「中抜き」とは、本来はビジネス用語で中間業者を使わず直接取引することを指すが、現代では中間業者や関係者のピンハネ、不当な搾取に対して使われるようになった。それがしばしば起きる労働現場のひとつにアニメやゲームなどのエンタメ、クリエイティブ業界がある。クリエイターとして正当な報酬が得られる場所を求めるのは当然で、近ごろは依頼元に金払いがよい中国企業というケースも増えてきた。これは創作に携わる者に限った話ではなく、30年間平均賃金の上がらない日本の労働者の今後にも当てはまるのではないか。俳人で著作家の日野百草氏が、中国からイラストやアニメの仕事が増えている背景と日本の事情について当事者たちに「安い日本人」の実態を聞いた。
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「日本のクリエイターはとても質が高いのに安い。もっと紹介してください」
5年くらい前からだろうか、中国のゲームメーカーや代理店が熱心に「イラストレーターを紹介してくれ」と依頼してくるようになった。「日本人は安い」――中国人からこんな依頼をされるなんて、いまから10年前には考えられなかった。
その10年前にあたる2011年ごろ、筆者は日本の大手ゲームメーカーと元請けの制作会社から「金は出すからイラストレーターを集めてくれ」という話をきっかけに、多くのソーシャルゲーム(以下ソシャゲ)に関わることとなった。ソシャゲがフィーチャー・フォン(いわゆるガラケー)からスマートフォンに移行する過渡期、原稿料もディレクション費も十分な額だった。彼らイラストレーターの中には大手出版社で人気漫画家になった者もいるし、いまも一線で活躍する者もいる。いずれにせよ、みなソシャゲバブルの恩恵にあずかった。
しばらくして一部の代理店や制作会社からの遅延や未払いが起きた。2012年に消費者庁からコンプリートガチャ(コンプガチャ)に対して指導が入り、さらに2016年に表面化したガチャの確率操作問題も影響したのだろうか。「差分10パターン込みで10,000円を100人分、今月中」という誰も請けないだろう仕事も来るようになった。「ディレクション料は払えないから(イラストレーターの)原稿料から抜け」という会社もあった。当然断った。
やがて聞いたこともない代理店やエージェントも間に入るようになった。どの業界もそうだが、いつも見ず知らずの誰かが間に入って、何もしないでお金を抜いていく。
日本人は安くて助かります
「厚塗りはとくに人気です。このクオリティで仕上げるクリエイターは(中国に)少ない」
そんな中で増えた中国人からの依頼だったが、彼らは十分な資金と制作期間を有していた。当時の中国では油絵の具を厚く塗り重ねたような色彩の立体感がある厚塗り(美麗塗りとも)が人気だった。そのころ日本でヒットした『聖戦ケルベロス』などの影響もあったのだろう。お金はきっちり支払われた。
「それにしても安くて助かります。日本人は素晴らしい。なぜ安いのですか」
若干高めに提示してみたが、彼らはそれでも安いという。別の中国のエージェントなどはこちらが驚く金額を提示してきた。とにかく彼ら中国人が口をそろえるのは「日本人は凄い」そして「日本人は安い」だった。イラストレーターの中には「こんなに貰っていいんですか!」と言う人もいた。他社でどれだけ中抜きされていたのだろう。金はどこに消えたのか。
断っておくが、ここで問題にする「中抜き」とは本来の直接取引の意味ではなくピンハネ、中間搾取の意味の「中抜き」である。2000年代の派遣問題あたりからこの意で使われるようになったが、業界の隠語としては古くからある。またソシャゲもピンキリ、近年では徹底した内製化でクオリティの維持と制作の透明化を図っている日本企業もある。あくまで本稿の本旨は現場に金が回らない「中抜き」と、それによる国際競争力の相対的な低下にある。
アニメの現場の食べていけない、は他と比べても異常
「アニメーターも条件が良ければ、どんどん中国の仕事をしたほうがいいと思います」
旧知のフリーアニメーター氏が語る。緊急事態宣言どころかまん延防止等重点措置まで一気に取っ払われた都内ファミレスは先月より賑わっていた。いつも饒舌な彼だが、今日はとくに舌鋒鋭く止まらない。アクリル板越しに身振り手振りで訴える。
「日本の単価なんて1980年代から変わってません。人気アニメでも変わりませんよ」
動画か原画かはもちろん、クオリティや拘束などの諸条件で単価は変わるが安いのは事実。筆者の中での平均単価は動画で100円から200円、原画で2000円から5000円といったところか。この金額感は1990年代のものだが、いまもそれほど変わらないだろう。
