ホワイト国除外で日韓関係は底が抜ける。文在寅は徴用工問題をここですり替えた! から続く
日本と韓国が“過去最悪”の関係に陥っている。その両国間に横たわっているのが、歴史認識問題だ。日本の貿易管理体制の見直しのきっかけになったとされる「徴用工」問題、愛知の芸術祭で改めてクローズアップされた「慰安婦」問題など、長年両国が抱え続けてきた難問だ。
日本は“厄介な”韓国にどのように向かい合っていけばよいのか。韓国政治や日韓関係が専門の同志社大学教授・浅羽祐樹氏に聞いた。( #1 より続く)
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8月15日に文大統領は何を述べるのか?
日本政府が8月2日、「ホワイト国」リストから韓国を除外する閣議決定をしたことで、日韓関係は一気に底が抜けたといって良いでしょう。
この緊張感の中、8月15日には韓国で「光復節」を迎えます。日本の植民地支配からの解放を祝うこの日、歴代の大統領は、日本の歴史認識について批判的に言及してきました。奇しくも、今年は「3・1運動によって建立された大韓民国臨時政府」100周年に当たります。今回、文大統領がどのようなメッセージを打ち出すのか、注目されています。
私は少し前から、韓国の「反日」、日本の「嫌韓」の性質が変化してきたと思っています。
これまでの「反日」は、日本の首相の靖国神社参拝や閣僚の「妄言」など、日本側の動きによって生じるところが多かった。それが最近は、韓国側の動きによって、「嫌韓」が一気に広がっています。2018年12月のレーダー照射問題、韓国の文喜相国会議長による「天皇は戦犯の息子」発言、そして、いわゆる「徴用工」(旧朝鮮半島出身労働者)問題など、韓国側の動きが元になって、「もう知らんわ、韓国」「韓国なんて付き合いたくない」という鬱積が日本で臨界点に達しているのです。
その背景の一つは、韓国の国力が急激に成長したことで、日本による植民地時代の過去を遅ればせながら「正す」力が付いたと自負していることにあります。
国力を高めた韓国は「ガラガラポン」したい
日韓が請求権協定を締結した1965年、韓国の国力は、GDPが北朝鮮を下回るほど小さかった。日本は、韓国と請求権協定を結ぶことで「経済協力金」や「独立祝賀金」の名目のもと無償で3億ドル(当時のレートで約1080億円)、有償で2億ドル(同720億円)、さらに民間借款でも3億ドルの資金を提供しました。この金額は、当時の韓国の国家予算の約2倍に相当します。
当時の朴正熙政権は、日本からの資金を一括して受け取り、その後どうするかはあくまでも韓国政府の判断に拠るものとされました。こうした「一括補償(lump sum settlement)」という方式は、和解の一般的な方法ですし、戦後国際秩序の根幹を成すサンフランシスコ講和条約とも整合性がとれています。ごく一部、元「徴用工」にも支給されましたが、その資金の大部分はインフラ整備やダム開発にあてられ、「漢江の奇跡」と呼ばれる急速な経済発展を遂げるきっかけとなりました。
このように、請求権協定を締結した1965年には、日韓のパワーバランスには明確な差がありました。しかし、いまや経済成長によって韓国の国力は飛躍的に高まりました。さらに、民主主義や人権など「普遍的な道義」という点では、韓国の方が先んじでいるとさえ自負しています。
韓国は、パワーバランスが変わったいまこそ、現行秩序に挑戦して「ガラガラポンしたい」と思っているのです。朝鮮戦争後、「外勢」に押し付けられた休戦協定体制から、「朝鮮半島における平和体制」を自ら創っていこうとしているのは、その際たる例です。
この「現行秩序=旧体制」を「ガラガラポンしたい」という思いは、韓国にとどまらないでしょう。
日本はいつまでも国連憲章において依然として「敵国」ですし、安全保障理事会の常任理事国にも入れない。中国は、広い太平洋を前に、いつまでこの狭い海岸線に押し込められているのかと不満です。アメリカが、安全保障でも経済でも「世界全体を支えるのは無理だ」と宣言しているのも、同じ流れの話です。
そういう潮流の中で日本は、総理のメッセージを出したり、慰安婦問題をめぐる諸対策を講じたりすることで、韓国の「情緒」にそれなりに応じて、関係が破れかけたところを繕ってきた。そうやって小さな変更に応じていかないと、むしろドラスティックに二国間の関係が崩れて、ある種の「革命」が起きてしまうかもしれないという判断があったのです。しかし、そうした外交的努力は通用せず、「正しい歴史」という御旗の下、韓国が「革命」を仕掛けてきたのが近年の動きです。
「正しい歴史」と「間違った歴史」
では、特異な「歴史」観を有する韓国に、日本はどのように向き合えばよいのでしょうか。
留意すべきは、韓国の「正しい歴史」「間違った歴史」という概念です。
日本では、「事実として起こったこと」が実証主義的な歴史だと認識します。好むと好まざるとにかかわらず、史料に基づき、過去を再構成します。
それが韓国では「道徳的に正しい事」「本来あるべきこと」が「正しい歴史」とされるのです。その一方で、「道徳的に劣っている事」「歩むべきではなかった道」は「間違った歴史」となります。
例えば、1910年に日本の植民地になったことは厳然たる事実ですが、「間違った歴史」とされる。一方、他国には全く承認されていない、1919年に上海で建立が宣言された大韓民国臨時政府こそが「正しい歴史」。日本の植民地支配に屈してしまったのも「間違った歴史」ですし、それを「正す」ことができなかった65年の国交正常化も「そもそも無効」というわけです。
