なぜ日本は「コロナ禍」を終えられずにいるのか。精神科医の和田秀樹さんは「日本の高齢化率は断トツで世界一。そして人は高齢になると前頭葉が委縮し、変化を好まなくなる。つまり日本人の多数が前例踏襲思考に陥っているのだろう」という――。
日本のコロナ対策はなぜ変わらないのか
欧米では、前回の記事で紹介したような「マスク禍」を議論の俎上(そじょう)にのせたうえで、「マスク着用義務解除」の方向に政策の舵を切ったわけです。
日本の報道を見ていると、欧米では「マスクをかけない自由」を求める“頑迷な”権利意識から、マスクをしない人が多いようにも思えますが、現実には、マスクの得失を十分に考慮した判断から、脱マスクの方向に方針変更したという側面が注目に値するのです。
一方、わが国といえば――一向に舵は切られません。
ワクチン接種率では、すでに欧米を上回っていますが、「そろそろ、マスクを外そう」という議論はあまり耳にしません。テレビを観ていても、マスクのデメリットが語られるシーンをほとんど目にすることはないのです。
なぜ、事態が変化していても、日本は変わることができないのでしょうか?
それは、残念ながら、この国が老いたからでしょう。高齢化が国民全体の脳を萎縮させ、政府も国民も「変化を好まなくなった」というのが、私の見立てです。
「超高齢化」日本人の平均年齢は47.7歳
「老大国」という言葉がありますが、わが国が本当に「大国」かどうか、いや「大国だった」かどうかは、議論が分かれるところにしても、日本という国が今や「老国」化していることは間違いありません。
日本の高齢化率(総人口に対する65歳以上の人口の比率)は、2021年現在、世界で断然トップの29.1%。2位のイタリア(23.6%)、3位のポルトガル(23.1%)を大きく引き離しています。わが国は、一国だけ異次元の高齢化状態に達しているといってもいいでしょう。
そして、国民全体の平均年齢は47.7歳(2022年の推計値)。むろん、これも世界一の数字です。国民全体のちょうど真ん中になる中位数年齢は48.7歳ですから、国民のほぼ半数が50歳を超えようとしています。このような国は、古今東西、世界に例がありません。
私は、この超高齢化が日本人が「変われない」ことの主因だと見ています。
人の脳、とりわけ「前頭葉(ぜんとうよう)」は、40歳を超えると、目に見える形で縮みはじめます。
私は、30年間以上、高齢者医療に携わるなか、CTスキャンやMRI画像による脳の断層映像を5000枚以上は見てきました。その経験からいうと、加齢によって、前頭葉は目に見えて縮んでいくのです。
医学の教科書の解説図のように、頭蓋骨(ずがいこつ)内に脳がぎっしり詰まった状態を保てるのは、よくて30代までです。
40代からは、脳が萎縮しはじめ、頭蓋骨と脳の間に黒く写る隙間ができはじめます。なかでも、前頭葉の萎縮が進行します。
前頭葉は、大脳皮質(だいのうひしつ)の前方部にあって、大脳のなかでも、創造性や意志・意欲、変化への対応など、高次(こうじ)の精神機能を司っている部分です。その前頭葉が萎縮し、劣化すると、創造性や意欲が低下し、変化を好まなくなります。
同じ店ばかりに行くようになったら要注意
その傾向は、日常の行動にも表れ、たとえば若い頃はいろいろな飲食店を食べ歩いていた人が、行きつけの店でしか食事をしなくなります。
あるいは、若い頃は、いろいろな作家の小説を読んでいた人が、同じ作家の本ばかりを読むようになります。雑誌にしても、いろいろな種類の雑誌を買っていた人が、『文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう)』や『週刊ダイヤモンド』あたりを定期講読して、同じ雑誌ばかりに目を通すようになります。
ただし、これらの行動は、知的能力の減退を意味するわけではありません。知能指数が落ちているわけではないのです。『文藝春秋』や『週刊ダイヤモンド』を読み、理解する力は落ちていないのですが、他の雑誌に興味を示さなくなるのです。
そうした傾向全体を私は「前例踏襲思考」と呼んでいます。前頭葉の萎縮によって、変化を好まなくなる。その結果、「前例踏襲をよしと考える」傾向です。
政治やコロナ対策に表れる前例踏襲思考
話が飛ぶようですが、私は、前例踏襲思考は近年の「投票行動」にも表れていると思います。
安倍晋三政権は、森友学園問題や桜を見る会問題など、スキャンダル続きの政権でしたが、結果的に史上最長の政権となりました。このことにも、私は、国民全体の前例踏襲思考が表れていると思います。変化を好まない人が増えた結果、何があっても安倍政権に票を入れ続ける人が多数派を形成し、政権が継続し続けることになったのです。
