入居していた老人ホーム・介護施設の「経営破綻」で地獄を見た人たち だから、自宅を売ってはいけない

住む場所、戻る場所を失った

「終の棲家」と思っていた老人ホームや介護施設が突然倒産したら……。

入居者にとってもその家族にとっても考えたくないことだが、これからの時代はそんな「最悪の事態」も想定しておかなければならない。

帝国データバンクの調査によると、老人ホームや介護施設を運営する老人福祉事業者の2019年の倒産数は、前年より13件多い96件。過去最多を記録した。半数余りは訪問介護運営業者だが、老人ホームは10件、高齢者向け住宅も6件倒産している。

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なかでも衝撃的だったのが「未来設計」の倒産だ。1都3県で37棟・2270室の有料老人ホームを運営していた未来設計は、粉飾決算が発覚して、昨年1月に民事再生法の適用を申請した。「大手だから」と安心して入居した人も数多くいたという。

「今後、運営業者の事業譲渡や倒産、廃業数は増えるでしょう」と語るのは、老人ホーム紹介センター「介護情報館」代表の吉田肇氏だ。

「老人ホーム事業というのは、比較的新規参入がしやすく、ここ20年で大小さまざまな民間企業も参入してきました。そのなかには運営をコンサルまかせにしていたり、ほとんど知見や経験がないのに、儲かりそうだという理由で始める業者も少なくありません。

老人ホーム経営は介護報酬の細やかな算定やトラブルへの対応の仕方などの知識も必要で、とても複雑なビジネス。経験とノウハウがないと、うまく経営するのは困難で、始めてみたはいいけれど、あっという間に経営に行き詰まってしまう場合もあるのです」

一時金が戻らないケースがある

老人ホームが倒産した場合、入居者たちはいったいどうなるのか。民間介護施設紹介センター「みんかい」の小嶋勝利氏が説明する。

「これまでは、老人ホームや大きな介護施設がつぶれそうだとなったら、行政機関が別の運営業者に『引き継ぎ』を頼むなどして、存続をはかってきました。

サービス内容が変わったり、慣れ親しんだ職員がいなくなるなどの多少の不便はあっても、引き継ぎ先が見つかれば、基本的には問題なく暮らせたのです」

しかし、常に引き継ぎ先が見つかるとは限らない。介護コーディネーターの山川仁氏は、こんな事例を紹介する。

「昨年5月、福岡県で老人ホームを経営していた業者が倒産しました。本当は倒産する前に、その業者自身が引き継ぎ先を探すべきなのですが、この業者はそれを探すことなく倒産。入居者の家族が慌てて次の住まいを探すことになりました。

結局、みなさん次の住まいを見つけることができて事なきを得たのですが、運よく別の介護施設に空きがあっただけで、見つけられない場合もありえる。

それでも、もとの業者はなんの責任も問われない。現制度では入居者と家族が泣き寝入りするしかないのです」

もしも引き継ぎ先が見つからなかった場合、入居者はさまざまな困難に見舞われる。まずはおカネの問題だ。前出の小嶋氏が説明する。

「これまでは、広域に事業を展開している老人ホームの経営が立ち行かなくなり、ほかの事業者に引き継がれた場合、『家賃が前より少し上がった』ということはあっても、入居前に支払った一時金が返ってこないというケースはほとんどなかったと思います。

ところが、昨年1月に未来設計が倒産したケースでは、一部の入居者への返金が行われなかったのです」

簡潔に言うと、入居前に一時金を支払っている場合、倒産してもその一部を入居者に返還する仕組みや、あるいは保証金が支払われる制度などを導入している老人ホームがほとんどだ。

