トヨタ自動車は周回遅れ? EVにまつわる「幻想」とは
12月14日、トヨタ自動車がバッテリーEV戦略の説明会を行った。「日本は欧州のEV化に比べて周回遅れなのではないか」「トヨタはEVに消極的と思われないように今のタイミングでEVの発表会を開いたのではないか」といった憶測もある。しかし、筆者の見立ては12月14日のフジテレビ系「Live News α」でコメントをしたとおり、全く異なるものである。
むしろ、欧州メーカーは追い詰められてEV化を勧めざるを得なくなったのであり、欧州各国の政府と企業が「EVだけが唯一の環境の味方」という幻想をつくり出すことで、日本の自動車メーカーを叩こうとしているようにしか見えない。EVのすべてが悪いとは言えないが、EVだけが解とも言えない。技術や市場の不確実性が高いときに意思決定を早めるのは、経営学的にいえば正しい行動ではない。
トヨタが、FCVやEV、水素エンジンを順次発表している方が理にかなっているように見えるし、このタイミングでトヨタがEVを発表したのも、トヨタのより大きな戦略の中で織り込み済みの発表であったように見える。
自動車のCO2排出規制の完璧な解はEVであり、EVを推進しない企業は環境の敵なのだろうか。結論を先取りすればそんなことはない。EVにはまだまだ課題も多く、もちろんEVの技術が進化すればそれは解決することかもしれないが、もしかするとEV以外にもっと良い解があるかもしれない。
しかし、世界の潮流はEV化こそがカーボンニュートラルの最適解だという思い込みがあるが、世の中には様々な不確実性があり、「将来はこうなるに違いない」と思っても全く異なる現実が訪れることもある。
手前味噌な話だが、2000年頃、筆者はソニーでプラズマテレビや液晶テレビの商品企画業務を行っていた。当時、プラズマや液晶の薄型テレビは「壁掛けテレビ」と呼ばれ、それまでの分厚いブラウン管が薄くなったら、「お客さんはみんな壁に絵画のように取り付けるに決まっている。だから、壁掛けテレビだ」という考え方が、当たり前のように言われていた。
しかし、テレビはソファや椅子に座って視聴しているときに、目線より少し下に画面の中心が来ると見やすいと言われる。絵画は見上げて見る位置に掛けるが、壁掛けテレビを見やすい位置に掛けようとすると、随分不格好に低い位置に掛けなければ、長時間の視聴には耐えられない。
しかも、ソニーはAV機器を得意とする電機メーカーであったが、当時のライバルはパナソニックであり、パナソニックは住設機器や住宅そのものもつくっている。プラズマや液晶のテレビを本当に壁掛けテレビとして売っていけば、住宅の一部として提案できるパナソニックの方が有利である。しかし、家は何十年も使い続けるものだが、テレビはせいぜい7年から10年くらいで買い換えるものであり、ある年の壁掛けテレビに合わせて住宅をデザインしたら、10年後の買い換え時に綺麗に壁掛けにできる保証がない。
つまり、壁掛け提案は一見顧客に新しいテレビのスタイルを提案しているようでいて、実は壁掛け用途は一部でしかなく、多くの顧客はこれまでと同様に据え置き型の自立するスタンドのついた薄型テレビを使うだろう。
EVの未来はかつての 「夢の壁掛けテレビ」と同じ?
