真夜中のドライブ。煌々(こうこう)と辺りを照らす自動販売機の前に車を止め、缶コーヒーで一服する-。深夜営業のコンビニエンスストアが普及する前、幹線道路沿いの自動販売機コーナーはドライバーのオアシスだった。すこぶる美味というわけでもなかったのに、なぜだか無性に食べたくなる昭和の自販機グルメ。味わいを超えた魅力が今、若い世代の心をつかんでいる。
敷地内ずらり100台
バンズのパンがふやけ、表面には、しわ。お世辞にもあまりおいしそうに見えないハンバーガーが、実は売り切れ続出の人気商品だ。相模原市のタイヤ販売店「中古タイヤ市場」。店を運営する有限会社ラットサンライズ社長の斎藤辰洋さん(50)は「パティの肉も高級なものは使っていない。あえて昔ながらのチープな味わいにしている」と話す。
敷地内にずらりと並ぶ古めかしい自販機は、およそ100台。「タイヤ交換の待ち時間にお客さんに楽しんでもらえれば」と、インターネットのオークションサイトなどで10年ほど前から買い集めたものだという。いずれも半世紀近く前に製造された「骨董(こっとう)品」。それだけに買ってすぐに使えるものは少なく、斎藤さんが修復し、現役復帰させた。
ニキシー管の数字
「子供のころ近所にあってよく食べていたので、最も思い入れが強い」。斎藤さんがそう語るハンバーガーの自販機は、チーズバーガーやテリヤキバーガーもあり、いずれも280円。硬貨を投入すると「調理中」のランプがほの明るく灯(とも)り、内蔵の電子レンジで加熱される。
完成までの秒数を表示しているのは「ニキシー管」。ガラス管に放電して文字を光らせる放電管だ。「古い機械なので故障は当たり前」(斎藤さん)だが、交換する部品を取り寄せるだけでも大変だろう。
1分後。ゴトンと音を立て箱入りのバーガーが取り出し口へ。斎藤さんが食品会社に頼み込んで作ってもらったという「特注品」。ほおばると懐かしさがこみ上げてきた。シンプルを極めたハンバーガーだ。
昨年9月、この自販機のボタンが破壊された。防犯カメラには、カップルで訪れた若い男が、こぶしでボタンを強打する姿が映っていた。途方に暮れていた斎藤さんを助けたのは、名古屋市のプラスチック部品メーカー「エッチアイ技研」社長の原隆二さん(51)だった。
無償で修理を請け負うと、破壊を免れた別のボタンを斎藤さんか取り寄せてレーザーで採寸。「CAD」と呼ばれるコンピューターを使った設計ツールで図面を起こした。原さんと同社の技術者が約1カ月かけて製作。経年劣化の黄ばみまで忠実に再現した。
原さんは「まだ残っていたことに驚いた。あのハンバーガーは、おいしいというか、思い出の味だ」と振り返る。貴重な自販機はこうして2度目の復活を果たした。
沖縄から取り寄せ
かつて幹線道路沿いには「ドライブイン」と呼ばれた食堂があり、「グルメ自販機」を並べたコーナーもあった。自販機コーナーだけの「オートレストラン」という施設もあった。そこでひときわ異彩を放っていたのが、そば・うどんの自販機だ。
ボタンを押してから25秒ほど。プラスチックの容器にだし汁が注がれ、熱々のそば・うどんが出来上がる。機械のギミック(仕掛け)を想像するだけでも楽しい。麺類と具材は斎藤さんがスタッフとともに調理場で容器に1つずつ入れており、週末には1日に約500食売れることもある。
アルミ箔(はく)に包まれたトーストサンドは250度に熱しられたコテでプレスされ、パンにはほどよく焦げ目が付いている。出来立ては手に持てないほど熱い。それも昭和時代のままだ。
カレーライスの自販機にも隠れたこだわりが。レトルト食品の「ボンカレー」は袋のまま自販機で温められる商品が沖縄県限定で販売されていることから、沖縄県内の問屋からわざわざ取り寄せている。女優の松山容子さんがほほ笑む昔のパッケージもうれしい。
「昭和レトロ」の雰囲気が漂う〝聖地〟には全国から若者や家族連れが訪れる。商品の仕入れや自販機への補充作業が「本業」よりも忙しくなった斎藤さん。「若い人には、調理された食べ物が出てくる自販機が珍しいようだ」と目を細める。昭和世代にとって懐かしい自販機グルメ。あの得も言われぬ素朴な味わいが、若い世代にはむしろ新鮮なようだ。(大竹直樹)
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