だが、未来設計が経営破綻した際には、さまざまな事情から、一時金がほとんど戻ってこない、保証金が支払われないという入居者が多数現れ、社会問題となった。

「運営業者が倒産しても、まとまったおカネが返ってくるからなんとかなるだろう」と思っていると、痛い目をみる可能性もある、ということだ。

無事に一時金が返ってきても、いつまでも元の施設に居座るわけにもいかず、早急に次の住まいを探さなければならない。

賃貸も借りられない

しかし、老人ホームの事情に詳しい経営コンサルタントの濱田孝一氏は、「高齢者が新たな住居を探す際には、いくつもの困難がある」という。

「行政機関が運営する特別養護老人ホームに入居できればいいですが、現在はどこもいっぱいで、入れる可能性はきわめて低い。おカネがあまりないとなると、いまより条件の悪い老人ホーム、場合によっては無認可の施設に入らざるを得なくなります。

また、普通の賃貸住宅を探してそこに移り住めるかといえば、それも難しい。家賃が安いアパートなどはバリアフリー化が進んでいないところも多いうえ、孤独死をおそれて、単身高齢者には部屋を貸さないという家主もいるのです。

健康状態が比較的良好だったり、あるいは資金に余裕がある場合でなければ、現在住んでいる老人ホームが倒産した場合、にっちもさっちもいかなくなってしまうのです」

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家族のいるところへ戻れるならいいが、そもそも家族がケアできないから老人ホームへの入所を決めたという人がほとんど。文字通り路頭に迷う人も現れるだろう。

「あのとき自宅を売らなければ……」そんな後悔の声がほうぼうから聞こえる時代が、間もなく来る。

入居1ヵ月で「やっぱりわが家が一番」

エントランスから各部屋までは完全にバリアフリー。見守りサービスや看護師が常駐し、一日1食から3食の食事を提供する。至れり尽くせりのサービスがウリの高齢者専用のマンションが、いま人気を集めている。

3000万円程度から購入可能で、「利便性もよく、家族にも安心」と、自宅を売って高齢者向け住宅に住み替える人が増えている。

ところが、快適であるはずの高齢者専用マンションから、短期間で出ていってしまう人は珍しくない。

「私の知人の母親も3ヵ月ほどで高齢者専用マンションから引っ越しました」

というのは、ファイナンシャルプランナーの大沼恵美子氏だ。

知人の母親は、マンションの設備や職員の対応には満足していたが、ひとつだけ、どうしても我慢できないことがあったという。

「提供される食事の味付けです。もともと料理好きだった方なんですが、健康状態が悪くなったので料理を作れなくなった。そこで、食事も提供されるマンションに引っ越したのですが、毎日提供される料理が口に合わないということで、1ヵ月もたたないうちにそのマンションがイヤになって、短期間で再び引っ越したというのです」

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たかが料理で、というなかれ。レストランなら味が合わなければ二度と行かなければいいだけの話だが、施設の食事は毎日提供される。一度その味が合わないと思うと、毎日が苦痛になってしまうのだ。

入居前には食事の味見ができるところが大半だが、そのときは「美味しい」と思っても、食べ続けるうちに耐えられなくなるケースは少なくない。

もう帰る場所はない

些細なことでも、それが毎日続くと気持ちが参ってしまう。人間関係のトラブルもまたしかり。

高齢者専用マンションには、貯蓄や年金額、健康状態や家族構成が似通った人が集まりやすい。それゆえに、それまでの暮らしではありえなかった人間関係の悩みが生じるのだ。

「うちは月に一度は息子がここに様子を見に来てくれますが、お宅はどうですか」といった家族のアピールや、「今度は会社の部下に誘われてゴルフに行くんですよ」といった友人自慢。

なかにはマンション専属のスタッフの名前を出して、「あなたはあのスタッフからの評判がよくないですよ」と余計な口出しをする人もいるという。

入る前と入った後で「思っていたサービス内容と違う」と気づくこともある。ファイナンシャルプランナーの太田差惠子氏が説明する。

「安否確認や生活相談に応じるサービスを売りにしている高齢者専用マンションは多いですが、『24時間見守り』とうたっていても、実際にスタッフがマンションにいるのは午後5時までで、あとは何かあったときには緊急ボタンなどでの対応というところも少なくありません。

