震災で犠牲 デザイナー夢見た少女の絵のハンカチ 今も全国に

デザイナーになるという夢を持ちながら、東日本大震災の津波で犠牲になった少女が描いた絵がデザインされたハンカチがあります。ハンカチは少女の地元、福島県いわき市で9000枚以上販売されていて、デザイナーになりたいという少女の夢と震災の風化を防ぎたいとの父の願いが込められたハンカチは今も全国に広がっています。ハンカチにデザインされているのは、福島県いわき市で暮らしていた鈴木姫花さんが描いた地元のシンボルの塩屋埼灯台と、笑顔の子どもたちの絵です。

姫花さんは10歳だった8年前の東日本大震災で、灯台の近くの祖母の家に避難していた際、津波に流され犠牲になりました。

その後、姫花さんの夢はデザイナーだったと父の貴さんが語った新聞記事をきっかけに、京都のデザイナーが姫花さんの絵をハンカチにしようと提案しました。
貴さんは娘の夢を実現し、生きた証しを残して震災の風化を防ぎたいと、姫花さんが9歳のときに描いた灯台の絵を提供しました。

完成したハンカチは震災の翌年に灯台の近くの土産物店で販売が始まり、1枚800円でこれまでに9000枚以上が販売されました。
震災から8年となる今も全国からの観光客や修学旅行生が購入しているそうです。

収益は全額が災害や交通事故の遺児などに送られていて、父親の貴さんは「9000人の方がハンカチを手に取ってくださり、鈴木姫花という名前を呼んでくれたと思います。続けてきてよかったと思います」と話しています。

灯台の資料館でハンカチ展示

鈴木姫花さんが描いた福島県いわき市の塩屋埼灯台は、明治32年に建てられました。管理しているのは、福島海上保安部です。

高さは27メートル、太平洋を一望できる展望デッキは一般に公開され、多くの観光客が訪れます。

東日本大震災では灯台につながる道が崩れてしまい、平成26年2月までの3年間、閉鎖されました。

再開後は灯台の入り口そばにある資料館に姫花さんのハンカチが展示され、チケットを販売する女性が制作までのいきさつなどを来場者に説明しています。ハンカチは灯台の近くの土産物店や地元のイベントなどで販売されています。

姫花さんの父の貴さんは地元に足を運んで娘のことや津波の被害について知ってほしいと考えているため、インターネットなどでは販売されていません。

噴火で被災 長崎の高校生も思い共有

福島県いわき市の塩屋埼灯台には、全国から観光客や修学旅行生が訪れ、鈴木姫花さんのハンカチに込められた思いが今も広がっています。

長崎県島原市の島原中央高校は、平成3年の雲仙普賢岳の噴火で被災し、半年間、仮設校舎で授業を行いました。災害について学ぶため、東日本大震災の3年後からは修学旅行でいわき市を訪れ、生徒たちは姫花さんの父の貴さんから直接、話を聞いています。

姫花さんと同い年で島原中央高校を卒業したばかりの徳永ひなさんは、おととしの12月の修学旅行の際にハンカチを購入し、日頃使う机の引き出しに大切に保管しています。

“夢を実現するために努力しよう”との思いを強くしたそうで、貧困にあえぐ世界の子どもたちの力になりたいと、この春から福岡県久留米市の短大に進み、幼児教育を学びます。

徳永さんは「被災地の生の話を聞くのは初めてで、今まで漠然と考えていた将来について考えるきっかけになりました。ハンカチを見るたびに姫花ちゃんがそばにいるように感じ、自分も夢をかなえるために頑張ろうと思えます」と話しています。

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