派遣労働者に退職金を支払うこと。派遣時給に退職金相当の6%分を上乗せして支払うことも選択肢の一つとする——。厚生労働省は2019年7月8日、こういう趣旨の通達を都道府県労働局長に出した。
© 撮影:今村拓馬
退職金制度がない会社もあれば、正社員には退職金を支給していてもパート・アルバイトなどの契約社員には支給していない会社がほとんどだ。しかも長期雇用を前提としている退職金を短期で働く契約社員に退職金を支給することに驚く人もいるだろう。
実際の支給は2020年4月の改正労働者派遣法の施行から始まる。派遣社員は派遣先の企業を退職する際、派遣先企業の基準に基づいて派遣元から退職金を支給されることになる。退職金の水準は派遣先企業によって違うが、今回の通達で示されたのは「労使協定方式」(後述)による全国一律の基準だ。
支給方法の選択肢として挙げられている例は次の3つだ。
- 勤続年数などによって決まる一般的な退職金制度の適用
- 冒頭に挙げたように時給に6%上乗せする退職金前払い方式
- 中小企業退職金共済制度などへの加入
しかも1を選択した場合、勤続年数3年であれば月給の1.2カ月支給(会社都合)を下回らないようにすることとし、同じように勤続5年では1.9カ月、10年では4.1カ月、20年は8.9カ月など、こと細かく例示されている。
同一労働同一賃金は賞与や手当でも
そもそもなぜ派遣社員に退職金を支払わなくてはいけないのか。
きっかけは政府の同一労働同一賃金の法制化の流れだ。正社員と非正規社員の間の「不合理な待遇の相違の禁止」を定めたパートタイム・有期雇用労働法と改正労働者派遣法が国会で成立した。
法律には「事業主は、その雇用する短時間・有期雇用労働者の基本給、賞与、その他の待遇のそれぞれについて」と書かれ、正社員と非正規社員の間で基本給だけではなく、賞与や諸手当などのすべて待遇を対象にしている。そして正社員と非正規社員が同じ業務で同じ期間働くなど、働き方が同じであれば同じ金額を支払うこと、やっている業務の内容や勤務期間など働き方が違っている場合はその違いに応じて払うこと、と言っている。
前者を均等待遇、後者を均衡待遇と呼ぶ。均衡待遇は違いに応じたバランスのとれた処遇にしなさいという意味だ。
では、どういう働き方であれば賞与や手当などについて正社員と同じ、またはバランスのとれた処遇にしなければいけないのか。
その判断基準が2018年12月に出された「同一労働同一賃金ガイドライン」だ。
派遣先企業の正社員と同様の待遇に
© 出典:厚生労働所省HPより
ガイドラインでは同じ仕事をしていれば、基本給、賞与、役職手当、特殊作業手当、特殊勤務手当、時間外労働手当の割増率、通勤手当・出張旅費、単身赴任手当、地域手当など同じ額を支給する、としている。仕事の内容とは直接関係のない食事手当や社宅、保養施設などの福利厚生施設の利用も、正社員、非正規社員の区別なく同じにすることを求めている。
これは派遣社員でも同じだ。
派遣社員の場合は直接雇用している派遣元の会社ではなく、派遣先の企業の正社員との均等・均衡待遇を求めている。だが派遣社員の場合、大企業に派遣されると正社員との均衡待遇で給与が高くなるが、派遣先が例えば中小企業に行くと給与が下がるなど不安定になる。せっかくキャリアを蓄積しても派遣先が変わって給与が下がれば、キャリア形成意欲も衰えるなどの弊害もある。
そのため「派遣先均等・均衡方式」を原則としながらも、特例として派遣元事業者と派遣社員の過半数で組織する労働組合(または代表者)との協定で賃金などの処遇を決めることを認めた。これを「労使協定方式」と呼ぶ。
退職金制度ない企業でも支払いは義務
© 撮影:今村拓馬
そこで本題だ。
労使協定方式を認めても事業者の中には立場の強さを背景に、派遣社員の賃金を安く設定し、派遣先に送り出す可能性もある。実際に派遣事業者は中小を含めて4~5万社といわれ、最悪の場合、最低賃金レベルで協定を結ぶ恐れがある。
そのため労使協定を結ぶ場合は、「賃金額が、同種の業務に従事する一般の労働者の平均的な賃金額として厚生労働省令で定めるものと同等以上であること」という一文が法律に書き込まれた。
その省令が7月8日に出された通達だ。通達には職種ごとの基本給・賞与をはじめ通勤手当と退職金について厚労省の統計に基づいた一般労働者の平均的な賃金水準が示されている。法律では「同等以上」となっているが、示された水準以上の金額を支払わなくてはならないということだ。
