高得点をマーク、金メダルはすぐそこまで見えていたが‥
フランス革命ゆかりのコンコルド広場に、15歳の赤間凜音(りず)=仙台市出身=が名を刻んだ。束ねた長い髪をなびかせながら、美しい滑りで観客を魅了。惜しくも頂点を逃したが、初出場で堂々の銀メダルを獲得した。「金メダルを取りたかったのもあって悔しい思いはあるが、パリでのメダルは夢であり目標だったのでうれしい」。試合直後の涙は笑みに変わった。
予選2位で通過して臨んだ決勝。45秒以内に自由演技するランは難度の高い技で攻め、2本目に89・26点を挙げてトップに。続く一発技を競うベストトリックでは、1本目にボードを270度回転させてからレールを滑り降りる「フロントサイド270ボードスライド」で92・62点の高得点をマークし、金メダルはすぐそこまで見えていたが、4本目に96・49点の大技を決めた吉沢に逆転された。
世界のトップ選手となった赤間の原点は努力。「人の倍は練習しないとできるようにならなかった」とは父竜児さん。基礎練習を黙々とこなし、特長である安定感のある滑りを磨いた。
肉体強化にも取り組んだ。きっかけは昨夏の鎖骨と骨盤を折る大けが。けがに強い体づくりをする中で、筋力トレーニングに励んだ。特に脚の内側など競技に必要な部分を集中して鍛えた結果、ジャンプ力が増し、大きなセクションでの技ができるようになった。
赤間にはもう一つ、かなえたい夢がある。「宮城にはスケートパークが少ない。これから競技を目指す子供たちのためにも、もっと盛り上げたい」。パリは、その思いを実現する最高の舞台となった。(パリ=中村紳哉)
赤間凜音の話 メダルは夢でもあり目標でもあったのでうれしいけど、悔しい思いもある。緊張もあったけど、わくわくする気持ちもあった。五輪はみんな盛り上げてくれるし、やっていて楽しかった。(共同)
競技始めたきっかけはサーフィン
15歳の若きヒロインがパリ五輪で東北に初のメダルをもたらした。スケートボード女子ストリートで宮城・東北高1年の赤間が初出場で銀メダルを獲得。「ずっと支えてくれた人たちに恩返しをしたい」。見事に有言実行を果たした。
「リズ」はエリザベス女王にちなんで
スケートボードを始めるきっかけはサーフィンだった。小さい頃、父竜児さん(48)と仙台新港で一緒に体験した際、勢い余って顔から砂浜へ突っ込んだ。「顔着(がんちゃく)して怖かった」ことと泳げなかったこともあり、サーフィンへの興味を失った。代わりにはまったのが陸上トレーニング用のサーフスケート。「スケートボードに似ていて、乗っていて楽しかった」。スケートボードを買ってもらい、小学2年生で仙台市内のスクールに通い本格的に競技を始めた。
「他の子とはちょっと違う」。指導したプロスケーターの荻堂盛貴さん(47)はすぐさま秀でた能力を感じ取ったという。体幹が良くバランス力に優れ、さまざまな技をスポンジのようにどんどん吸収していった。加えて負けず嫌いの性格。練習でうまくいかず悔し涙を流しても決して諦めなかった。「当時から男子でもできないようなことをガンガンやっていた。もともと才能を高く見積もっていたので、今の姿に驚きはない」とうなずく。
赤間はスケートボードを始めるとき、父とある約束をした。「やるからには世界を目指せ」。名前の凜音はエリザベス女王の愛称「リズ」の響きから取っていて、世界で活躍する人になってほしいとの願いが込められている。
竜児さんは「本当はサーフィンをやらせたかった。でも、今は目標達成のために応援している」。大好きだったサーフィンをやめて、週末は練習環境が整う新潟県村上市に車で連れて行った。母春香さん(46)もけがをしない体づくりのため、嫌いな野菜を工夫して食べさせるなど全面的にバックアップした。
「パリでも自分の滑りをしてほしい」と願う父に、赤間は「トレーナーやスポンサーなどいろいろな方々にお世話になったけど、一番は両親」と感謝する。
目指していた頂点にはわずかに届かなかったが、観客席で見守ってくれた家族の前で世界に通用する滑りを証明した。(パリ=中村紳哉)