私は、コロナ禍を起因とする「自粛禍」の悪影響によって、日本人の脳はさまざまな方向に劣化したと思いますが、そのいわば「自粛禍脳」の素地として、超高齢化による国民全体の前頭葉の萎縮傾向があったわけです。コロナウイルスはその背中を押し、進行スピードをアップさせたのです。
そのコロナ禍脳の一症状である「前例踏襲思考」は、個人だけでなく“組織的”にも進行します。たとえば、政府のコロナ禍対策には、その傾向がはっきり表れています。
目下、日本を除く先進各国は、国民の行動制限を解いて、新型コロナ流行以前の「自由な日常」に戻す方向に動いています。ところが、日本では依然、「自粛要請」一点張りの政策が続いています。
ここで、「自粛要請」とは、具体的には何なのか――その中身を見てみましょう。
例にとるのは、2022年初め、第6波時に東京都が行った「要請」です。
令和4年2月10日付けの「新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置」によると、都民向けには、
・不要不急の外出は自粛し、混雑している場所や時間を避けて行動すること
・営業時間の変更を要請した時間以降、飲食店等にみだりに出入りしないこと
・不要不急の都道府県間の移動は、自粛すること
などが求められました。回りくどい文章ですが、要するに「街に出るな」「繁華街に行くな」「遅くまで飲むな」「旅行はするな」という意味です。
すでに、中国の武漢(ぶかん)で新型コロナウイルスが発見されて以来、約2年半にわたって、日本では、「三年一日」の如く、このような自粛策が繰り返されてきました。コロナウイルスは変異し続けているのですが、その対策は前例が踏襲され、変化しないのです。
今のコロナは「ただの風邪」
ここで、はっきりいっておきましょう。
今のコロナは「ただの風邪」です。
2020年の初め、新型コロナが流行しはじめた頃には、私も医師として「これは、大変なことになった」と戦慄(せんりつ)を覚えました。感染力、致死性ともに高いウイルスが、出現したのではないかと身構えたのです。
しかし、幸い、それは杞憂(きゆう)に終わったようです。その後、新型コロナも、過去の多数のウイルスが歩んだ道をたどりはじめています。
弱毒化(じゃくどくか)です。
ウイルスにとって、生存に最も有効な戦略(=最も数を増やせる戦略)は、「感染しやすいものの、宿主に大きな害を与えない」方向に、変異することです。
ウイルスの目的は、宿主を殺すことではありません。下手に毒性を高めて宿主を殺してしまうと、ウイルス自身も消滅することになるからです。
そこで、過去、病原となるウイルスは、時を経るごとに、弱毒化の方向に変異した株が優勢になってきました。いわば「ウイルス弱毒化の法則」が働いたのです。
実はコロナウイルスは膨大な数で変異しているのですが、そのなかでもこの「法則」に則(のっと)った代表的な株が、2022年前半、多数の感染者を出したオミクロン株でした。ピーク時には、東京都だけでも1日2万人以上の感染者が出ましたが、重症者数は比較的少数にとどまりました。
新型コロナは、デルタ株までは、ウイルスが肺に侵入し、肺炎を引き起こす感染症でしたが、オミクロン株は、おおむね上気道(じょうきどう)にしか症状の出ないウイルスでした。それまでの株のように肺をおかさないので、「肺炎」という直接死因になる症状を引き起こす症例が少なかったのです。それが、重症者数、死者数が少なかったことの主因でした。
なお、普通の風邪も、肺炎をほとんど引き起こしません。先に「今の新型コロナは、ただの風邪」と申し上げたのは、オミクロン株が普通の風邪なみに、ほとんど肺炎を引き起こさないからなのです。
コロナの後遺症は他の疾患でもよく見られる症状
一方、インフルエンザは重症化すると、肺炎を引き起こします。その意味で、オミクロン株は、インフルエンザほどにも、人の命を奪わないウイルスになったのです。
感染後の後遺症(こういしょう)にしても、インフルエンザは「脳炎」という治療の難しい後遺症を生じさせることがあります。脳炎を起こすと、知的障害やてんかんといった後遺症が、生涯残ることがあるのです。
一方、新型コロナの後遺症としては、味覚障害、嗅覚(きゅうかく)障害、呼吸障害、倦怠(けんたい)感などがよくあげられますが、これらはすべて、他の疾患(しっかん)の後遺症としても、よく見られる症状です。医学的には、珍しいものでも、重いものでもありません。
風邪より少ないコロナの死者数
そもそも、日本人は、一年に何人くらい「風邪」で死んでいるのでしょうか。
