池袋から西武がなくなる──変わりゆく街と客層、百貨店が消える本当のワケ

セブン&アイ・グループの百貨店そごう・西武が売却され、その売却先がヨドバシ・ホールディングスと連携する海外ファンド、フォートレス・インベストメントに決まったことが公表された。 【画像】顧客が激減! 百貨店の運命は……(8枚)  そごう・西武の旗艦店といえば国内百貨店でも有数の売り上げを誇る西武池袋であり、その店がヨドバシカメラを核店舗とした商業施設に替わるという予測が報じられると、賛否両論が巻き起こっている。  その店舗不動産の一部を所有する西武ホールディングスや、池袋のある豊島区の区長も、池袋から百貨店が減ることに関しては、望ましくないという意向を表明している。この店が今後、どのような形になるかはまだ確定してはいない。  フォートレス側もまだ公表できる決定事項はない、として方向性について示してはおらず、これから紆余曲折があるのかもしれない。

昔、百貨店は大衆に愛されていた だが今は……

 個人的な思い出話になるが、はるか昔、自分が小さい子どもの頃(昭和40年代)、豊島区の社宅住まいだったわが家の休日は、西武池袋店に買い物に行くのが定番だった。  親に連れられて、バスに乗って池袋駅に行き、母親が買い物をしている間、買い物なんかに興味がない子どもたちを、父が西武の広い屋上遊園地に連れていき、そこで遊んで待っていたというぼんやりした記憶がある。  子どもにとっては、屋上から一つ下がった階にあった(と思うのだが定かではない)大食堂で、ご飯に小さい旗が立っているお子様ランチを食べて帰る、というささやかな楽しみもあった。当時、街にファミレスも回転寿司もなかった時代であり、子どもが外食に連れて行ってもらえる機会は多くはなく、子ども心に池袋西武はアミューズメントパークのようなものとして記憶に残っている。  今、百貨店から屋上遊園地はなくなり、大食堂のようなレストランもほとんど見かけない。大衆ファミリー層が訪れなくなった百貨店は、極端に言ってしまえば、中高年レディスファッション、化粧品、インバウンド需要(コロナ期は消滅していた)、もしくは富裕層への外商に支えられた偏った店になった。  駅ターミナル、中心市街地の一等地に陣取っていながら、そこを通る人流の若年層、大衆ファミリー層が買い物をしない大型商業施設という、いびつな存在が今の多くの百貨店の姿でもある。

「若いころ百貨店を利用していた中高年」は増えない

 ちょっと脱線するが、高齢化の進む日本においては、百貨店が狙う中高年市場は拡大しているはずではないか? ということを、しばしば問われるので、説明をしたい。中高齢人口が増加していることと、百貨店ファンの数とはほとんど関係がない。  百貨店ファンの中高年女性とは、若いころに百貨店を利用していた世代(主には団塊世代というのがイメージに近い)が、時代を経て中高年になっているということであり、当たり前だが歳を取れば百貨店を利用するようになるということでは決してない。  今の50代は昭和40年代生まれぐらいだが、その世代でも、もう百貨店を普段使いしている人は多くない。彼らより下の世代が取り込めなかったことにより、昔からのファン層が百貨店と一緒に歳をとり、そして徐々に買い物の主役から退場しつつある。  図表1は50歳以上人口の推移と2000年時点で50歳以上だった人の人口の推移だ。50歳以上の人口はこの20年で増えているが、00年時点で50歳以上だった世代は減り続ける。当たり前だが、新しい世代を取り込まなければ、高齢化とは関係なく顧客層が急速に減少することが示されている。大衆ファミリー層を失った百貨店は、成り行きに任せれば、右肩下がりから抜け出せないのである(外部配信先では図表を閲覧できない場合があります。その際は「ITmedia ビジネスオンライン」内でお読みください)。  1990年代以降、大衆ファミリー層のニーズは分散した。家族の休日を過ごす場所としては、専門店チェーンの集積であるショッピングセンターが、駅ターミナルや郊外に出現したことで、百貨店はその受け皿ではなくなった。  特に広い空きスペースがある地方や郊外においては、広大な駐車場を備えた低層階のショッピングモールが多数できたことによって、百貨店が立地する中心市街地という街のターミナル機能自体が低下した。  百貨店は大型店舗を地域の人流の中心に立地させることで、広域の商圏から広く集客して初めて成立する商売である。そのため、立地する中心市街地自体がクルマ社会化の下で衰退している地方においては、街と共に弱っていくしかない。