これは筆者が提案し、当時のソニーが決断した薄型テレビのコンセプトであった。新製品を発表する時期になると多くのテレビ、新聞、雑誌の取材を受けたが、お決まりの出だしは「御社の壁掛けテレビについてですが……」であった。そこで、「『壁掛けテレビ』ではありません。『薄型テレビ』です」と切り返していた。今では液晶テレビを壁掛けテレビと呼ぶ人は稀だと思うが、当時はプラズマや液晶はみんな壁掛けで使うと思い込んでいたのだ。
EVももしかすると、2000年の頃の「夢の壁掛けテレビ」と同じなのかもしれない。今でも液晶テレビを壁に掛けて使う人がいるように、EVが全くなくなるとは思わない。しかし、世界中の自動車がEVに置き換わるという未来は、あまりにも非現実的ではないだろうか。
EVにはまだまだ多くの課題がある。フランスのようにCO2排出量の多くが乗用車であり、電力を原子力で賄っている国では、国内の自動車のEV化には一定の意味がある。しかし、日本ではすでに世界でもトップレベルの燃費と環境対策技術を持った自動車メーカーが多く、日本国内のCO2排出源のトップは乗用車ではなく、工場である。
しかも、日本では今でも多くの電力を火力に頼っているので、自動車を走らせることでCO2が出ないとしても、そのエネルギーをつくるためにCO2は排出している。もし、今の日本で全ての車をEVに置き換えれば、電力需要は大幅に大きくなり、より多くの電力をつくるためにCO2を排出することにもなりかねない。
しかも根本的な問題として、発電した電力はそのままでは保存しておくことができない。揚水発電のように、夜の電力で水を汲み上げ、それを昼間の水力発電に利用したり、電池に充電をしないことには電力は貯めておくことができず、せっかくエネルギーを使って電力をつくっても使われなければそのまま消えてしまう、というのが電気というエネルギーの特徴である。
東日本大震災後に国土交通省は、災害時に備えて車の燃料を常に満タンにしておくように勧めている。ガソリンや軽油、あるいは水素であれば、タンクに燃料が残っている限り燃料は減らないが、電池は自然放電という現象があり、使わなくても徐々に減ってしまうので、常に充電を繰り返す必要がある。
EV化への傾斜が 現実的とは思えない様々な理由
さらに問題なのは寒冷地だ。ガソリンやディーゼルの内燃機関の自動車は、冬の暖房にエンジンの動力の熱をそのまま使用している。これは航空機も同じだ。しかしEVでは、暖房もEVの電池に頼っているので、冬の電費はとても悪くなる。しかも電池は寒くても暑くても性能が下がるので、使用環境によってはバッテリーの性能、つまり連続走行距離に影響が出る。たとえばEV先進国の中国では、上海や深センなどの南部のエリアのタクシーはほとんどがEVになっているが、東北部の大連などではいまだにガソリンエンジン車のタクシーがほとんどだ。
さらに、EVを普及させるためには充電スタンドのネットワークを構築しなければならない。ガソリンや水素などの燃料であれば、遠方に輸送して蓄積しておくことができるが、電力は電線の距離が長くなるほど減衰するので、都市部以外の充電スタンドの設置が難しい。アジア、中近東、中南米、アフリカなどの新興国地域のEV化はかなり難しいだろう。
もうひとつ未解決の問題は、バッテリーが寿命のある消耗品であることだ。今後EVが普及すれば、古くなったバッテリーのリサイクルや処分の問題も出てくるし、中古車市場でEVのバッテリーをどのように評価し、リセールバリューを決めるのかなど、問題はまだまだ残されている。
こうした中で、全ての主要な自動車メーカーが一斉に内燃機関の技術を放棄し、EVだけにシフトしたらどうなるだろうか。先進国市場では、EVが主力でもよいかもしれない。しかし、新興国市場や環境が劣悪な地域ではどうだろうか。そこではEVを走らせることができず、残存者利益を取ろうとする中国などの新興自動車メーカーなどが、ガソリン車やディーゼル車を売り続けるのではないだろうか。
日本企業ほどの燃費性能や環境性能の積み重ねのないメーカーのガソリン車が世の中に残った方が、むしろCO2排出量を増やしてしまうということにもなりかねない。そうした世界中のあらゆる環境も含めて、どうやって自動車のカーボンニュートラルを考えるのか。そこにはまだまだ試行錯誤が必要であろう。
技術が確定しておらず、不確実性が残るような場合、速すぎる技術移転はむしろ既存企業にとってマイナスであるという指摘を、東洋大学の山口裕之准教授は行っている。さらにハーバードのイアンシティ教授も、不確実性が高いときにはむしろ複数のプロジェクトを並行させ、時間経過とともに不確実性が減じたら統合する方がよいという指摘をしている。
米ダートマス大学のロン・アドナー教授と、米ペンシルベニア大学のダニエル・A・レビンサル教授も、経済学のリアル・オプションの理論を用いて、不確実性の高い状況では、複数のオプションを早期に絞り込まず、意思決定を先送りする方が良いという議論を呈している。
不確実性が残るとき 早すぎる技術移転はむしろマイナス