文在寅は「革命家」であると言いましたが 、この部分に彼の特性が色濃く表れています。この価値観は進歩派の政権に多い傾向があります。特に文在寅政権は「正義に見合った国」を標榜し、「間違った歴史」は「正さなければならない」という姿勢で、国内政治だけでなく対外政策にも臨んでいます。
日本は何度も「おわびの談話」
歴史認識をめぐる日韓対立については、先述の通り、日本が全く何もしてこなかったわけではありません。
日本はこれまで何度も、総理大臣の名前でメッセージを送ってきました。1995年の村山富市政権時に出された村山談話に代表される、おわびの談話です。植民地支配に対しても、「三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」(2010年の菅直人首相談話)という認識が示されています。
しかし、談話を何度出しても、「本当のおわび」が繰り返し要求されてきたのが現実です。
慰安婦問題は象徴的です。この問題は、1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決」したはずでした。
「何を合意してもムダだ」という不信感
しかし、1990年代に入って当事者がカミングアウトすると、民主化後の韓国政府もそれに呼応したため、一気に外交問題になりました。日本政府は河野談話を発表し、アジア女性基金も設立することになります。同基金は、形式上は民間の基金とされ、「償い金」には募金が充てられましたが、その医療事業などの運営には国庫が相当投入されていて、事実上、セミ・オフィシャルな試みでした。慰安婦の方々へは、次のような文面のおわびの手紙が、歴代総理の名前で一人ひとりに渡されています。これが、「紛争下の女性の普遍的な人権問題」に対する日本政府の公式見解として何度も確認されたベースラインです。
〈いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関する諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。〉
そして、「3度目の正直」として臨んだのが、2015年12月の日韓合意でした。この際も安倍首相は改めて「心からおわびと反省の気持ちを表明」した上で、今度は国庫から100パーセント支出し、「和解・癒やし」に充当しています。その合意が、文政権によって一方的に反故にされたのです。
この経緯を考えると、私はさすがにこれ以上、日本がおわびすることは政治的にありえないと思います。約束が破られ、「韓国とは何を合意してもムダだ」という不信感が国民の間で広がっている中では、どの政権も動きようがありません。それに、「約束は守られる」という信頼が失われているのに、新たに外交協議をできるはずがありません。
韓国を敵にしてはいけない
外務省が毎年発行している外交青書では、2017年には韓国を「戦略的利益を共有する最も重要な隣国」と位置づけていましたが、2018年には「日韓間には困難な問題も存在するが、これらを適切にマネージしつつ、日韓関係を未来志向で前に進めていくことが重要」と実務的な課題だけを列記するようになり、2019年には韓国に関する言及がほとんどネガティブな表現になっています。確実に関係は遠ざかっています。
ここで考えるべきは、日本にとって韓国とはどんな存在なのか、さらには韓国だけでなく朝鮮半島にはどんな「利害=関心」「価値」がかかっているのか、ということです。この根本から再検討し、戦略を練り直す必要があります。以下の3つをどう位置づけるかが鍵でしょう。
1つ目は、隣国であるということ。島国であり、海洋勢力でもある日本にとって、半島に位置する韓国(や北朝鮮)は、大陸勢力との間で地政学的な重要性を帯びています。
2つ目は、過去といっても植民地期だけではなく、「歴史を通じて交流と協力を維持してきた」(1998年の日韓パートナーシップ宣言)という事実です。
3つ目は、ともにアメリカの同盟国で、北朝鮮という共通の脅威を抱えていることです。
しかし、1つ目の隣国という地理的な関係こそ変わりませんが、これまで見てきたように、2つ目の歴史の中で対立の側面だけがクローズアップされます。3つ目の安全保障の側面でも、レーダー照射事件のような出来事がありました。韓国は朝鮮半島における「新しい平和体制」の構築を模索する中で、旧体制に固執する日本が足を引っ張っているとも認識しています。2つの国の間には、過去そのものよりも将来のビジョンをめぐって大きな齟齬が生じています。
特異な両国の関係とはいえ、日本が韓国と向き合う必要があるのは言うまでもありません。ただ、これからは、全く新しい関係を模索していく必要があります。
もし二国間の関係を人間関係に例えるなら、これから韓国とは「ビジネスパートナー」として付き合うくらいがちょうどいいのではないでしょうか。
これまでは、いわば「友人」でした。経済や文化交流の側面でいえば「親友」だったかもしれません。その仲が悪くなったからといっても、「敵」にしてはいけません。
「敵/味方」の二分法から抜け出して、お互いに利益になるところは協力し合い、そうでなければクールに割り切る関係になればいい。ビジネスというのは、経済的な部分だけでなく、“粛々と事を一緒に為す”という意味でのビジネスです。
日韓はお互いに期待しすぎています。見た目も似ているから、きっと分かり合えるはずだと思ってしまう。韓国は「似て非なる外国」であることを肝に銘じるべきです。まず、「友人」であることを諦めることから、新たな日韓関係が築けるのではないでしょうか。
浅羽祐樹(あさば・ゆうき)
1976年大阪府生まれ。同志社大学グローバル地域文化学部教授。北韓大学院大学招聘教授。著書(共著)に『知りたくなる韓国』『戦後日韓関係史』など。ツイッターアカウントは @YukiAsaba