アフターコロナはバブルになる可能性が大きい

今回は「コロナ後のマーケット」を考えるうえで、ある興味深い仮説を紹介することから始めよう。

それは「適応的市場仮説」である。経済学者のアンドリュー・W・ローが提唱している理論的枠組みで、市場の振る舞いや人間の行動を、環境への適応の観点から説明しようとするものだ。

■「適応的市場仮説」では人間をどう考える?

ローが最初に論文を発表したのは2004年だが、筆者は割合早い時点からこの理論に注目していた。

個人的な話で恐縮だが、2007年に出版した一般向けの株式投資の解説本(『新しい株式投資論』、PHP新書)では、この説を好意的に紹介している。

筆者の不勉強もあって、その後の研究の進展に気づかなかったが、このほど「Adaptive Markets 適応的市場仮説」(望月衛訳、東洋経済新報社)というタイトルで、この理論と周辺の研究を包括的に紹介した一般向けの書籍の翻訳が出版された。

本文が600ページ以上に及ぶ大著だが、投資理論に興味のある方にとっては、注釈、引用文献まで含めて、舐めるように精読しても損のない本だ。筆者は、7月下旬の4連休に、どこにも「Go To」せずに読みふけった。過去15年分くらいのこの分野の読書で得た諸々の知識が整理された気分になった。

適応的市場仮説は、人間を合理的な計算装置ではなく「生物学的存在」として理解する。人間は、進化の結果としてゆっくり変化してきた生物的特徴(例えば、急に恐怖を感じた時に冷静な計算や論理的思考が止まる)の影響と、環境からのフィードバックを受けて思考を変化させる「思考のスピード」で変化する行動パターンの影響と、二つの影響を受けながら、意思決定と行動を変化させる。後者は、過去にどのような経験があったか、直近の経験がどのようなものであったか、といった事実が辿った時間的な経路に大きく依存する。

「コロナ」が大きな影響を与えている今日のマーケットと、その先行きを考える上で「適応的市場仮説」が幾つかヒントを与えてくれそうだ。

今年の3月にかけて内外の株価が急落した「コロナショック」は、株価の下げの大きさと何よりもそのスピード、そして、株価の戻りのスピードが「意外」であった。

伝統的な金融論の意味で合理的に解釈しようとすると、例えば、コロナが経済に与えると予想されるマイナスのインパクトが当初非常に大きくて、その後に幾らか小さく修正された、というような市場参加者の「期待」(予想の平均)の変化が対応しなければならない。だが、この間、中国を除き先進国を中心として、経済成長率見通しはほとんどがマイナス幅拡大の方向に変化していた。

アメリカでいうと、2020年のGDP成長率が3、4月時点でマイナス3%くらいと予想されていたのに対して、今はマイナス5%台の数字を予想するエコノミストが多い。日本も欧州諸国も、この間の実体経済に対する見通しの変化は「悪化」だ。

■「エルズバーグのパラドックス」とは?

しかし、株価は大きく戻った。これに対して「実体経済と株価の危険な乖離だ」と警戒する論調もある。株価が戻る理由には、FRB(米連邦準備制度理事会)をはじめとする先進国の中央銀行の金融緩和と財政政策の後押しも小さくないと思われるのだが、これに加えて、当初は「(経済にとって)どのくらい怖いか得体の知れないコロナ」から、現在では「厄介な感染症だが(相対的には)正体が見えてきたコロナ」に人々の認識が変化したことの影響があるだろう。

これは、どちらかというと人間の生物的な進化の過程で組み込まれたバイアスだと思われるが、人は同じオッズのはずの賭けでも中身の詳細が分からない賭けを嫌う傾向がある。

前掲書に「エルズバーグのパラドックス」(p75)と呼ばれる現象の説明がある。人間は「赤玉50個と白玉50個」の壺から取り出す玉の赤白に賭ける方が、「中身は赤玉か白玉のどちらかだ」と言われた壺から取り出す玉の赤白に賭けるよりも「リスク回避度が小さい」傾向があるのだ。どちらの賭けも赤白五分五分で、赤白どちらに賭けてもいいにもかかわらずだ。

仮に、コロナが主として「未知の病」であると思われている時と、「かなり分かった病」だと思われている時とで、他の条件を一定として、投資家のリスクプレミアムが前者で7%、後者で5%となるとすれば、リスクフリー金利をゼロとするなら、前者の株価は後者の株価よりも約28.6%安くなる計算だ。

やみくもに逆張りするのはお勧めできないが、「得体が知れない」ことの株価への影響は過大になりがちであることを知っておいて損はない。

■「密」と「非接触」を巡る進化論

人間は、「社会的動物」と呼ばれることがあるように、人同士が集まろうとする傾向がある。また、人同士の距離が近い状態、多くの人がいっしょに集まる状態などを好む人が多い。

「ウィズコロナ」の状況にある現在だと、「密です!」と叱られるような状況が多くの人に好まれてきたし、幾つかのビジネスにあっては、「密」を意図的に演出して効果を得ていた。実際、一部の精神科医や心理学者からは、コロナが去ったら、人々は「密」な関係を回復する必要があるとの指摘がある。

興味深いのは、この「密」愛好がどの程度普遍的であるかだ。今回のコロナで「3密回避」や「ソーシャルディスタンシング」の必要性が繰り返し強調され、テレワークが広まるような状況に対応するうちに、他人と「密」であるよりも、「非接触」的に距離を保つほうが快適であると感じるようになった人が徐々に増えている。

感じ方や性格が変化するほど時間が経っていないことを思うと、「非接触」愛好型が増えたというよりは、隠れた「非接触」愛好者が自らの真の好みを、コロナをきっかけに発見したと考えるのが実態に近いかも知れない。

