かつて崎陽軒は全国のスーパーマーケットでシウマイを展開していた。しかしある時期からそれをやめて、横浜エリアを中心とした販売に切り替えている。なぜローカルブランドを目指すことになったのか。三代目社長の野並直文氏の決断と実行を、ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。
※本稿は、野地秩嘉『あなたの心に火をつける超一流たちの「決断の瞬間」ストーリー』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。
■全国マーケットを捨ててまで守ったローカルブランドの価値
崎陽軒はシウマイ(シューマイ)とシウマイ弁当で知られる横浜の食品企業だ。年間の売り上げは245億円(2018年)で、従業員数は1962名(2018年3月)[ともに取材当時]。
ただ、ここにある数字よりも、崎陽軒の実力は商品力だろう。崎陽軒という文字を見ると、食べたことのある人は同社の独特の味のシウマイを思い浮かべる。豚肉と干帆立貝柱の入った、冷めてもおいしいシウマイを開発し、世の中に広げていったのは同社である。
崎陽軒の経営理念は次の三つだ。
一. 崎陽軒はナショナルブランドをめざしません。
真に優れた「ローカルブランド」をめざします。
二. 崎陽軒が作るものはシウマイや料理だけではありません。
常に挑戦し「名物名所」を創りつづけます。
三. 崎陽軒は皆さまのお腹だけを満たしません。
食をとおして「心」も満たすことをめざします。
ある時期まで崎陽軒は、全国のスーパーでもシウマイを売っていたことがある。しかし、「真に優れたローカルブランドになる」ために全国マーケットから撤退し、横浜を中心としたエリアに集中した。
少なくない金額を売り上げていた全国マーケットを捨ててまでローカルブランドの価値を守ったのである。
同社の社長、野並直文は大きな決断をした理由をこう語る。
「ローカルブランドに徹しようというきっかけは古い話になります。私が社長になる前でまだ専務をやっていた頃の話です。
社長をやっていた父親から『崎陽軒の今後の方向性として、シウマイを全国に売るナショナルブランドを目指すべきか、それとも横浜を中心とする地域にこだわって、ローカルブランドとしてやっていくのか。お前はどっちだと思うか?』
そう、問いかけられたんです」
野並は即答できなかった。そして、毎日、どちらの道へ行くべきかを考えたのである。
■ローカルから世界へ「崎陽軒もタンゴでいこう」
1985年のある日のこと、彼は「一村一品(いつそんいつぴん)」で知られた大分県知事の平松守彦(ひらまつもりひこ)に会う機会を得た。
「平松知事からは一村一品運動の基本理念の話を聞かせてもらいました。その骨子は『真にローカルなものがインターナショナルになりうる』でした。
いい例がアルゼンチンタンゴだっていうんです。タンゴは首都ブエノスアイレスの民族舞踊でしかなかった。しかし、真に優れた音楽性を持っていたから、世界中の人が楽しむ音楽になったんだ。
タンゴの話を聞いた後、よし、崎陽軒もタンゴでいこう、真に優れた商品であるならばローカルブランドからインターナショナルになることができる。そう決めました」
大きな決断はしたのだが、実行に移すには、かなりの時間がかかった。なぜなら、全国マーケットに出していた同社のシウマイの売り上げは10億円近くもあった。それをすぐに切り捨てることは容易ではなかったのである。
「やろうとは思うのだけれど、現実として10億の売り上げがなくなってしまうのはコワかったんです。なにしろ、スーパーの流通センターに商品を持っていけば、あとは先方が流してくれる。簡単な商売だった。販売員が一人一人接客して売る必要もないわけです。
営業マンたちは数字を追っかけたいから、スーパーへの卸をやめない。そういうわけで、全国的にうちのシウマイがばらまかれていったんです。だが、いつまでもその状態ではいかんと思った。
そんなある日のこと、私は学生時代の友人と御殿場に泊まりがけでゴルフに行きました。夕食の後、ホテルの部屋で飲もうじゃないかということになって、近所のスーパーへ買い出しに行った。
すると、売り場の隅の方にうちのシウマイがどんと山積みされていた。それではブランド価値も何もあったものではない。かわいそうな姿だった。
御殿場だけじゃない。家族と関西へ出かけたとき、あるデパートにトイレを借りに入ったんです。すると、ちょうどトイレの入り口にワゴンがあって、ワゴンにうちのシウマイが山と積まれていた。
『シウマイがかわいそうだ』
つまり、全国的にばらまくと、目が行き届かないんです。ブランドを育てていこうと思っても、うちの営業の人数では全部をウォッチすることはできない。
そのときにはっきりと決めました。目先の数字よりもブランドを大切にしよう。
ただ、すぐにやめます、売りませんとはいかない。全国のスーパーと話し合いを重ねながら、3年計画で撤退することになりました」
■シウマイから、結婚式場やイベントまで
そのころ、野並は社長になっていた。だから、全国から撤退する決断と実行にあからさまに反対する人間はいなかった。しかし、すぐに行動を起こしたかといえば、そうはならなかったのである。
自ら売り上げを捨てることを率先してやる社員はいなかった。そこで現場の社員を叱咤し、結果を報告させた。そこまでやらないと、人は動かない。
