日本の中枢で「景色」が変わった場所がある。東京・大手町にある経団連会館23階にある会長執務室だ。日立製作所会長の中西宏明氏が経団連会長になった5月、卓上に初めてパソコンが備えられた。中西氏は14代目の経団連会長だが、それまでの13人は自らパソコンのキーボードを触っていなかったのである。
部屋でパソコンを操る財界総理はいなかった
〈中西は事務局の役員やその部下らに、メールで施策の進展状況などを問う。部屋でパソコンを操る財界総理はいなかった。
メールを受け取った職員の一人は言う。「最初は本当に驚いた。これが中西さん流だ。主に紙でやり取りしてきた職員の働き方も変えようとしている」〉(読売新聞、2018年10月24日)
このエピソードが「改革」の文脈で語られてしまうのが、日本の中枢の現在位置である。ネット世論は大いに驚き、ずっこけた。
永田町、霞が関、丸の内――。日本の中枢はパソコン、スマホがまともに使えない「おじさん」たちの巣窟でもある。
「偉い人たちの働き方」が変わるかもしれない
読売新聞の記事が出た翌25日、自民党政調審議会はいつもと様子が違っていた。机の上にあったのはタブレット端末と缶入りのお茶。紙の資料がなかったのだ。岸田文雄政調会長は「ペーパーレス化が党内に定着することになれば今日は歴史的な日になる」と得意げに端末をかざした。確かに、日本の「偉い人たちの働き方」が変わるかもしれない。
自民党結党以来初の試みであるペーパーレスの政調会を、新聞は「岸田政調会長が主導する政調改革の一環」と持ち上げた。しかし実際には仕掛け人が他にいる。自民党の若手の小泉進次郎、村井英樹、小林史明ら各議員の呼びかけに維新の会、国民民主党などの議員が応えて発足した国会改革のための超党派会議「『平成のうちに』衆議院改革実現会議」である。
与野党の利害が複雑に絡み一向に進まない国会改革。すべてを一気に進めるのは無理でも、できることは「平成のうちに」に実現しよう、という趣旨で一風変わった会の名前が付けられた。実現を目指しているのは、
(1)党首討論の定例化・夜間開催
(2)衆議院のIT化
(3)女性議員の妊娠・出産時等への対応(代理投票の実現)
である。
衆参両院の印刷関連費は約12億円
(2)のIT化で具体化の第一歩となるのがペーパーレス化であり、国会に先駆けて自民党の政調会が実行したわけだ。たかがペーパーレスと侮ってはいけない。「2020年以降の経済財政構想小委員会」事務局長次長で国会議員になる前はNTTドコモの社員だった小林史明衆院議員はこう指摘する。
「国会では文書の電子化が進んでおらず、2018年度予算で衆参両院の印刷関連費は約12億円にも及んでいます」
小林議員が指摘するように、政調審議会や部会は予算案や法案を審議、了承する場で、各省庁から大量の説明資料が配布される。永田町、霞が関はネット全盛の今の世も紙の山に埋もれているわけであり、ペーパーレス化が浸透すれば印刷費が減らせる。また、
このため衆院は2019年度予算の概算要求でICT(情報通信技術)化の調査費として700万円を計上。各議員へのタブレット端末の配備にかかる費用や効果を検証する。今臨時国会からは、請願処理の経過報告書を印刷せず、国会関係者専用ページに掲示することになっている。「平成のうちに」の看板である小泉進次郎議員が部会長に就いた自民党の厚生労働部会では、紙の資料の配布数を減らし、スクリーンに説明資料を映し出すなどの取り組みを始めている。
たかがペーパーレス化されどペーパーレス化
ところが、である。
29日の衆院本会議で高市早苗議院運営委員長(自民)が、ペーパーレス化の推進、法案審議の方法改善、本会議場への「押しボタン方式」の導入の3点からなる国会改革試案を提出したところ、野党が「勝手な提案だ」と反発し、開会が予定より45分遅れた。
高市氏は批判を受け、改革案の文書を撤回してしまった。
立憲民主党の辻元清美国対委員長は「各党と協議する前に(改革案を)全然違うところに示すのは、あってはならないこと」、国民民主党の原口一博国対委員長も「今後もこの問題を追及したい」と憤った。
とりあえず野党の怒りは、高市委員長が提案の手順を間違えたことに向いており、ペーパーレス化そのものに反対、というわけではなさそうだが、野党議員の中には「(会期末ぎりぎりで重要法案を廃案に追い込む上で)印刷時間を利用することは効果的な抵抗戦術」という意見もある。たかがペーパーレス化されどペーパーレス化。衆参の規則改正は与野党全会一致が慣例になっており、一筋縄ではいかないのだ。
それでも小泉進次郎議員は、「平成のうちに」の提言を高市委員長に提出した10月25日にこう語っている。
「(ペーパーレス化が実現したら)国会本会議場の景色、委員会の景色が一変しますから。やはり、景色が変わるっていうのは意識を変えますよ」
「さあなんでも聞いてくれ」と余裕綽々
25年前、記者として初めて海外出張したとき、テキサス州の本社で大手PCメーカー「デル」の創業者、マイケル・デル氏にインタビューした。
高層ビルの最上階にある彼の部屋で出迎えてくれたのが、彼一人だったことに驚いた。日本で社長の取材をするときには広報や社長室のスタッフが必ず同席する。広報担当役員が同席することもある。こちらが細かい数字などを尋ねると社長は「どうなってる」と振り向き、後ろに控えたスタッフが分厚い紙のフォルダーから数字を探すというのが当たり前の光景だった。
ところがマイケル・デル氏はたった一人。それでも「さあなんでも聞いてくれ」と余裕綽々だ。こちらも意地になって細かいデータを聞くのだが、手元のキーボードをカタカタっと叩いて、すぐに数字を出してくる。在庫や販売データはほぼリアルタイムの数字だった。彼はまさにITを駆使して会社の隅々にまで目配りしていた。そのビジネス・パーソンとしての戦闘力の高さに圧倒された。
リーダーは現場を知らない「神輿」になってしまう
ここに日本のリーダーと米欧のリーダーの決定的な差がある。日本の場合、細かいデータに気を配るリーダーは「器が小さい」と言われ、「良きに計らえ」と部下に任せるリーダーが「大物」だと言われがちだ。これに対して米欧ではトップに最大量のデータが集まる。それをスピーディーに咀嚼し瞬時に判断を下すことが、トップに立つ者の仕事である。
大きな組織で「良きに計らえ」を続けていると、重要な情報は事務方に貯まりリーダーは現場を知らない「神輿」になる。日本の政治家と官僚の関係がまさにこれであり、大企業の社長と現場も同じである。
だからこそ、意思決定する立場にある人々には、ITを使いこなして情報武装して欲しいのである。タブレット端末やパソコンやスマホが使いこなせれば、知らぬはトップばかりなりという、情報量の非対称を少しは改善できるはずだ。
「偉い人たち」こそタブレットやスマホを使いこなし、官僚や現場を慌てさせる。これもまた立派な「働き方改革」ではないだろうか。