欧州勢が、技術的な課題がまだまだ多く残されているにもかかわらず、急速にEVにシフトしようとしているのは、かつて欧州メーカーでクリーンディーゼルの性能偽装が発覚し、欧州車メーカーの内燃機関技術に消費者が疑問を持ったためであろう。
過去を振り返ると、もともとトヨタやホンダがハイブリッド技術を開発し、内燃機関とEVの良いところを兼ね備えた自動車を開発したのだが、欧州車メーカーには独自でハイブリッド技術を開発することはできず、一部欧州メーカーにトヨタがハイブリッド技術を供与していたくらいであった。
そうした中で、ハイブリッドに変わる環境対応技術がクリーンディーゼルであると欧州勢は主張したのである。しかし、そのクリーンディーゼルの性能が嘘であったということが発覚したので、欧州各社は選択肢がない中でむしろ追い詰められてEVを選択した、というのが筆者の見立てである。
トヨタや日本メーカーがEVに対して消極的で周回遅れだという指摘は妥当ではなく、むしろ、技術力があり、技術の選択の幅が広い日本メーカーの方が、様々な状況に適応可能なカーボンニュートラルな自動車技術を数多く提案しているだけなのではないだろうか。
たとえば、日本の自動車産業を代表するトヨタは、欧米ではリーン生産の会社と呼ばれる。日本語ではトヨタ生産方式と訳されることが多いが、リーンとは筋肉質という意味で、無駄のない生産システムがトヨタの特長だといわれてきた。
そのトヨタが、ハイブリッド技術も持続しながら、内燃機関技術ではロータリーエンジンというユニークな技術を持つマツダと提携したり、燃料電池車(FCV:水素をエネルギー源に電気モーターで走る自動車)や、水素エンジン(水素を燃料とした内燃機関技術)を開発したりと、数多くのCO2削減に貢献する技術を開発し、自動車に実装しようとしている。
様々な技術に分散投資をすれば、それだけ無駄も多くなるはずで、リーン生産と呼ばれるトヨタらしくないと思われるかもしれない。しかし、トヨタが考える効率的なトヨタ生産方式とは、短期的な効率性だけを追求したものではない。
MIT系の研究者でミシガン大学のワードやライカーというイノベーション研究者は、かつて「セカンドトヨタパラドックス」という論文で、トヨタには2つのパラドックス(矛盾)があると指摘した。ここでいう矛盾とはネガティブな意味での話ではなく、欧米の研究者から見て、一見妥当性がないようなことをトヨタは行い、それがトヨタの生産性や業績にプラスに働いているという指摘だ。
トヨタに見られる 2つのパラドックスとは
彼らのいう1つ目のパラドックスとは、まさにトヨタ生産方式の代表であるジャストインタイムであり、「なぜトヨタは経済的に見て最小の注文数よりも低い数の部品発注をするのか」「なぜプロの検査官ではなく、ラインの作業員に工程のチェックやラインを止める権限まで与えるのか」といったやり方を挙げている。トヨタ生産方式の利点は、すでに多くの文献で解説がなされているのでここでは割愛するが、注目すべきは彼らのいう2つ目のパラドックス、「セカンドトヨタパラドックス」である。
トヨタではセットベースコンカレントエンジアリングという、複数の製品コンセプトや設計案を同時並行に走らせ、絞り込みを遅らせるという開発方法をとることがある。ワードやライカーは「簡単にいえば、決定を遅らせ『曖昧に』することで、数多くのアイデアを追求し、より良い車をより安く開発するプロセスである」と説明している。
とかく開発者というものは、性急にものを決めたがる。もちろん、早く決めた方が良い場合もある。トヨタでも、後工程で起こることが予想される問題を前工程で解決するフロントローディングという手法も取り入れている。早く決めた方が良いのか、決定を遅らせた方が良いのか、それは不確実性の高低に関係する。
不確実性が低く、将来起こることが予想できるのであれば、フロントローディングは有効である。しかし、将来の不確実性リスクが高いときには、フロントローディングは有効とは言えない。このことは、半導体産業における実証研究で、アイゼンハートという研究者が指摘している。
カーボンニュートラルに向けた新たな自動車技術の開発も、まさに数多くの課題が残る技術的な不確実性が高い事案である。EVにも様々な課題が残され、何が未来のカーボンニュートラルに最適な技術であるのかわからない不確実性が高い今こそ、複数のアイデアを並行して走らせ、意思決定を遅らせることの方が理にかなっている。
トヨタがEVシフトの中で 本気で考えていること
トヨタはそうしたものづくりの原則を、着実に進めているだけであろう。もし、欧米メーカーが「トヨタのEVが周回遅れ」というのであれば、それはサードトヨタパラドックスなのかもしれない。一見矛盾するようであるが、全世界に自動車を供給する責任を持ったグローバルメーカーであるトヨタは、先進国の限られた条件下だけのカーボンニュートラルを考えているのではないのだろう。EVが適した地域や利用法、ユーザーもいるかもしれないが、FCVや水素エンジンなどの異なる解の方がよいケースもあり得る。