だが、基本給や賞与はともかく、退職金制度がない派遣事業者も多い。実際に普通の企業でも退職金制度がない企業が22.2%もある(厚生労働省「就労条件総合調査」)。それでも「うちは退職金制度がないので退職金は支給しない」ということは許されない。退職金がない派遣事業者も一般労働者の退職金水準以上を支払わなくてはいけない。
「派遣会社の経営は圧迫される」
もちろん派遣先の正社員との均等・均衡方式によって派遣先に負担してもらうという方法もあるが、嫌がる派遣先も多いという。
これにに対して派遣事業者の反発の声も強い。百貨店などの流通系店舗に派遣している中堅派遣会社の役員はこう不安を口にする。
「派遣先均等・均衡方式ついては、力関係で拒否する派遣先が多く、労使協定方式にせざるをえない派遣会社が多いと聞いています。当社には派遣社員以外に派遣と派遣先をつなぐコーディネーターや営業の正社員もいます。もともと系列の百貨店の出身者も多く、退職金制度がありますが、派遣社員にはありません。派遣の退職金をどうするのか検討中ですが、今出ている案としては確定拠出年金か賃金に上乗せする前払い方式を選択させる制度を導入するというものです。いずれにしても原資は増えますし、その分を派遣先に請求し、承諾してもらえるのかという問題もあります」
もっと大変なのは退職金制度がない中小の派遣事業者だと言う。
「極端に言えば、正社員や管理職には退職金はないのに派遣社員のみに退職金制度を設けざるを得ない会社も出てくる可能性があります。それが逆差別になり、正社員のやる気を削ぐことになるので正社員にも退職金を支払うことになります。いずれにしても経営を圧迫することは間違いありません」(前出・役員)
派遣だけでなく、契約社員やパートにも
© 撮影:今村拓馬
実はこの問題は派遣業界にとどまらない。
正社員との均等・均衡を定めたパートタイム・有期労働法は2020年4月1日に施行される(中小企業への適用は2021年4月から)。非正規社員は雇用者総数5679万人(総務省労働力調査2019年6月期、役員を除く)のうち、2148万人と37.8%を占める。そのうち派遣労働者は142万人にすぎない。
現在、大手企業を中心に基本給、賞与、家族手当、住宅手当などの諸手当について非正規との待遇差をどのように解消していくのか検討している最中だ。だが、多くの企業では退職金の支給を検討しているところは少ない。長期雇用の功労報奨金的性格を持つ退職金は、裁判所もさほど問題にしないだろうし、検討するにしても後回しでよいと考えているからだ。
しかし、その認識は甘すぎる。同一労働同一賃金の提唱者である東京大学社会科学研究所の水町勇一郎教授(労働法)は、あるセミナーでこう語っている。
「派遣労働者の退職金制度や前払い方式が来年4月から実現する。派遣も退職金をもらうのに、有期契約社員やパート社員は退職金がないということはあり得ないわけです。当然、自社の正社員と同じような退職金制度を有期・短時間労働者にも適用しなければいけない」
水町教授は、7月8日の厚労省通達を契機に派遣以外の有期・短時間労働者の退職金支給についての検討が加速するとみている。
2019年2月20日。東京高等裁判所は駅の売店で働く正社員に支給している退職金を契約社員にも支払うように命じる判決を下している(メトロコマース事件)。
退職金だけではない。これまで正社員に支給されて非正規社員に支払われていなかったボーナスをはじめ家族手当・住宅手当などの諸手当を支給すべきだとする判決が相次いでいる。
2020年4月の施行に間に合わせるには労使協議や就業規則の改正、従業員への周知活動も含めて、今年の秋口から年末にかけて制度の骨格を固めていく必要がある。
溝上憲文:人事ジャーナリスト。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て独立。人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマに執筆。『非情の常時リストラ』で2013年度日本労働ペンクラブ賞受賞。主な著書に『隣りの成果主義』『超・学歴社会』『「いらない社員」はこう決まる』『マタニティハラスメント』『人事部はここを見ている!』『人事評価の裏ルール』など。