「アニメは現場に金がないんです。不思議でしょう、実際に作る人に金が来ない」
変えようと努力している制作会社もあるが肝心の金が降ってこない。
「私が新人のころといまの新人、ほとんど単価が変わらないんです。30年間同じなんて凄いですよね」
アニメーター氏はそう自嘲するが、そもそも日本人の1990年の平均給与が425万2000円、2020年が433万1000円なのでアニメーターに限らず日本そのものの賃金も30年間ほぼ変わっていない。消費税3%、国民年金が8,400円、介護保険料も後期高齢者医療保険料もない身軽な時代に比べれば現代のほうが間違いなく負担は大きい。物価も消費者物価指数では1990年をおおよそ92とするなら2020年は102、デフレデフレと言いながら日本の物価は1割上がっている。
「ゲームはむしろ恵まれてるほうです。歴史がない分、アニメに比べればしがらみが少ない。アニメは年食っただけの『関係者』がいまだに牛耳ってます」
筆者の出版社時代にお世話になったアニメのプロデューサーたちもいまや60代、70代。引退して年金者になった者や行方不明者もいるが、既得権やコネクションを持っている彼らや彼らの会社の中には先の「中抜き」で生きながらえている人もいる。製作会社や広告代理店との長年のつき合いで、申し訳ない言い方だが悪事を散々やってきた「業界ゴロ」が令和になっても同じようなことをしている。これもまた、アニメーター氏によれば数十年間の低賃金、現場に金が回らない理由のひとつだと語る。筆者も同感だが、日本の他の産業とまったく同じ構図、知らない誰かが知らないうちに間に入って掠め取っていく。
「若手でも、他人を使って中抜きしたほうが儲かるので元請け制作会社を作る人がいます。単価2100円で請け負って800円で第二原画に出すと右から左で1300円入る。枚数ありますからそれなりの金にはなります。単価は低いですが動画も同じです。でも責められないですね、仕方ないんです。本当に食べていけないですから。食べていけないのレベルが他(の産業)と比べても異常です。末端に届く頃には雀の涙です」
ある程度の予算確保は仕方ない。現場を回す上で欠かせないストックでもある。しかし問題は何もしていない組織や個人が途中で抜いていくことにある。それも作品を、現場を、個々の生活を脅かすほどに。それがこの国では30年以上続いている。その代表格がアニメ業界だ。
「パチンコに人気アニメが使われるとよく思わない人も多いですが、制作会社やアニメーターからすれば単価の高い良い仕事です。一番ダメなのが、みなさん大好きなテレビアニメです。ほんとテレビはダメですね」
彼は作画監督の経験もあり、アニメーターとしての技術は高い。この業界では貰っているほうだが、それでも聞けば驚くほど安い。そのパチンコすら「テレビアニメに比べればマシ」というだけ。個々のケースは様々ですべてに当てはまらないことは当然だし、本旨ではないため細かいアニメーター事情、アニメーター以外のアニメ関係者の単価については割愛するが、実態は大なり小なり変わらず安い。また能力が足りない、才能がないという言い訳も使われるが、それについても氏は否定的だ。
「もちろん実力主義です。それは構わない。しかし個人、せいぜいグループ程度の少人数で回す漫画や小説と違い、アニメ制作は団体戦です。監督やキャラクターデザイン、作監ばかり目立ちますが彼らだけでアニメは作れない。作業員でもある原画や動画に生活できる金が降りてこない状態で実力も何もないでしょう。単なる正当な対価の話です」
多くのスタッフが様々な持ち場を担当しているアニメ制作、アニメーターはクリエイターだが現場作業員でもある。作業員にまで優勝劣敗を強いて単価を据え置く。そうした日本のアニメ業界を救うのではと言われた黒船、海外の動画配信大手に対しても氏は厳しい。
「あれでは請けられません。私に来た話も単価はテレビアニメの最低ランクでした」
それはおかしい。海外の動画配信大手の予算はどこも潤沢、海外作品に限ればハリウッド顔負けの予算と謳っているが嘘なのか。
「いえ、日本だけ現場に降りてくる前に抜かれてるんです。それがどこで、誰かはわかりません。見当はつきますが、噂レベルですね」
きっちりお金をくれるなら中国だって問題ない