さらにいえば、自動車だけが石油を使っているわけでなく、原油から様々な石油原料を生成する過程で一定量のガソリンや軽油ができてしまうことを考えれば、ハイブリッド技術も一定量残しておく方が、トータルで考えて環境に優しいかもしれない。
もちろん、世の中は全て合理的に物事が決まるわけではない。技術的に、あるいはビジネス的により優れた選択肢があっても、ドミナントデザイン(市場で支配的な製品のあり方)が決まってしまえば、より良い選択肢が選ばれないこともある。
機械式タイプライターが、早く操作しすぎると故障の原因になるので、あえてタイプしづらい配列にした現在のQWERTYキーボードが市場を支配しているのと同じように、諸々の問題があってもEVが次世代自動車のマジョリティになる可能性も十分にある。そのための投資もしているというのが、今回のトヨタの発表であろう。
しかし、そうしたことを踏まえても各国の性急なEVシフト政策は、EVの課題解決のための技術開発のスピードすら無視しているのではないだろうか。イギリスは2030年にガソリン車を廃止することを決めたが、だからといって本当に2030年にガソリン車がなくなるだろうか。
世界の大手自動車メーカーがイギリスの規制だけを念頭にガソリン車を廃止するとは思いにくいし、イギリスには世界のガソリン車を廃止に追い込むだけの市場規模も自動車メーカーもない。EV化の先頭を切って走っていた中国ですら、昨年からEV化のスケジュールを緩和する動きを見せている。
うがった見方をすれば、COP26の議長国であるイギリスが、カーボンニュートラル実現のための目玉政策としてアドバルーンを打ち上げたのが、2030年のガソリン車廃止議論であって、当のイギリスもどこまで本気でEVシフトをそれほど急ぐつもりなのだろうか。社会はもっと複雑であり、技術の進歩、様々な国や地域の事情、自然環境など様々な観点から最適な解を多様な選択肢の中から模索する方が、今の段階ではよいのではないだろうか。
そもそもEVは面白くない 日本が考えるべき自動車文化の意義
最後に、これはあえて批判されることを承知で述べるが、そもそもEVの走りは面白くない。自動車とは単なる移動手段なのだろうか。
トヨタはかつて「Fun to Drive」というキャッチコピーを使い、BMWも「Freude am Fahren」というコピーを使っていた。BMWのコピーは日本では「駆け抜ける歓び」と訳されていたが、どちらも「運転する歓び・楽しさ」である。
自動車とは、単に移動をするだけの機能的価値を持った製品ではなく、様々な用途提案をし、様々な好みのデザインやカラーをユーザーに選ばせ、時にはステイタスシンボルにもなる、極めて意味的価値の高い製品である。だからこそ、各社がドアを閉めるときの質感や音にまでこだわって設計をするのである。
長年培ってきた内燃機関技術の成果には静粛性などの機能的な面もあるが、エンジンの振動や音がステアリングやシートから伝わってくる感覚や躍動感も、自動車の醍醐味である。マツダが「人馬一体」と表現する、人がクルマとコミュニケーションをとり、思った通りの動作をすることで、安全で快適な走りを実現するということも、自動車に乗ることの意味的価値を示しているといえる。
自動車を始動させてもこれといった反応もなく、聞こえるのはせいぜいインバーターの高周波ぐらいの現在のEVには、「走る楽しみが十分か」といえばまだまだ不十分だろう。EVにもEVの走りの良さはあり、テスラなどはそうした走りの楽しみも追求しているが、「なんでもかんでもEV」という先には、単なる移動する手段としての機能的価値しか残らない自動車のコモディティ化が待っているのかもしれない。
もちろん、カーボンニュートラルが先送りできないことは、この地球に暮らす全ての人間の課題である。しかし、カーボンニュートラルだけが実現できればその他のことは全て犠牲にしても良い社会が、果たして文化的で人間的な社会と言えるのであろうか。
持続可能な未来のためのカーボンニュートラルを実現しつつも、この100年人類が築き上げてきた自動車文化を未来に残すことも、社会的な生き物としての人間の役割ではないだろうか。
日本企業は、様々なカーボンニュートラルへの答えの選択肢を持っている。世界中がまだまだ問題山積のEVだけが「夢のカーボンニュートラルの解」だと信じている中で、日本人くらいは日本企業が考えるカーボンニュートラルに向けた多様な選択肢を応援してみても良いのではないか。
日本は今からでも遅くない 考えるべきカーボンニュートラルの解
イギリスがどだい無理なスケジュールのガソリン車廃止を法制化したのはCOP26のホスト国だからであろう。そうであれば、日本政府こそ、EV以外にもカーボンニュートラルに向けた解決策があることを世界に訴えかけてほしかった。
今からでも遅くない。燃料電池車や水素エンジンなどの可能性もしっかり検討することを世界に問いかけていき、地域や用途に合ったカーボンニュートラルの多様な解を実現していくのが日本の役割だろう。
(早稲田大学大学院 経営管理研究科教授 長内 厚)