花王の勝ちパターンはかつて、「お客様の声に基づいた商品作り」と「大量のテレビ広告」だった。
しかし、それだけでは商品が売れなくなっている。それはなぜか、いかに克服すればいいのか、第3回シナプスCMOセミナー※での花王株式会社デジタルマーケティングセンターの石井龍夫氏の講演からさぐってみる。
※ シナプスCMOセミナーとは?
経営とマーケティングのコンサルティングをコア事業とする株式会社シナプスが、卓越したマーケティング活動を実行している企業のCMO、マーケティングの責任者の方を招聘し2,3か月毎に行うセミナーで、今回(2017/9/21)が3回目の開催となる。
調査に基づく商品開発と大量のテレビ広告だけでは売れない時代
お客様のニーズを商品開発に生かす花王のものづくり
花王の基本は「いいモノを作る」ことである。そのために、研究開発・販売・物流・生産それぞれに強みがあるが、最大の特長は膨大な調査と顧客からの相談データの活用だ。
年間9000件に及ぶ調査のうちの1つが、ベンチマーク調査だ。首都圏の家庭を毎年継続的に訪問し、日用品の使い方や課題をヒアリングしている。
上図の調査結果を見ると、洗剤に求めることが「白く洗える」から「いやな臭いがとれる」へと変化していることがわかる。
その他、実際の暮らしを長期的に観察するエスノグラフィ調査やお客様から相談内容をデータベース化したものを社内のさまざまな部門で共有し、商品開発に活かしている。
大量のテレビ広告で消費者にリーチ
商品ができた後は、日本のトップ3に入るテレビ広告量で消費者にリーチする。これが、かつての花王の勝ちパターンだった。
しかし、実はそれが通用しなくなっているという。その背景にあるのは、次のようなことだ。
課題① 生活スタイルの変化とニーズの多様化
たとえば、洗濯洗剤の場合、1980年代には「子どものくつ下の泥汚れが落ちる洗剤が欲しい」というのが、日本家庭の一般的なニーズだった。このため、それを満たす商品を開発し、マスマーケティングをすれば結果が出た。
しかし今は、学校から帰った子どもが外に遊びに行くことは少ない。このため、「子どものくつ下の泥汚れが落ちる」よりも、
- 室内干しをするのでイヤな臭いがこもらない洗剤が欲しい
- 夫にはいつもさわやかな香りのワイシャツを着せたい
- 洗剤は環境に悪いので、排水はなるべく少なくしたい
など多様なニーズが生まれている。つまり、「すべての家庭に同じ商品・同じ広告を届ければ商品が売れる」時代ではなくなっているということだ。
課題② “マス”ターゲットの消滅と“スモールマス”の登場
テレビ広告の効果は、2010年から15年の5年間で見ると、リーチの面でもコストの面でも下がっている。
また、モバイルの普及でデジタルメディアに接触する時間が増え、エンターテインメントもパーソナライズされている。1つのテレビ番組にCMを流せばすべての人に伝わる時代ではなくなった。
かつて日本中の人が同じ物を見て、同じ方向に進もうとしていたが、それはすでに消滅していると石井氏は言う。
代わって登場したのが“スモールマス”だ。
たとえば、花王は東京ディズニーリゾートの公式パートナーで、ハンドウォッシングエリアを設置している。ボタンを押すとミッキーマウス型の泡が出るというもので、アトラクションでもないのにお客さんが何十人も並んだ。
そして、ミッキーマウス型の泡を出した人の多くが、TwitterやInstagramなどのSNSに写真を投稿している。自分たちのことを知っているコミュニティで、その感動を共有するためだ。
このように、デジタルでつながった消費者の小さなマスは、世の中に存在している。彼らにメッセージを届けるためのには、テレビ広告では難しく、デジタルでのコミュニケーションが必要となる。
デジタル推進の体制を整え、スモールマスとコミュニケーションする
デジタルで消費者とコミュニケーションするために必要なことは、それを「推進するための体制を作ること」と「スモールマスに合ったコミュニケーションをすること」だ。
①デジタルでのコミュニケーションを進める体制
デジタルでコミュニケーションするには、大量のデジタルデータ集めて、それを分析し、商品開発や施策に反映させる組織が必要だ。
そのための組織が「花王デジタルマーケティングセンター」だ。
社内コンサルティングファーム的な組織で、データサイエンス室、コミュニケーション企画室、コミュニケーション技術室、デジタルトレード室の4室に分かれている。データサイエンス室がキーとなるデータ解析を行い、そのデータをデータサイエンティストとブランド担当者が一緒に見るといった体制が花王では整っている。
