はどのように変化するのでしょうか。
■「驚異的な記憶力」を持つ人の苦しみ
経験したことをすべて記憶し、正確に思い出せる人と比較することで、記憶が書き換えられることにどのような意味があるのかを知ることができます。
経験したことの詳細まで長期間、記憶できる超記憶力を持つ人は世の中に少なからずいます。神経心理学者であるルリヤ博士が報告したシィーと呼ばれる男性は、これまでに報告されてきた超記憶力の持ち主の中でも、特に優れた記憶力を持ち、記憶できる量に際限がありませんでした。彼は、70以上の単語や数字を一度みただけで正しい順序ですべて記憶できただけでなく、10年後、16年後もその情報を正確に思い出すことができました。
ルリヤ博士はシィーの驚異的な記憶と、その背景にある原因を明らかにするだけでなく、そのような驚異的な記憶が人生にいかなる影響を及ぼすのかについても記録を残しました。シィーは、忘れるために紙に書き出して丸めてゴミ箱に捨てたり燃やしたりするほど、情報を忘れられずに苦しんでいました。
■記憶は「正確に情報を記録」するものではない
また、私たちは複数の情報の特徴をまとめたり、抽象化したりすることが容易にできます。しかし、このような抽象化やカテゴリー化は私たちの記憶があいまいだから可能なのです。
シィーはあまりにも情報が鮮明に記憶として保持されるので、複数の情報をまとめたり、共通する情報を取り出したりすることができませんでした。会話でも、事柄の細部や副次的な情報の追憶にとらわれ、その内容は果てしないほど脱線したそうです。さらに、頭の中で形成される記憶のイメージが鮮明すぎて、空想と現実の区別がつかず、頭の中の鮮明な像が現実と一致しないために、必要な行動をとれないこともありました。正確で驚異的な記憶の持ち主の人生は、バラ色の人生と言えるものではなかったのです。
記憶力が維持されている若い世代においても記憶は書き換えられ、正確な記憶の持ち主が普通の生活すらままならないことは、私たちの記憶が正確に情報を記録するためのものではないことを示しています。
———-増本康平(ますもと・こうへい)
神戸大学大学院 人間発達環境学研究科 准教授
1977年、大阪府生まれ。2005年大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。日本学術振興会特別研究員、大阪大学大学院人間科学研究科助教、島根大学法文学部講師を経て、2011年神戸大学に着任。スタンフォード大学長寿センター客員研究員。専門分野は、高齢者心理学、認知心理学、神経心理学。