上昇しない日本の賃金と物価
戦後の1950年に、日本のGDPは世界のわずか3%に過ぎなかったが、1988年に16%(中国は2%)のシェアを占めるまでに発展した。しかし、その20年後の2018年には、わずか6%(中国は16%)にシュリンクしてしまった。
日本の劣化を端的に示すのが世界各国との時間当たりの賃金である。この20年間、ほかの先進諸国が115~140%上昇しているのに対して、日本だけが賃金も全く変わっていないどころか、低下傾向さえ示している。
実感と良くマッチングしている。20年前、筆者が大学教授のときの年収は1400万円で、ほぼ当時の米国の教授と同じ水準にあった。ところが、日本では今も1400万円だが、米国は既に2000万円(ただし、9ヵ月分)に上昇している。
[図1]民間産業の時間あたりの賃金伸び率比較 参照:落合陽一『日本進化論』SBクリエイティブ、2019年
このように日本を除く世界では、経済成長が続き、日本だけがその流れに取り残されてしまった。一番日本を知らないのは日本人だ。日本では賃金が上昇しないため、物価も上昇していない。そのため物価は世界と同じ水準と錯覚しがちである。
日本では「億ション」という言葉があり、「1億円を超えるマンションは富裕層が購入する」とのイメージが強い。確かに諸外国も同じように、100万ドルのマンションは高嶺の花という時代はあった。
しかし、先進諸国においては、1億円のマンションは一定以上の仕事についている中産階級が、普通に購入する物件であり、日本の常識と世界の常識は乖離しはじめている。
こうした内外価格差を、国際的な投資家が見逃すはずはなく、日本にも海外から投資資金が流入し、都市部の優良物件の価格上昇に影響を与えてきた。高級タワーマンションの購入者の一部は、中国を中心としたアジア人が多く、日本の高級物件は「掘り出し物」に見えるのであろう。中国人の爆買いは合理的な行動である。
さらに、身近な話では、ダイソーの100円ショップが100円なのは日本だけである。既に中国では150円、ニューヨークでは200円ショップとなっている。ディズニーランド料金も日本で1日入場券が8200円(※2021年執筆当時。現在は、7,900円から9,400円の変動制)だが、香港では8946円、本場カリフォルニアでは、1.1~1.6万円となり、日本が世界で一番安い。
更に厳しい現実…「日本の小中高生」が考えていること
もっと厳しい現実がある。米国・中国・韓国・日本の小・中・高生の学習意欲調査、生活と意識調査、将来への意欲などに関するアンケート結果である。
小学生に「勉強は将来の生活に役に立つか」の質問に対して、他の国々は「非常にそう思う」が多いのに、日本はその1/3~1/4ほどである。「学校が楽しければ、成績にこだわらない」、「のんびり暮らしたいか」の質問では他国の2~3倍多い。
中学生に「親を尊敬しているか」に対して、他国の1/2~1/10と少なく、親は自分の成績に関心をもっているかでは、同じく1/3~1/5となっている。
高校生に「将来、社会で活躍したいか」には他国の1/3~1/4、「のんびりと暮らしたいか」は逆に2~3倍となっている。いずれの質問に対しても日本の小・中・高生は物心両面で欲がなく、後ろ向きな回答が圧倒的に多くを占めている。
なぜ日本の学生は「大学入学後」勉強をしないのか?
日米大学生の学習時間を比較したところ、米国の大学では1週間に6時間以上の学習時間が80%以上を占めているのに対して、日本では32%以下である。全く勉強していない0時間が1割を占めるのも驚きである。我が国では大学入学が目的化し、大学で学業を修めるという本来の目標が喪失してしまっている。
なぜ日本の学生は大学入学しても勉強をしないのであろうか? これは学生に問題があることは論を俟たないが、就職に際して学業成績に関心を示さない企業側にも大いに責任がある。
まず、採用基準は協調性に始まり、アルバイトやクラブ活動でのリーダーシップ経験などが優先され、肝心の成績は重視されていない。
筆者の研究室の学生が就職する際、その学生の研究や学業について、指導教授にヒアリングに来た企業は20年間で1社もない。また企業のトップを招いて大学で特別講演を依頼する際、「『学業成績は関係ない、要はやる気と体力だ』、との言葉だけは控えてください」と、お願いしている。
なぜなら、学生が「社会に出てからは、大学での勉強は関係ない」と誤解してしまうからだ。一方、ハーバード大学の学生といえども、成績が「中の下」以下だったら、グローバル企業は見向きもしない。
教科書にも顕著な差…日本の「人材教育」への危機感
本業の勉学意欲喪失の傾向は教科書にも表れている。米国ではノーベル賞級の学者が理科の教科書を作ることもあり、一冊100$以上の価格が一般的である。したがって日本の教科書(高校生物)の厚さ・大きさには世界との大きな差が生じている。[図2]の写真に「機械材料学」の筆者執筆の教科書と米国の教科書を比較して示す。
[図2]機械材料学の日米教科書の比較
米国で使用されている大学初学年の「機械材料」の教科書は多色刷りB5版相当で1000頁前後、価格は1万円を超える。一方、日本の大学教科書はさらに小さいモノクロA5版200頁、3000円以内が多数を占めている。
出版会社は「今の大学生は3000円を超えた教科書は買わない。欧米のようなカラー刷りの良心的な教科書を作りたい気持ちはあるが、学生だけでなく教授からも相手にされない」と嘆いていた。
ものづくり教育を語る前に、人材教育で大変気になることがある。
戦後、大多数の国民は貧しかったため、有為な人材は、その経済環境を問わず国や地方が救い、等しく教育を施す努力がなされてきた。
しかし、現在は進学・教育を受ける機会そのものが固定化しはじめている。東京都各区の大卒人口率と公立小学校5年生算数の平均正答率の関係は、親の大卒人口率が高いほど、平均的学力が高い相関(相関係数0.91)となっている。
教育の機会均等が崩れつつあり、日本社会のシステムがますます硬直化してきている。学生も授業料は親丸抱えのため、高額授業料の痛みを感じる機会もない。
******************
浅川 基男
1943年9月 東京生まれ
1962年3月 都立小石川高校卒業
1968年3月 早稲田大学理工学研究科機械工学専攻修了
1968年4月 住友金属工業株式会社入社
1980年5月 工学博士
1981年5月 大河内記念技術賞
1996年4月 早稲田大学理工学部機械工学科教授
2000年4月 慶應義塾大学機械工学科非常勤講師
2002年4月 米国リーハイ大学・独アーヘン工科大学訪問研究員
2003年5月 日本塑性加工学会 フェロー
2004年5月 日本機械学会 フェロー
2014年3月 早稲田大学退職、名誉教授
著書:基礎機械材料(コロナ社)ほか