②コミュニケーションのパーソナライズ
次にスモールマスに合ったコミュニケーションをするには、「モバイルを前提とした広告」と「相手に応じたコンテンツ」を考える必要がある。
たとえば、「リセッシュ」では、次のような施策を行っている。
- 「ほとんどテレビを見ていない人」に向けて、テレビと同じ動画をスマートフォンで届ける(ターゲットリーチや認知の補完)
- 「テレビをたくさん見ていて、デジタルにも接するという人」には、機能をおもしろく伝える動画を届ける(深いメッセージの伝達や商品理解)
- 「デジタルに多く接していて、商品についてはわかっているという人」には、夫婦関係の修復に役立ったというドキュメンタリー風動画を届ける(ブランドへの共感やエンゲージメント)
自分事化されない情報は伝わらないし話題にされないため、コミュニケーションのタイミングや内容が重要になる。顧客体験を最適化するには顧客のデータが必要だが、今は多くの人がスマホを使ってデジタルメディアに接触し、そのデータは入手できる。デジタルのデータを活用することで、顧客理解とパーソナライズが可能な時代ということだ。
デジタル活用で新しい顧客を発見できる
データによる顧客理解で実現できるのは、商品開発やコミュニケーションのパーソナライズだけではない。新しい顧客を発見できることもある。
たとえば、ヘアカラー商品「リーゼ プリティア」では、その商品は自分たちには関係ないと思っていた人たちに購買行動を起こさせることに成功した。
リーゼ プリティアの「髪色ほんのり泡カラー」は、黒髪が少し明るくなるといったヘアカラーで、初心者向けの商品で、ターゲットユーザーは、16~22才の学生である。しかし、ターゲットユーザーのイメージに現実味がなかったため、ブランド担当者は「髪染めたい」という言葉が入っているTwitterのつぶやきを約一年間集めて、全件データ解析を行った。
その結果、「高校卒業したから」「夏休みにバイトするから」といった予想通りの内容がある一方で漫画、アニメ、声優といった趣味を持っているユーザーも多数いることがわかった。
マスではなく特定の趣味や興味を持った、ユーザーグループにリーチするには、
- ターゲットに合わせたクリエイティブ
- ターゲットがフォローしているアカウントのタイムラインに流す
といったことが有効だ。そこで、コアターゲット向けのTwitter広告(下図左)に加えて、漫画、アニメ、声優といった趣味を持っているユーザーに対して、次のようなコンテンツを用意した。
- ゆるいアニメを使ったコンテンツ(下図中央)
- イベントなどで今の自分より少しでもかわいく見せたい女心をくすぐる、ちょっぴり女子力アップ計画(下図右)
その結果、月間訪問者数が4~5万人だったこの商品のウェブサイトに、20万人以上の訪問があった。売上も、翌月から約一年間、シェアが2%上がった。
データできちんと相手を理解し、適切な場で適切にコミュニケーションした結果、売上に貢献したという例だ。
ただし、コミュニケーションのチャネルはデジタルには限らない。
データを解析した結果、最適なチャネルは電車の広告ということもあるだろう。デジタルマーケティングとはデジタル広告を利用することだと思われがちだが、マーケティングを最適化するためにデジタルデータを使うことこそデジタルの役割なのだ。
デジタルはCV向上のツールにあらず
それぞれのターゲットに最適化したコミュニケーションを用意しても、最終的に行き着く先が同じ商品の同じページでは意味がない。
たとえば、花王のシャンプー「PYUAN」では、3種類のコミュニケーションを作り、それに合わせて商品のパッケージも3種類作ったところ、シェアが2倍になった。
ただし、デジタルベースでマーケティングを行うと、消費者にとっては不愉快なこともある。一度見た商品の広告がどこまでも追い掛けてくるとか、買った商品の広告が表示されるなどだ。
購入済みの商品の広告を出すのは、広告費の無駄でもある。重要なのは、広告を見た人が感謝するような、顧客にとって価値のある顧客体験を作ることだ。
デジタルマーケティングといえばリーチ拡大に使うと考えられがちだが、新しいスモールマスを見つけ、カスタマージャーニーを知って商品価値を体験してもらうストーリーを作ることが重要だ。
そうでなければ、情報の洪水の中で生活する消費者にメッセージは届かない。デジタルは、それを可能にするひとつの大きなツールである。
◎写真:柏木 恵子