実はドイツ国内で「大不評」だったのに…日本を抜いてGDP「世界3位」になった「驚きの改革」

2023年、GDPが世界4位に転落した日本と入れ替わる形で3位に浮上したドイツ。同国の名目GDP成長率は2010年以降に伸びているが、その一因には1998年~2005年まで首相を務めたゲアハルト・シュレーダー氏が断行したある改革があるという。在ドイツジャーナリストの熊谷徹氏が解説する。

(本記事は8月22日発売『ドイツはなぜ日本を抜き「世界3位」になれたのか』より抜粋・編集したものです)

>>第一回『日本がドイツに抜かれてGDP「世界3位」へ転落…その逆転の「本当の理由」』はこちら

2010年以降ドイツ経済を押し上げたシュレーダー改革

なぜ日独経済の間に、これほど大きな差が生まれたのだろうか。ドイツの名目GDP成長率は、2010年以降伸びている。たとえば2010年~2020年のドイツの名目GDPの成長率は51・2%で、前の11年間つまり2000年~2010年の成長率(42・4%)を上回った。2010年以降ドイツの成長率が伸びた一因は、1998年から2005年まで首相を務めたゲアハルト・シュレーダー氏が断行した、労働市場・社会保障制度改革プログラム「アゲンダ2010」だった。当時この国では、人件費の高さが成長の足枷となっていた。特にドイツは社会保障制度が手厚い国なので、賃金以外の労働費用が高い。不動産業を技術でスマートに

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1990年代後半のドイツでは、公的健康保険、失業保険、年金保険、介護保険の社会保険料負担が企業収益を圧迫し、企業の国際競争力が弱まっていた。ドイツ経済研究所の統計によると、2003年の旧西ドイツの製造業界の労働者1人当たりの労働コストは、ポーランドの8・3倍、イタリアの1・62倍、米国の1・36倍、フランスの1・34倍だった。この労働コストのかなりの部分を、社会保険料が占めていた。

長期失業者になって国から援助金を受け取った方が、レストランの従業員やバス運転手として働いて税金や社会保険料を払うよりも、手取りが多くなるケースが現れた。このためあえて仕事に就かずに、失業者としての生活を続ける人も増えた。

統一後、旧東ドイツで多くの国営企業が閉鎖されたり、従業員数を減らしたりしたことも失業者数を押し上げた。

1991年には約260万人だった失業者数が、1997年には68%も増えて438万人に達した。キリスト教民主同盟(CDU)のヘルムート・コール首相(当時)は1990年にドイツ統一を達成したものの、経済政策の失敗の責任を問われて、1998年の連邦議会選挙で敗れた。その後誕生したのが、シュレーダー氏が率いる社会民主党(SPD)と緑の党による初の左派連立政権である。

元々SPDは19世紀に労働運動を母体として創設された、労働者の党である。だがシュレーダー氏は、SPDの政治家としては珍しく、経済界と太いパイプを持っていた。ニーダーザクセン州の首相を務め、同州に本社を持つフォルクスワーゲン・グループの監査役を務めたために、自動車業界とも密接な関係にあった。シュレーダー氏は、企業経営者たちの「社会保険料などの労働費用を減らさないと、雇用を増やせない」という訴えに理解を示した。私は一度ベルリンでの記者懇談会でシュレーダー氏に会ったことがあるが、オーダーメードのイタリア製スーツを着こなし、政治家というよりは企業経営者のような印象を与える人物だった。

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彼は首相に就任した時、「自分の政治家としての価値は、失業者の数を大幅に減らせるかどうかで判断してほしい」と語った。彼は失業者の数を減らすために、企業の労働費用負担を削減して収益性・競争力を高めることを最重要の政策目標にした。彼は2003年に連邦議会で「アゲンダ2010」の発動を宣言し、この国で最も大胆な労働市場・社会保障改革に踏み切った。シュレーダー氏はある演説で「働く能力があるのに労働を拒否する者を、国は支援しない。国民には、怠惰になる権利はない」と断言した。

彼は長期失業者への援助金、生活保護の額を減らし、給付条件を大幅に厳しくすることによって、失業者が就職するための圧力を高めた。たとえば彼は中高年の失業者向け援助金の支払期間を、32カ月から18カ月に減らした。正当な理由がないのに、国が斡旋する仕事を拒否する者には、制裁措置が取られた。彼は「国は困窮者には手を差し伸べるが、市民も自助努力を増やしてほしい」と要求した。今なら補助金で導入費用半額以下

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「市民の身を切る改革」をSPDの首相が断行

シュレーダー政権は、公的健康保険のカバー範囲を狭くしたり、患者の自己負担額を増やしたりすることで、保険料の伸び率を抑えた。労働法を改正し、企業が人件費を減らすために社員を解雇しやすくした。公的年金保険の保険料が賃金に占める比率を19・5%に抑えるための法律を施行させた。シュレーダー氏は、公的年金の支給開始年齢を65歳から67歳に引き上げるべきだと主張し、改革作業に着手した。そのための法案は、シュレーダー氏が首相を辞任した2年後に連邦議会で可決された。