これは、死亡診断書の死因欄(しいんらん)に「風邪」と書くわけではないので、明確な数字を出すのは難しいのですが、年間約2万人が風邪を原因として「風邪関連死」しているのではないかというのが、私を含めた多くの医療関係者の見るところです。
一方、新型コロナで亡くなった人は、この原稿を書いている2022年4月上旬時点で、2020年以来の足かけ3年で、約2万9000人。それが2年余りの数字ですから、風邪の年間死者数よりも少ないと見られます。また、インフルエンザ関連の死者は年間約1万人と見られますから、死者数に関しては、新型コロナは、それとあまり変わらない感染症なのです。
逆にいえば、それだけの数の人々が、風邪やインフルエンザで命を落としています。
それでも、風邪やインフルエンザが流行しているとき、誰も「不要不急の外出は避けましょう」「県境を越える移動を控えましょう」とはいいません。ところが、こと新型コロナに対しては、「三年一日」の自粛策が続いています。
むろん政府も、私が紹介した程度の数字は先刻承知しています。しかし、「出口戦略」はごく小さな声でささやかれる程度で、実行には移されません。
過剰な自粛は人命を奪う
私は今、まん延防止等重点措置などによる「自粛策」は、明らかに過剰で、不適切な政策だと思っています。
そして現在、そうした自粛策は「万病の元」であり、「自粛禍」は、新型コロナへの感染以上に「人の命を奪っている」とさえ思っています。
その理由をお話ししましょう。
私たちは、自粛生活のなか、多くの「自由」を失っています。友人・知人と自由に食事することすらはばかられ、そもそも彼らとの会話さえ不自由です。外で自由に運動することにも気がひけて、買い物も不自由です。子供を外で自由に遊ばせることができないし、実家に自由に帰省することもできず、老親にもなかなか会えません。コンサートや映画、スポーツ観戦に出かけることにも、制限がかけられることが多くなっています。
というように、自粛は、私たちから何事も自由だったコロナ禍以前の日常を奪い取っています。そのことが、人命を奪うことにつながるのです。
その犠牲(ぎせい)となる人の多くは、高齢者です。
高齢者は外出を控え、自宅に数カ月引きこもるだけで、歩行機能が弱まり、自立歩行さえおぼつかなくなります。また、人と話さない暮らしが続くと、認知機能(にんちきのう)が衰えます。
そのような足腰、認知機能が衰える症状を「フレイル」と呼びます。フレイルは「虚弱」という意味で、正常と要介護(ようかいご)の間のような状態を指します。いったん、フレイルに陥っても、適度に運動したりすれば、元の状態に戻ることができるのですが、自粛生活のなかでは、それもままなりません。
外出しないことで、運動不足になり、筋力が衰えて転倒、骨折、要介護状態になったという人を、私はこの2年余りの間、多数見聞きしてきました。高齢者の自粛生活は、要介護状態への最短ルートとなるのです。
また、自粛生活のなか、買い物がしにくいと、栄養バランスのとれた食事をとりにくくなります。そして、糖尿病(とうにょうびょう)などの持病を悪化させている人が少なくありません。これも、要介護を増やすことにつながります。
介護費用は4兆円増加する
今、日本の要介護高齢者は、要支援を含めて約700万人です。私は、自粛生活が続けば、今後数年のうちに、さらに200万人は増加することになると思います。すると、介護費用は年間4兆円増えます。むろん、死者も急増します。
しかし、テレビを含めたメディアは、そうした自粛禍について、まったくといっていいほど、報じません。今、テレビに専門家として出演するのは、感染症の専門家ばかりです。彼らは「外出を避け、ワクチンを接種しろ」とはいっても、フレイルや要介護予防については何も語りません。いや、その分野は専門外で知識がないので、語ることができないのです。そうして、自粛禍の深刻な「副作用」について、国民はほとんど知らされることがないまま、2年以上の日々が経過したのです。
———- 和田 秀樹(わだ・ひでき) 精神科医・国際医療福祉大学赤坂心理学科教授 1960年大阪市生まれ。1985年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科、老人科、神経内科にて研修、国立水戸病院神経内科および救命救急センターレジデント、東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、高齢者専門の総合病院・浴風会病院の精神科医師を経て、現在、国際医療福祉大学赤坂心理学科教授、川崎幸病院顧問、一橋大学・東京医科歯科大学非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック院長。 ———-