筆者も経験がある。あるソシャゲの制作会社からの依頼はその内容からすればイラストレーターの原稿料が安かった。1キャラあたりの差分も多い。大手ゲーム会社の案件なのになぜかと尋ねると社長は「うちもギリギリなんです。間に2件入ってるんで」と明かした。2件とは何なのか。製作会社はゲームを企画販売し、代理店が調整し、制作会社が作り、個々のクリエイターが協力する。その2件は何をしているのか。闇が深すぎる。
「一般の人は広告代理店を悪く言いますけど代理店は大事です。中抜きが多いというのは事実でしょうが作品には関わってる。嫌な役目をしなきゃいけない人は必要です。私が言いたいのは、本当になにもしない組織や人が金を中抜きしていることです」
そのとおり、広告代理店は目立つし何をしているか外目には分かりづらいので叩かれやすいが彼らの役割も大事、それ以上の「悪」がいることは業界に関わる誰もが知る話だ。ひと昔前、金に卑しい謎のフリープロデューサーがいた。かつて一斉を風靡した作品を手掛けたこともある男だが、彼は何もしないが常に作品に参加し、なぜか稼いで高級車を乗り回していた。知らない間に入ってきて、何もしないで金を得る。もう名前を見ないが生きていればもう年金者だろう。この手の輩、アニメに限らずゼネコンやIT回りにも珍しくない。
「私はちゃんとした金額で作品に参加できれば文句ありません。だから単価が高ければ、きっちりお金をくれるなら中国だってまったく問題ない。むしろありがたい話です」
いま案件として高いのは中国のアニメ制作だという。冒頭のゲームイラストの話と同様に、いやそれ以上に中国は日本のハイエンドなアニメーターの技術を欲している。
「昔の中国なんて下請けで使って、こんなの勘弁してくれよーなんてボヤきながら作監修正するようなシロモノでした。それでも安いから使ってたのに、いまや日本人が安いなんてね。個々人の技術は日本のほうがずっと上なのに、おかしな話ですよね」
中国の人件費は日本に比べればまだまだ安い、しかしそれは単純作業を中心とした工場労働者や農業・畜産従事者の話で、技術者やクリエイターといった特殊技能職の価値は中国の市場経済規模、ITを中心とした娯楽市場の肥大により大幅に上がっている。中国の技術者やクリエイターは早くから海外の仕事も念頭に置いた活動をしているので(昔は国内産業が心もとなかった事情もあるが)、中国企業からすれば欧米はもちろんアジアのIT新興国との人材の奪い合いとなる。だから実際の「作り手」に金を積む。いつの間にかガラパゴス賃金に据え置かれた日本の優秀な技術者やクリエイターは中国からみて「安い日本人」になってしまった。クールジャパンがチープジャパンなんて笑えない。
「社員として中国企業に勤めるかと言われればノーですけど、フリーランスとして日本にいて仕事を請ける限りはお金をきっちりくれて、作品に携われればどこの国だって文句ないですよ。騙されたり払われなかったりしても、それは日本も同じですから」
確かに中国企業に勤めるというのはまだ現実的ではないが、在宅フリーで請ける限りは十分な対価で作品に取り組めるなら国は関係ない。日本のアニメーターやイラストレーターは中国でも非常にその価値を評価されている。独自の文化と土壌で培われた、世界でも希少かつ特殊なクリエイターである。ジャパニメーションを指向する中国にすればガラパゴス市場に閉ざされていた高度な職人の技術とその誠実な創作意欲を欲するのは当然だろう。
「これからも草刈り場になるでしょう。だって日本じゃ食えないんですから。私みたいなおっさんはともかく、若い子でクリエイター、ましてアニメーターを目指すなら国外はもちろん別の創作も視野に入れるべきですね。人気アニメーターになっても人気漫画家のようにビルや御殿が建つほど稼げるわけではありません。多くは普通に暮らせるだけです」
中抜きというより泥棒。このままなら日本は終わる
かねてから日本のSFXやVFX、3DCGなどの映像技術者は海外の仕事前提で取り組むクリエイターが多く評価も高い。いよいよ日本のアニメーターもそうなりつつある。いや日本の技術者、クリエイターすべてがそうなりつつある。
「日本のアニメやゲームは素晴らしい、ぜひ中国も作れるようになりたい」
いまから約20年前、筆者が中小出版社で編集長をしていた2000年代前半、中国でアニメやゲームを作りたい、日本のいわゆる美少女ゲームを作りたいから力を貸してくれという中国企業の売り込みがあった。どうせ欲しがってるのはジブリやガンダムのようなメジャー作品だろうと思い、まだ幼さの残る青年に「紹介するから大手出版社に行ったらどうか、うちみたいなマイナー誌に来ることもない」と言ったら、流暢な日本語で「日本のマイナーアニメや美少女ゲームこそ世界は欲しがる」と力説された。