さらにシュレーダー氏は、ミニジョブと言われる新しい業態を導入することで、低賃金労働市場を生み出した。雇用者は、ミニジョブについては社会保険料の支払いを免除されるので、労働費用を節約できる。対象となるのはオフィスの掃除をしたり、飲食店で働いたりする人々である。給料が低いために、一つの仕事では十分に生活の糧を稼ぐことができず、1日に2つ以上の仕事を行う市民も増えた。米国のようなワーキング・プーア(働いているのに貧しい人)の問題が浮上した。労働市場・雇用研究所(IAB)によると、2010年のドイツの就業者の内、低賃金部門で働く就業者の比率は24・1%と、英国(19%)、フランス(12・5%)、イタリア(12%)を上回っていた。つまりシュレーダー氏は、多くの失業者を低賃金部門で雇用させることにより、少なくとも統計上は失業者数を大幅に減らしたのである。

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またシュレーダー氏は法律を改正し、企業が人件費を節約できるように、人材派遣会社から送られる契約社員などの非正規労働者を増やすための政策を取った。非正規労働者の比率が高い、日本のような社会を作ろうと考えたのである。

「アゲンダ2010」は、企業の負担を減らす代わりに、社会保障サービスを悪化させた。シュレーダー氏が行った改革は、第二次世界大戦後、この国の労働市場・社会保障制度が経験した最大の変化であり、働く者の負担を増やすものだった。

通常このような企業寄りの改革は、SPDではなくCDUのような保守政党が行うものである。しかし財界寄りの政治家だったシュレーダー氏が首相になったために、「市民にとっては身を切るような痛みを伴う改革」が実行された。当時野党だったCDUはシュレーダー氏の改革に賛成した。経済界も、「アゲンダ2010」を絶賛した。だがこの改革は、低所得層の可処分所得を減らしたため、彼が率いるSPDの支持率がガタ落ちとなった。特に旧東ドイツでは不満が爆発した。このため彼は2005年の連邦議会選挙で敗れ、首相だけでなく議員も辞職した。彼はその後ロシアのウラジーミル・プーチン大統領に請われて、ロシアからドイツへ天然ガスを送る海底パイプライン・ノルドストリーム1および2の運営会社の監査役会長に就任した。不動産業務をまとめて効率化

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シュレーダー氏は政治家を辞めてから、ロシア企業から高給を受け取るロビイストになったので、ドイツでは評判が大変悪い。彼はロシアのウクライナ侵攻は批判したが、プーチン大統領を批判することを避けている。2022年にロシア軍部隊がウクライナの住民に対して行った虐殺事件についても、シュレーダー氏は「プーチン氏が命じたものではない」と弁護した。SPD内部では「アゲンダ2010」についても、「ネオリベラル的な改革」と批判する人が多い。シュレーダー氏は、SPDから村八分にされている。労働組合からも、「アゲンダ2010は企業だけを利し、市民の所得格差を拡大した悪しき政策」という批判の声が上がった。シュレーダー氏の政策は、SPDへの支持率が低下する一因となった。

シュレーダー改革が労働費用の伸び率を抑えた

だがSPDの異端児シュレーダー氏の「アゲンダ2010」がこの国の労働費用の伸

び率を、他の欧州諸国に比べて抑え、企業の国際競争力を強化したことは事実である。

2010年以降、ドイツの名目GDP成長率が上昇し、日本を追い上げた一因もこの改

革にある。

EU統計局は、主な欧州諸国の労働費用(単位労働コスト)が、2000年から2010年までにどう変化したかを示すデータを発表している。ギリシャの労働費用は2000年から2010年までに37・2%、英国は32・7%、フランスは22・7%伸びた。全EU加盟国の労働費用も平均14・2%増えた。これに対して、ドイツの労働費用の2000年~2010年の伸び率は5・8%に留まった。これはシュレーダー氏の改革によって、労働費用の上昇が抑制されたことを示している。労働費用の伸び率が低いということは、価格競争力を優位に保つことができることを意味する。

熊谷徹『ドイツはなぜ日本を抜き「世界3位」になれたのか』より

熊谷徹『ドイツはなぜ日本を抜き「世界3位」になれたのか』より© 現代ビジネス

シュレーダー氏がこの改革プロジェクトを「アゲンダ2010」と名付けたのは、「労働費用が削減されて、企業の競争力が高まるまでには時間がかかる。実際に効果が表れるのは、2010年以降だ」と考えたからである。彼の予言通り、ドイツ経済はリーマンショックの余韻が収まった2010年以降、成長力を回復した。

【続きはこちら】「年に約150日が休日」…ドイツがそれでも「日本よりGDPが高い」納得の理由

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