害毒をまき散らす「エビデンスおじさん」が管理職失格だと言い切れる理由

部下を黙らせるためのかつてのマジック・センテンス

 その昔、管理職を如才なくやるためには、以下の3つの問いさえあれば良いと言われていた。

 一つ目は、「過去の事例は調べたか」である。自社が過去、同様の件に遭遇したときにどのように対応したかを調べ、基本的には、完全コピーで対応する。このような前例踏襲の思考行動様式は、社内から非難される可能性も低く、過去それなりに機能してきた方法であるがゆえに、如才ない人にとってはとても使い勝手が良い。

 二つ目は「他はどうしているのか」である。ほとんどの場合、自分のところで起こっている問題は、同業他社または社内の別の部署でも起こっている。だから、新しい挑戦をしたがる会社や人がどのように対応し、どのような結果になったのかを見てから行動すれば良いという思考行動様式である。成功した方法はまねし、失敗していたらその領域には近寄らない。これまた如才ない人にとっては、大変効率の良い対処の仕方である。請求書発行システム《20選》

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 三つ目は、「○○さんはどう言っているのか」である。社内の有力者がこの案件に対してどのような意向を示しているかを把握し、その意向に沿った行動をすることが如才なく生きるためには重要である。たとえ会社の繁栄や成長にとって必要なことであったとしても、社内の有力者が良いと思っていない行為は絶対に歓迎されない。成功しても高い評価は得られない。大成功したときだけ、「私も前から君の考えが優れていると思っていたんだよ」と前言撤回がなされるのである。意向に反する行動の結果への期待値は異常に低い。よって、有力者の意向を把握し、それに沿って対応することも如才なく生きるためには重要なのである。

 こうしたマジック・センテンスに依存する人は「自分で考えず」「安全第一」で「挑戦しない」人であるから、そのような思考行動が合う仕事に変わってもらった方が良い(すなわち出世させない方が良い)。

 しかしながら、如才ない人というのは生きていく上で賢い。上記のような伝統的な問いに終始していると、最近では会社や周囲からの評価が低くなることを直感的に理解し、現在は上記の3つのセンテンスは積極的には使われなくなってきた。

 その代わり、最近は、別の言葉が使われるようになっている。それはリスクとエビデンスである。いわく、「リスクは十分に検討したのか」「エビデンスに基づいているのか」だ。

「リスクは十分に検討したのか」検討させて意欲をくじく

 まず、「リスクは十分に検討したのか」について考えてみよう。

 新しい試みは、それが何であったとしてもリスクと不確実性の塊である。最近であれば新店を出した途端に新型コロナに見舞われ、大きな損害を被った会社はいくらでもある。地政学的な変化から、あてにしていた原材料が確保できなくなってしまったような会社も同様にある。よって、ビジネスを遂行する上で、しっかりリスクを検討することは重要だし、特に新しい挑戦をする際には、リスクの想定は絶対に必要である。

 リスクを検討するフレームワークの一つとしてPEST分析がある。Politics(政治・法)、Economics(経済)、Society(社会)、Technology(技術)があり、自分たちが事業を推進する場合に、どのようなリスク――たとえば関連する法律が変わる可能性、新技術の登場の可能性、それらの影響――があるかを事前に考えることは必須である。セミビキニブリーフ(前あき)(3枚組)

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 そこで如才なき管理職はこれを利用する。

 一度やってみればわかるが、あらゆる事業活動には、多種多様なリスクがある。それらをすべて挙げて、その発現可能性と影響度の大きさを考えると、何事であってもそう簡単に成功することはできないことが明確になる。そしてリスクを洗い出すことにより、ネガティブな状況が想起され続けると、よほどモチベーションの高い担当者でなければやる気がなくなってしまう。そうするうちに自動的に新しい試みは取り下げられる。何もやらなくても良い大義名分になる。

逆転のマジックワード「エビデンス」ビジネス=リスクテイキングなのに…

「エビデンスに基づいているのか」もリスクに負けず劣らず最近人気の問いかけである。

 ここ数年来、「それってあなたの感想ですよね」という言葉遣いで、大人を「論破」した気になる小学生が増殖し、その物言いに頭を悩ませる親の嘆きもよく聞かれたが、それと大差はない。

 過去のダメ管理職の特質としてよく言われたのが、KKDである。経験(Keiken)と勘(Kan)と度胸(Dokyo)の頭文字がこのKKDであり、科学的客観性や合理性に基づいてビジネスをしたい昨今のマネジメント層からは、日本企業の後進性として嫌われてきた。したがって、これからはKKDに変わって、Evidence(エビデンス)に基づいたEvidence-Based Management (エビデンスベースのマネジメント)に変えよう、という大きな流れがある。

 ただ背景事情として、少なくともインターネット時代以前には、科学的に意思決定しようと思っても、手元に十分な情報がなかったということがある。それゆえKKDに頼るのは、ある意味仕方がなかったのだ。

 ところが、現在、情報はむしろ有り余るほどある。それらの情報を十分に分析すれば、プロジェクトの成功可能性は飛躍的に上げられると考えられているのである。

 とはいえ、現在のデータは少なくとも、過去の事例や市場の動向などである。新たなビジネスチャンスや革新的なアイデアは、データの示す傾向や過去の事実に基づく判断では捉えにくいものであり、創造性や直感の要素が重要だ。そして、成功する経営者やマネジメントはそのことをしっかり理解しており、直感を補足するためにエビデンスを集め、エビデンスの限界もわきまえた上で、意思決定をしようとするのである。

 ただ、そこに付け込むのが如才なき管理職である。あろうことか「成功を保証するエビデンスを示せ」とほのめかすのである。

 そもそも、リスクこそが利益の源なのであり、ビジネスとはリスクを取るところに存在する。ビジネス=リスクテイキングであり、それをどうコントロールするかが、上席にあるものの手腕の見せどころであろう。もし、完全なデータを基に極めて高い確度で成功が予測されるビジネスなのであれば、他の企業も間違いなく参入しているであろうから、すでにレッドオーシャンであるか、現在そうでなかったとしても、いずれ供給量が激増して、利益が生まれなくなるに決まっている。

 しかし、成功を保証するエビデンスを出せとほのめかす管理職は、ビジネスの意味も、エビデンスの意味も知らず、自分が言っていることの矛盾にも気づかない。ビジネス不適格者と断言しても良い。

 にもかかわらず、現在、「エビデンス」の一言で鬼の首を取ったような顔をするろくでなしがいろいろな場所に生息している。残念ながら、中高年の男性管理職に多く見受けられると感じられる(その数、もしくは割合についての「エビデンス」はないのであらかじめご容赦願いたい)ので、私はひそかに「エビデンスおじさん」と呼んでいる。

「エビデンスおじさん」のまき散らす害毒は、少なくとも自らリスクを取るKKDな管理職のダメさをはるかに凌駕するだろう。

 伝統的な問いである「過去の事例は調べたのか」「他(ほか)はどうしているのだ」「○○さんはどう言っているのだ」。そして、最近のトレンドである「リスクは十分に検討したのか」「エビデンスに基づいているのか」――。

 もちろんこうした問いを発しても構わないし、リスクなりエビデンスという語彙を使っても構わない。実際に使う必要のある場面も多々ある。しかしながら、こうした便利な言葉を自分が何もしないために、空虚に垂れ流す如才なき管理職には、さっさとお引き取りを願った方が良いだろう。放置するのはそれこそリスクであり、それはエビデンスを示すまでもなく、明らかだ。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)

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