新型コロナ感染の収束が見通せない中、今夏に開催予定の東京五輪・パラリンピックの再延期もしくは中止論が日増しに高まっている。仮にオリンピックが中止になった場合、不動産市場にも影響を及ぼすとの予測も出ているが、果たして本当なのか──。住宅ジャーナリストの榊淳司氏がレポートする。
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2021年7月に開幕する予定の東京五輪に暗雲が漂ってきた。年明けからNYタイムズやブルームバーグなど、海外のメジャーなメディアが五輪開催を危ぶむ報道記事を出し始めたばかりか、菅内閣の閣僚からも「開催は不透明」という発言が出てきた。
現状から考えると、開催はいかにも避けるべきと思える。選手団へのPCR検査の徹底や入国後の自主隔離、あるいは無観客での協議開催といったイレギュラーな措置を採ったとしても、五輪関連でのクラスター発生は避けられないと予測できる。
最悪の場合は、多くの来訪者が発症して命の危険にさらされることだってあり得る。最早、現実的に考えると五輪開催はかなりの確率で危うい。例えば、「今から2週間後の開催」というスケジュールであれば、100%不可能だと言える状況だ。
仮に五輪が中止になった場合、東京のマンション市場にどのような影響があるのかを考えてみたい。
その第一歩として、2013年9月に東京五輪の開催が決まったことで、この街のマンション市場がどのように変化したかを振り返ってみよう。
閑古鳥が鳴いていた湾岸タワマンが次々完売
それは、混迷の民主党政権が終わって1年ほど経ったころだった。第2次安倍政権の1年目。その年の3月には黒田東彦氏が日本銀行の総裁に就任。市場にマネーを大量投下する異次元金融緩和が始まって約半年ほどが経過しようとしていた。
IOCのロゲ会長から「TOKYO 2020」というカードが示されたとき、安倍総理や猪瀬東京都知事(肩書はいずれも当時)が席から飛び上がって狂喜する映像を記憶に焼き付けている方も多いと思う。
東京のマンション市場では、その翌日から大きな異変が始まっていた。それまで閑古鳥が鳴こうかという有様だった、湾岸エリアで販売中のタワーマンションのモデルルームに見学の予約が殺到。押すな押すなの大盛況のうちに、販売住戸は次々に完売。市場は一気に五輪祝祭ムードに包まれた。
さらに五輪開催決定後に売り出されたタワマンは価格がそれでまでの1.2倍程度に上昇。それでもスムーズに完売していった。今では2013年当時のおよそ1.5倍にまで相場観は上昇している。
しかし、その間に日本経済が大きく成長したわけではない。ましてや、個人所得は増えていない。日本全体として住宅の価格が上昇したかというと、部分的には上がったが、全体としては低迷していると言っていいだろう。
つまり、五輪開催エリアである東京の湾岸エリアやステイタス性の高い城南、あるいは人気が集まった神奈川県川崎市の武蔵小杉エリアのような限られた地域で、マンションの価格が異様に高騰したのだ。
確かに、アベノミクスによって日本経済は民主党時代のような低迷は脱した。雇用も改善して、人手不足が叫ばれるようになった。新卒の採用戦線は売り手市場へと変わった。
ただ、2度にわたる消費税率の引き上げや公共料金等の値上げなどによって、個人所得は実質的に下がったと言っていい。多くのサラリーマン諸氏の暮らしは、実感を伴って好転しなかったのではないか。それにもかかわらず、東京の湾岸や城南、武蔵小杉エリアのマンション価格はアベノミクス以降で約1.5倍に上昇したのである。
東京の街の成長は30年前に終わっていた
その理由はいくつか考えられる。まずは、黒田日銀総裁が実施した異次元金融緩和によって長期金利はゼロベースに下がった。マンションを購入する際の住宅ローン金利はここ数年、コンマ以下の0.5%前後まで低下。さらには住宅ローン減税をはじめとした実質的な「マンション購入支援」の諸政策が、市場に強力なフォローの風を吹かせた。
また、湾岸エリアで特筆すべきは「このエリアは五輪が開催されることによって近未来には必ず発展する」という、やや根拠の曖昧な楽観予測があったことは否めない。確かに東京の湾岸エリアは五輪ありきで街づくりが進んできたため、消費者側も五輪という付加価値や値上がりを期待して新築のタワマンを購入していた。
しかし、昨年末に出した『ようこそ、2050年の東京へ(イースト新書)』という拙著で詳しく述べたが、東京という街の成長は今から約30年前の1990年でほぼ終わっている。
それから今に至る30年は、成長というよりも成熟の時代だった。その間、新たに開業した地下鉄路線が実質的には3本しかないことが、東京が1990年の時点ですでに完成形になっていたことを示していた。
東京という街に、今後発展するフロンティアは存在しない。しかし、五輪を開催するためには都心からあまり離れていない場所で、それなりのスペースが必要だった。そこで、東京の街が完成したにもかかわらず、都心近辺で取り残されていた広大な遊休地に目がつけられた。それが、湾岸エリアなのである。
例えば、五輪が開催された場合の選手村は閉幕後3年でマンション群に変わる予定である。しかし、そのエリアは東京でもっとも新しい部類の地下鉄路線の駅から近くても徒歩15分、遠いところは20分というマンションにとっては本来不適な場所である。
ところが、五輪の祝祭ムードはそういうマンションへの需要でさえ、一定数のボリュームを湧き出させてしまった。
マンション価格暴落は「王様が裸に戻るだけ」
仮に五輪が開催されないとなると、そのような祝祭ムードは一気に吹き飛んでしまう。五輪開催決定後に、約1.5倍となったマンション価格の相場観は短期間のうちに元の「1.0」に戻ったとしても不思議ではない。そうなったとしても、それはただの自然現象である。しかし、傍目には「暴落」と見えるかもしれない。
むしろ今後深刻化するコロナ不況の影響で「1.0」を切ることさえ十分にあり得る。なんといっても、この7年間に日本経済は大して成長していないばかりか、個人所得は実質的に減少しているのだ。一部エリアのマンション価格が高騰したこと自体が不自然だったのである。
本来ならば低下しているはずのマンション価格を押し上げてきたのは、金融政策史上ありえない手法と常識をはるかに超える規模で実施されてきた異次元金融緩和である。湾岸エリアではそこに「五輪開催」というお祭り気分の空気感が加わって、加熱したと言っていい。
五輪開催中止という決定がなされれば、多くの人が“王様は裸だった”ということに気づくだろう。その後はただ、王様が裸に戻るという現実が待っているだけだ。