減り続ける運命の百貨店

 東京、横浜、大阪、京都、神戸の特別区、政令都市の百貨店売り上げと、それ以外を地方としてこの25年間の売り上げ推移を比べてみると、2大都市圏に比べて、地方百貨店の減収傾向がひどいことが分かる(図表2、外部配信先では図表を閲覧できない場合があります。その際は「ITmedia ビジネスオンライン」内でお読みください)。  2010年以降コロナ前までに注目すると、大都市圏では減収から増収へと巻き返していたことも見て取れる。これが訪日外国人のインバウンド需要であり、この追い風によって大都市百貨店は一息つくことができた。  この間にも地方では百貨店の閉店が続いており、政令都市以外では百貨店が残る場所がどんどん減ってきた。しかし、コロナ禍の襲来により、この恩恵が消失した大都市百貨店も地方百貨店と同水準にまで落ち込んでしまった。そんな中、大都市ターミナル型百貨店の再開発、建て替えが一斉に進められている。  これまでもJフロントリテイリングでは、大丸札幌店、心斎橋大丸のテナント化による収益改善や、銀座店をGINZA SIXに転換し、ショッピングセンター化するという動きを進めてきた。百貨店としての売場を縮小、もしくは転換し、事業構造を大きく変えて収益改善をはかろうとする動きだが、多くの百貨店で同様の動きが目立つようになってきた。  東急百貨店は渋谷駅再開発に伴って東急東横店を閉鎖したが、その跡地に百貨店が再建されることはなく、副業商業施設、渋谷スクランブルスクエアとなる。東急百貨店本店も再開発により閉店が決まっている。その後、再構築されるかどうかは明らかではないが、百貨店として構成する可能性は低いとされる。  さらには、新宿駅西口の小田急百貨店も再開発により、大幅に減床し事実上アパレル売場がなくなった。ここでも、再開発後に出店するかどうかは明らかになっていないが、大方の予想では複合商業施設となるのではとのうわさがある。ついに、東京のターミナルエリアでさえ、百貨店が閉店する時代に入ったのである。  こうした話は「ついに百貨店がなくなってしまう!」ということを言っている訳ではない。ただ、古くからのオールドファン、富裕層、そしてインバウンド、などの特定の需要を取り込む業態へと変わったのだから、それに合わせて必要とされる店舗の数も減る、ということになる。  三越伊勢丹ホールディングスは2023年3月期で過去最高売り上げとなる予想を発表しているし、阪神阪急百貨店も過去最高の外商売り上げを記録している。高島屋、Jフロントリテイリングもその存在感は揺るぎない。ただ、百貨店が立地するターミナルの人流に甘んじて、自社顧客層の見極めをすることなく、漫然と売場を展開し続けるなら、オールドファンの退場と共に自らも退場せざるを得ない。

これからも存在し続ける百貨店とは

 これからも存在し続ける百貨店には、DXという技術革新を取り込んで、自社が選択した顧客層との新たな関係を構築することが求められるのではないだろうか。  百貨店が外商部というチームを抱えて、お得意さまを個別にフォローしているという話を聞いたことがあるだろう。その詳細については、ほとんど開示されないので、あまり目には触れないが、富裕層向けコンシェルジュ集団と言ってもいいだろう。  外商は、顧客のさまざまな情報を集め、趣味趣向を踏まえてニーズを先取りして、多角的な提案を行っていくことで、収益機会を極大化するためのプロ集団である。  この外商機能が、実はDXとの相性がとてもいいことをご存じだろうか。DX化とは、コンシューマービジネスにおいては、個人のIDを通じてさまざまな購買履歴や行動履歴を収集し、データとして蓄積することで、顧客ニーズを把握できるようになることを意味する。  これこそ、外商のノウハウを可視化し、拡張できる技術革新であり、うまく使えば、トップ外商マンの「技」を組織で共有することも可能になる。  自社の設定した顧客層に対して、DXを活用したコンシェルジュ機能の強化を進めていけば、百貨店はこれまでにはない収益機会を開拓していくことができるのだ。DXをどのように位置付けているかによって、これからの百貨店の行く末は大きく変わってくるはずなのである。

著者プロフィール

中井彰人(なかい あきひと) メガバンク調査部門の流通アナリストとして12年、現在は中小企業診断士として独立。地域流通「愛」を貫き、全国各地への出張の日々を経て、モータリゼーションと業態盛衰の関連性に注目した独自の流通理論に到達。

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