広末涼子「流出ラブレター」に見える“無邪気さ”と“傲慢さ”のギャップがキツいワケ

同世代の男女ともに憧れを抱いた広末涼子の魅力

 時代時代に、世間をざわつかせる美少女がいる。広末涼子の前には宮沢りえがいた。現在は広瀬すずがその筆頭だろう。しかし2人とも顔立ちが濃く、ほとんどの日本人女子にとって、自分と重なり合わせるには無理を感じてしまうのではないだろうか。  その点、広末涼子は和風な顔立ち、高知県出身、ボーイッシュなショートカット、学校制服が似合う透明感と、同世代の同性が「あのような女性になりたい」と感じ、男子は「あんな彼女がいたらなぁ」と感じられるスペックであったと思う。そういう点で、世間を騒がせた震度は広末涼子の方が大きかったのではないだろうか。

広末涼子の文章から見えた「無邪気さと傲慢さ」

 日本中をざわつかせるほどの唯一無二な美少女人生を幼いときから歩んでいたら、一般人とは違う感性・価値観が育つのではないだろうか。流出した広末涼子の交換日記、謝罪文を読んで、やはりとてもユニークなパーソナリティを感じた。広末涼子のまるで少女のような人間性に驚いた。そして、少女は無邪気で、ゆえに他意なく傲慢だと思った。

ラブレターから見えた少女性とのギャップ

 流出した交換日記の文章は、まるで少女のポエムようだと思った。  出逢ってくれて、会ってくれて、合ってくれて、くっついてくれて、入ってくれて、泣かせてくれて、きもちくしてくれて、いつもどんな時もあなたらしく居てくれて、対峙してくれて、本当にほんとに、ほんとうに、、ありがとう。    冒頭の「逢って」「会って」「合って」の同音異字3連発は、どんな違いがあるのだろう? 本人がその違いを明確に意識しているのだろうか? 「入ってくれて」とは、どういう意味だろう? このような言葉の響きのみ重視した、意味としては曖昧な言葉のチョイスは、少女のポエムの特徴だと思う。  一方で、肉体関係を暗示するような表現があって、少女性とのギャップがなんとも淫靡である。しかし、それとて、ラブホテルに添えられていた「思い出ノート」に「きもちかったよ」とか書いていた、いにしえの少女のようではないか。それにしても「きもちく」って。

公に出す文章とは思えぬ「無邪気な謝罪文」

 謝罪文は、なんとも無邪気だ。  3人の子どもたちには、膝を突き合わせ直接『ごめんなさい』をしました。彼らは未熟な母親である私を、理解し認めてくれました。  膝を突き合わせてとは、お互い本音で語ることだと思うが、7歳と12歳が、どうやって不倫について本音で語ったのだろう。19歳の息子も、母親の不倫について、本音で語り合うなんて苦痛すぎる。「理解し認めてくれた」とはなんとも手前味噌に思えた。  それにしても「『ごめんなさい』をしました」って、「きもちく」同様、どこまでかわい子ぶるんだ! しかもこっちは公の謝罪文なのに。    「女優業を汚してしまった」とは、どういう意味なのだろう? 作品がお蔵入りになったことを言っているのだろうか? ならば、謝るべきは迷惑をかけた人だ。「神聖性」を持ち出されたら煙に巻かれたような気持ちになると思うのだけれど。自己陶酔も少女の特徴である。

今回の件で感じた、広末涼子の“個性的な魅力”

 少女のような内面。それゆえの無邪気さ、傲慢さ。恋多き女の色気。交換日記なぞをやってしまう、そしてそれが流出してしまう脇の甘さ。個性的な男性遍歴。今回の一件で、一筋縄ではいかない広末涼子の個性的な魅力、色気を改めて感じてしまった。  ところで、これは完全に蛇足であるけれど、広末涼子のセカンドシングル『大スキ!』の歌詞、「とっても、とってもとっても」と、交換日記中にあった「本当にほんとにほんとに」という文章が重なって、「これって広末の口癖なの?」と邪推して、笑ってしまった。  その時、ふと思った。広末涼子のデビュー曲「majiでkoiする5秒前」は非常にインパクトの強いタイトルだ。そのインパクトの根源は「5秒前」にあると思う。「5秒前」の唐突さが違和感を生んでいる。「5秒前」という秒読みは「発射」を連想させる。  このタイトルって、かつて広瀬すずにカップ焼きそばのCMで、「マヨビームかけさせて。ブッチュー。全部出たと?」と言わせたような、卑猥さを暗示させる、サブリミナルなタイトルだったのだろうか?(このCMは露骨すぎるけど)  竹内まりやがそんなことするわけないか……。 【椎名基樹】 1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina

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