結局、彼の言うことは本当になった。彼の指す「世界」というのは日本人の考える世界、欧米のことではなく世界最大の人口規模を持つアジアのことだった。日本で「オタクキモい」とバカにされていたジャンルすら世界に通じる「産業」になることを彼はわかっていた。経済産業省クールジャパン機構の「欧米に売り込む!」「ハリウッドに日本を!」なんて欧米信仰の昭和脳では敵うはずもない。中国企業のオンラインゲーム『原神』も『アズールレーン』も彼のような中国のネクストジェネレーションが生み出した。あれを中国企業が作れるようになった。天安門事件冷めやらぬ30年前に戻って話したら笑われるだろう。
「それだっていまや本音は『日本のマイナーアニメやゲームを作ってる凄いクリエイターが欲しい』ですからね。その日本人を使って中国のジャパニメーションを作る」
実際に中国が近年手掛けるアニメはジャパニメーションであり、ゲームはジャパニーズゲームである。いわゆる「萌え」「推し」「アキバ」といった日本のオタクカルチャーと日本独特のハイエンドな美麗キャラクターをうまく取り入れている。それどころか模倣から離れて独自性を持ち出した。そうして日本のガラパゴス文化を利用して世界に売っている。ガラパゴス萌え少女の絵柄でちゃんと世界に向けて売れている。ここが一番恐ろしい。
「やっぱり資金力と、その金がきっちり現場に降りてくることが大事なんですよ。日本でそんな産業、アニメに限らずあるんですかね」
アニメーター氏の話が少し大きくなったがもっともな話。日本の農業、建設、機械、IT、娯楽、派遣と見渡しても中抜きだらけ、5次下請けが普通に存在する異常さである。東日本大震災の除染作業では8次下請け、コロナ禍の持続化給付金では9次下請けまで確認され、アベノマスクに中抜き目的の連中が群がった疑惑は記憶に新しい。仲介にも先の広告代理店のような汚れ役の意味もあるだろうが、ここで問題にしているのは何もしていないのに金をかすめ取る組織や連中のことだ。
「そんなの中抜きというより泥棒ですね。クリエイターや技術者に限らず、現場や働く人に金がいかない。日本中そうでしょう」
もちろんSNSで誰でも声を上げられるように、それが人々に届くようになった現代、「誰が金を盗んでいるのか」という気づきも起こり始めている。それでも中抜きという名の泥棒行為は一向に収まる気配がない。2021年に入っても厚生労働省肝いりの新型コロナウイルス陽性者との接触を知らせるアプリが再委託の再々委託で金がどこに消えたか問題になった。案の定の不具合だらけ、間違いなく末端の現場に金がいってない。
「個人的な感想ですが、このままなら(中抜きで)日本終わると思います」
先にも書いたようにアニメーターの賃金が30年間据え置きなら、日本のサラリーマンの平均年収も30年間据え置きである。多くの労働現場の方々は肌身に感じているだろうが、本当にこの国は現場に金が来ない。実際に働く人に金が来ない。構造不況の要因は様々だが「中抜き文化」も、ボディーブローのようにこの国を蝕む原因だ。そうしてデフレ下の安い日本が、いよいよ安い日本人になろうとしている。
今回はアニメーターやイラストレーターを例に挙げたが、そうしたクリエイターや技能者だけでなく一般労働者、とくに派遣の中抜きも深刻なままの日本、オリンピックすら中抜き合戦。いまのところ中国が「安い日本人」と思っているのはクリエイティブ系が中心だが、いずれサラリーマンすら「日本のサラリーマンは安い」になるかもしれない。
アフターコロナに遅れをとった日本、世界一勤勉で安い日本人を雇う中国人という未来――クリエイターだけの話ではない。「安い日本人」はすでに身近な危機である。それにしても、本当に金はどこに消えているのか。
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。かつて1990年代から月刊「コンプティーク」を始め多くのアニメ誌、ゲーム誌や作品制作に携わった経験を持つ。近年は文芸、ノンフィクションを中心に執筆。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。著書『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社・共著)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)他。近著『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。