また、介護サービスを受けるには別途おカネが必要になるケースがほとんど。要介護のレベルが進んだ結果、高齢者専用マンションを出て、結局介護施設に住むことになった、という話もよく聞きます」

賃貸ならまだいいが、高齢者専用マンションを購入していた場合は悲惨だ。「ここには長く住めない」と思って売却を検討しても、一般のマンションとは違い、一定の年齢以上の高齢者にしか売れないため、そう簡単には買い手が見つからないのだ。

「住まなきゃよかった」
「買わなきゃよかった」

そう思っても時すでに遅し。帰る場所はもう、どこにもない。

新居は転倒・認知症の危険がいっぱい

「引っ越して2週間、生まれて初めてエレベーターの扉に右腕を挟まれました。閉まるスピードが思ったより早く、乗り遅れたのです。痛みが取れず病院に行くと、骨折で全治2ヵ月と告げられました」

昨年春、東京での再雇用期間を終えた井川茂さん(70歳・仮名)と妻は、息子たちが住む埼玉県に引っ越した。駅から徒歩7分ほどのマンションで利便性もよく、病院もバスで15分だ。

家を引き払うときに不要なものも処分し、コンパクトな暮らしを目指した。だがその新居で、井川さんは次々と想定外の事故に遭った。

「引っ越して最初の雨の日に、マンションのロビーで足を滑らせて転倒、頭を打って病院に運ばれました。医者からは『頭蓋内血腫になれば命にかかわる。1ヵ月後、再検査します』と言われました」

結局、大事にはいたらなかったが、雨が降るたびにあの日のトラウマがよみがえる。
危険は共用部分だけでなく、家の中にも潜む。

「夜、リビングからトイレに向かう最中、何でもない廊下で転倒したこともあります。お酒や薬を飲んでいたわけではありません。廊下の電気のスイッチがどこかわからず、手探りでよろよろ前に進んでいたら、なんでもない所でこけたのです」

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転倒時に井川さんはまたしても右腕を骨折、新しく始めた自転車整理のボランティアも辞めざるをえなかった。

何十年も前に建てた不便な自宅より、新しい家で便利で快適な暮らしを送りたい。定年後、そう思うのは無理もないが、井川さんが苦しんだように、不慣れな新居にはいくつもの危険がある。大阪保健医療大学の山田隆人准教授は語る。

「ちょっとした段差や階段でも、何十年住んだ家なら体が覚えています。しかし年をとってから住まいを替えると、新しい環境に体がついていかず、転倒など事故が起きるリスクが高くなります」

引っ越しをすると、体だけでなく頭も新しい環境になかなか馴染めない。最後に待ち受けるのは認知症だ。

上田芳子さん(51歳・仮名)の伯父(72歳)は、4年前に東京から静岡県に移住した。

「伯父は独り身で、大好きな海が近い場所で最期を迎えたいと田舎への移住を決めたといいます」

ところが移住から1年が経ち、上田さんが伯父の元を訪ねると、どうにも様子がおかしい。

「昨日の夜、なんと警察に襲われたんだよ」

突拍子もないことを言う伯父に「大丈夫?」と声をかけると、伯父は虚ろな目で急に黙りこくってしまった。

「聞けば伯父は、半年前に自宅で転倒してから引きこもりがちになり、今は、テレビばかり見ている日々を送っているというのです」(上田さん)

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何が起きたのか。前出の山田准教授が語る。

「転倒を繰り返すと外出が億劫になり、引きこもりがちです。テレビがお友達になり、いつも家の中の決まった場所にいるようになる。すると、認知機能はあっという間に落ちていき認知症になりやすくなるのです」

いい年をして自宅を売って「新天地」を求めたところで、待っているのは悲しい結末なのだ。

「週刊現代」2020年2月15日号より

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