「全国からの撤退を命令するのは難しいですよ。売り上げを増やすためなら人は頑張るけれど、減らすことを頑張る社員はいません。口では、はい、撤退しますなんて言っても、様子見の状態でした。
結局、全国展開をやめたのは2010年頃でした。私が社長になったのが1991年だから、やめるぞと言ってから20年はかかったんです」
全国マーケットからの撤退が進んだのは野並が督励したからだけではない。彼が社長になったころはシウマイという単独商品に寄りかかっていたのだが、もうひとつの商品「シウマイ弁当」が伸びてきた。シウマイ弁当を拡販することが社員の士気を高めたのである。
弁当類は着実に売れるようになっていった。かつてはシウマイの売り上げが大部分だったのが、現在では、弁当類の売り上げが伸びて、シウマイと弁当類の売上比率は5対5となっている。
弁当類が大きな柱に成長したので、全国のマーケットから撤退しても売り上げの減少は一時的なもので済んだのだった。
また、1996年に崎陽軒本店がオープンした。本店を中心とした結婚式、イベントなどの売り上げも増えてきた。
崎陽軒は横浜、神奈川県のローカルブランドとしての地位を確立し、しかも、商品、サービスの幅が広がった。シウマイだけの会社から総合飲食サービス業に転換できたのである。
■「横浜の人は運動会があると必ずシウマイ弁当」
彼は「シウマイはやっと横浜のソウルフードになった」と語る。
「埼玉出身の女性が入社してきて、びっくりしたと驚いていたことがあります。
『社長、横浜の人は運動会があると必ずシウマイ弁当を頼んで食べるんですね』って。彼女は『埼玉では特定の弁当ばかり食べることはあり得ない』って。
確かに、シウマイとシウマイ弁当は横浜のソウルフードになっているんです。データを見るとわかりますよ。
総務省統計局が全国家計調査をやってますが、しゅうまいの消費量は毎年、横浜がダントツの一位。餃子は宇都宮と浜松が争っているけれど、しゅうまいは横浜。全国平均が一世帯で1000円弱なのに横浜は3000円近く(取材当時)。
また、餃子としゅうまいの消費量を比べてみると、全国どこでも餃子が多い。ただ、唯一の例外が横浜。横浜だけはしゅうまいが餃子を圧倒している。それだけ地元の人たちが好きなのがしゅうまいなんです。
さらに言えば、この統計のしゅうまい、うちのシウマイ弁当に入っているシウマイはカウントされていない。弁当というジャンルに入っている。ですから、数字以上に地元の人たちはしゅうまいを食べているんです」
ただ、今でこそ、同社はシウマイで知られるが、創業した当初は「何の特色もない駅弁屋」だった。
野並は「ええ、そうなんですよ」と言った。
「横浜は開港でできた新しい町です。それまでは貧しい漁村で、文化はなかったんです。その証拠に横浜にはお城がないでしょう。崎陽軒が創業した1908年は、開港して50年後。そのときは特色のない普通の駅弁屋で、まだシウマイは出してません。
何しろ横浜駅では弁当が売れなかった。横浜駅というのは東京駅に近すぎるから、みんな東京駅で弁当を買って、横浜を通過するときは車内で食べている最中でした。
なんとか売れるものはないかと考えて作ったのが、冷めてもおいしく食べられるシウマイだった。まだ弁当ではなく、名産品としてのシウマイでした」
だが、現在ではシウマイだけでなく、シウマイ弁当などの弁当類も同社の看板商品になっている。
■「当日キャンセルOK」というマーケティング施策
「弁当類が伸びてきたのはお客様の食生活の変化です。以前、夕食は自宅の台所で作りました。そして、シウマイはプラス一品でした。でも今の消費者は台所に立つことが少なくなり、シウマイだけを買っても、食事にならない。
ところが、シウマイ弁当ならば、そのまま一食になる。女性の社会進出もあり、疲れて帰ってきて台所で食事を毎晩、作るのは大変なんですよ」
そんなシウマイ弁当が売れるようになったのは社会の変化もさることながら、発売当初から行っていた、あるマーケティング施策が大きな要因となっている。
世の中には意外と知られていないけれど、同社はシウマイ弁当に関して特別のキャンセルポリシーを持っている。
野並は丁寧に説明してくれた。
「昔から、うちはシウマイ弁当に関して、当日の雨天キャンセルがOKなんです。朝、雨が降ったから運動会は中止。そのとき、幹事さんが当社に連絡してくれれば、キャンセル料を払わなくてもキャンセルできます。
当社では、シウマイ弁当を1954年に売り出してから、ずっとそうです。シウマイ弁当が売れる母数が大きいので、キャンセルされたシウマイ弁当を他の売店に回せば売れるんですよ。ただ、他の弁当はダメですよ。シウマイ弁当だけです」
同社の営業マンは「当日に雨が降ったら、うちはキャンセルできます」とトークをして、注文を取ってくるという。
そして、これは神奈川県を地元とする友人から聞いた話だが、「雨が降って、運動会が中止になっても、すでにシウマイ弁当を食べる気になっているから絶対にキャンセルはしない」とのこと。そういう人もいるわけだ。
シウマイ弁当が横浜や川崎など神奈川地区の運動会需要で独走しているのは、他の弁当メーカーが絶対に真似のできない「当日キャンセルOK」というマーケティング施策を取ってきたからだ。
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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)