満員電車の不快感はほぼ普遍的かも知れないが、大人数の社内会議が苦痛なサラリーマン、レストランや居酒屋で間隔をあけて座ると気が楽な客、プロ野球やサッカーの試合を応援なしで観る方が実は快適なスポーツファン、などが、コロナによってソーシャルディスタンシングが要求される期間が長引くほどに、徐々に増えてくるのではないだろうか。

これは、感染症への警戒心から来るだけの問題ではなさそうだ。進化論を素朴に考えると、「密」の愛好者の方が多く遺伝子を残して長期的に優勢になりそうにも思うが、「非接触」の愛好者の方が経済的に豊かだったり、社会に上手く適応できたりすると、こちらの方が増える可能性もある。

環境が人間に与える影響を考えると、特定の環境がどのくらいの期間続くかが重要に思えるが、社会生活やビジネスのあり方の無視できない大きさの部分がコロナによって変化するのではないだろうか。いさかか雑だが、金融商品の売れ方などの経験を当てはめると、株高(安)でも円安(高)でも、2年間同一の傾向が続くと投資家のセンチメントが相当に変化する。

「ウィズコロナ生活」の継続期間に注目したい。

いつの時点なのか筆者にはまだ分からないが、状況が「ウィズコロナ」から「アフターコロナ」に変化する時が来るはずだ。「ウィズコロナ」の経済とマーケットは、大まかには、コロナによる活動制約と需要縮小がもたらす実物経済の「不景気」と、これを金融システムに波及させないための金融・財政の緩和政策の引っ張り合いだと要約できる。政策論としては、後者は目標インフレ率に達するまで十分に強いものである必要があるし、いきなり中止したり、逆回転させたりするべきではない。

さて、こうした状況で、業種や会社、個人によって差を伴いながらも、コロナの影響が後退して、経済が「アフターコロナ」に移行すると何が起こるだろうか。

思うに、バブルが起こる可能性が相当に大きいのではないだろうか。政策面での「緩和」は急に止められないだろう。ただでさえ、金融政策では中央銀行に引き締めが遅れるバイアスがあると言われてきた(日本は極端な例外だが、今回、日銀は「そうはしない」と繰り返し言っている)。

付け加えると、サブプライム問題の際に「個人」に溜まった債務は、コロナ前には「企業」(特にアメリカ企業)で膨らみ、コロナを機に、債務を膨らませる主体が「政府」に移った。常識的に考えて、次に債務を肩代わりしてくれる移転先はないので、「アフターコロナ」では、いよいよ何十年かぶりにインフレが問題になるかも知れない。

■リスクプレミアムの過剰な縮小が起こる可能性

インフレはさておき、「アフターコロナ」に移行する段階で、投資家の認識や行動はどう変化するだろうか。端的に言って、リスクプレミアムの過剰な縮小が起こるのではないか。アメリカでいうと、2000年代初頭のネットバブルの崩壊、2007年から2008年にかけてのサブプライム問題からリーマンショックに至ったプロセス、さらに今回のコロナショックとった「ショック」(≒株価の大幅下落)が、何れも主に中央銀行の政策によって救われた。こうした経験が続くと、投資家は、「株価は下がっても必ず戻る」という経験則に対する忠誠心と同時に依頼心を高め、「長期に投資していれば絶対に大丈夫だ」との思想を強化するのではないか。

この認識変化の帰結は、リスクプレミアムの縮小だ。例えば、先程のリスクプレミアムの拡大と同様の計算をすると、例えばリスクプレミアムが5%から3%に低下するなら、株価に対しては66.7%の上昇効果があっておかしくない。

仮にそうなると、長期投資の成功に「強い信念」を持って臨んだ投資家は、そのさらに将来、リスクプレミアムが平均回帰する際に、かなりの深傷を負うことになるかも知れない。念のために申し上げておくが、最後の状況を、今の時点では警戒する必要は「全く」ない。

なお、適応的市場仮説は人間を「生物」と見るのだが、人間は、立場により、個体差によって「一様に同じ存在」ではない。生活、ビジネス、金融市場など様々な場で、有利な集団と不利な集団、さらには食う側と食われる側に分かれるのが現実だ。

適応的市場仮説には、人間を集団に分けた適応・不適応などの分析が進むことを期待したい。念のために付け加えるが、経済的人間の適切な区分は、今や「資本家」と「労働者」ではない。資本家も時には搾取されるカモでありうることは、すでにリーマンショック時に、分かる人には分かっていたことだと思う。この続きは、また別の機会に(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。

さてここからは競馬コーナーだ。9日(日)に行われるレパードステークスは、新潟競馬場のダート1800メートルで行なわれる3歳馬のG3だ。

定量戦なので力通りに決まると考えるのがセオリーだが、直線が長く追い込みが効きそうなのだが、コーナーがきつくて器用さが要求される適正把握の難しいコースなので、狙いの立て方が難しい。

■レパードステークスの本命はデュードヴァン

本命は、たぶん人気になるだろうが一枚力が抜けている感じのデュードヴァンだ。前走、カフェファラオとは大きな差があったが、追い込みの脚色が素晴らしい。今回は川田将雅(ゆうが)騎手なので、出遅れないだろうし、目一杯力を出させるだろう。

対抗にミヤジコクオウを採る。前々走の内容がいいし、前走は差の大きな負けだが左回りを経験したことはプラスだ。

ブランチェックを3番手と見る。前々走、前走と距離は短いが左回りのダートで着差をはっきり付けて勝っている。200メートルの距離延長をどう見るかだが、コーナーがきつくて平坦なコースなので問題あるまい。

以下、ライトウォーリア、ニュートンテソーロ、ラインベックを押さえる。

山崎 元:経済評論家

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