「どうしました? 課長聞こえますか?」web会議についていけない“おじさん上司”の残念さ

新型コロナウイルスの猛威が止まらない。同じ場所に長時間密集して会話するなどの濃厚接触をし、そのうちの一人でも感染していると、そこがクラスター(集団)となって広範囲にウイルスが広がる原因になるという。

 全国の小中学校、高校が休校に追い込まれたのはこうしたクラスターが形成されないことを狙った措置であろうが、実は学校以上に危険なのが会社である。大企業では満員電車での感染を防ごうと時差出勤に切り替える、毎朝の検温を義務付けるなどの対策を講じるだけでなく、全社で一斉にテレワークを始めるところまで出始めている。


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各企業で行われ始めたweb会議

 テレワークはもともと東京五輪が開催するのにあわせて、各社が五輪開催期間中の都内の混雑を避ける意味で準備を進めてきたものだが、図らずも本番を迎える前に実践を求められる事態になったといえよう。

 そこでクローズアップされたのが、今まで毎日のように繰り返し行われてきた会議である。企業、特に大企業の多くが「会議漬け」である。とりわけ役職が上がってくるのにつれ、ほぼ毎日がいろいろな会議で埋め尽くされる。

 ところが今回は、自宅待機で出社に及ばずとのことだ。次々と社員から送られてくるメールに目を通すだけでは、そこに添付されている膨大な分量の資料に目を通しても内容の詳細がわからない。当然、資料を作成した社員たちからいろいろ説明を受けなければならないことになる。そこで登場するのがweb会議である。

 私の知り合いの業者は大企業との会議が多い職種。コロナ発生後は自らの会社も基本的に出社に及ばずということになったが、顧客である大企業さまとの打ち合わせは継続して行う必要があるという。ある日、大切な大企業の顧客とZoomと呼ばれるシステムでweb会議を開催することになったという。先方も出社禁止のため、全員が自宅待機だという。

「いつまでたっても会議が始まらないじゃないか」

 先方の参加者は部長を含めて8名。朝10時の開催。予定の所要時間は1時間だ。9時55分、それぞれ登録されているアドレスにアクセスし会議を始めようと思ったのだが、先方8名中アクセスできたのは6名。肝心の課長と部長の応答がない。

「おはようございます。どうしました? 課長聞こえますか?」

 パソコン画面上では参加予定の若手社員の顔はすべて出そろっている。だが、課長と部長に問いかけても画面はだんまりだ。

「すみません。おかしいな、部長、聞こえますかあ?」

 若手社員の困った声が響く。

 開始時間を10分すぎてもアクセスできていないため、若手社員が課長にスマホで連絡。操作方法を逐一レクチャーしている。そのうちに部長から社員のスマホに連絡が入る。

「おい、いつまでたっても会議が始まらないじゃないか」。部長はかなりご立腹の様子。社員が一生懸命操作方法を話す。

 結局、会議がスタートできたのは予定時刻を大幅に遅れた20分後であったという。

生き生きとした若手社員、会議に入れない上司

 web会議では担当社員がエクセルやパワーポイントなどの資料を画面に表示しながら説明を行う。ポンポン切りかわる画面。説明する社員の顔も映し出される。

 さて質疑応答だ。いつになく若手社員から質問が出る。画面は発言した社員に切り替わる。若手社員はチャットをやりながら育ってきたので、そもそもこうしたシステムの扱いには慣れている。次第に会議はチャット感覚に短く切られた会話の応酬となる。

 webでない通常の会議であれば課長が中心に質問を浴びせ、若手社員は課長や部長の顔色をうかがいながら黙って俯いているのが常なのに、いつもと様子が違う。

 上司たちが会議に入ってこられないのだ。web会議では会議室という「場」が醸し出す雰囲気が感じられない。つまりそこに存在してさえいれば「権威」となり、どこかしら「オーラ」を出していることになる課長や部長という「存在」を、暗黙の裡に見せる機会がないのだ。

雑然としたダイニング、髪もぼさぼさ……

 雰囲気を察知した私の知人はあわてて「あの、部長はいかがでしょうか」とマイク(webにはマイクは存在しないが)を向ける。

「ああそうか。いやみんなごくろうさん」

 やっと発言の機会を得た部長の姿が画面上に大写しになる。

 自宅なのでいつものパリッとしたスーツ姿ではなく、どこからみてもユニクロの室内着。髪もぼさぼさ。ちなみに背景には雑然としたダイニングと食器棚が映る。いつもの部長の権威は微塵も感じることができない。

 そこからは妙なことが起こった。部長は延々としゃべりだしたのだ。しかもその内容は正直プロジェクトの内容に沿ったものからは外れて、次第に経験談ばかりとなり、しかも今回挑戦しようとしている新規事業に関する知識をほとんど持ち合わせていないことまで露見してしまったのだ。

 会議終了予定時刻はとっくにオーバーしているので彼はあわてて部長の言葉を遮り、会議は終了となったという。

実は「何にも知らない」ことがバレている

 さてこのことは何を物語っているのだろうか。日本の会社は会議が多いと言われる。だがその会議の多くは、社員たちが課長や部長といった上司の意向に沿った形で説明を行い、彼らから受けるいくつかの質問に無難に答え、終了させるといういわば儀式のようなものが中心だ。

 ところが、web会議では、画面上でこそ全員が参加しているものの、上司の顔が常に映っているわけでもなく、寝転んでいようが、途中鼻くそをほじっていようが構わない。そして何よりも出てくる部長の服装がユニクロで、バックで飼い犬がわんわん吠える声が漏れていたのでは権威もなにもあったものじゃない。

 画面に映るどこか疲れた顔と意外にみすぼらしいダイニング。部長は自らの書斎さえもっていないのが日本のサラリーマンの実態なのだ。

 だから自由に発言できる。こうしたゲーム感覚で若手が会議に参加してくると、おのずと本音トークもしやすくなるというものだ。逆に環境に慣れていない上司たちは、これまではただ座って頷いていればよかった役割から「何か言ってください」とマイクを向けられることで、何かしら気の利いた発言をしなければならなくなる。その結果思わぬ「ボロ」が出てしまうことになる。

 これは社員たちからみれば、自分たちの上司である課長や部長が意外に「何にも知らない」という事実を垣間見てしまうことにつながるのだ。

日本企業にもたらされた思わぬ“副産物”

 大企業の上役たちの多くが毎朝、会社の門をくぐった瞬間にその日の90%の仕事を終えてしまっているというのが日本の企業社会の実態だ。

 だがこれから始まるテレワーク社会の進展は、これまでの日本企業の会議の在り方をもっと生産性の高いものに変え、意思決定の仕方にも大きな変革を促していくのではないだろうか。その結果として人事評価体系は変わり、会社という組織に対する順応性だけで評価してきたものが、職能で評価する時代に変わっていく可能性が見えてくる。

 コロナ禍は早くに収束させなければならないが、実は裏側で日本の企業社会に思わぬ副産物をもたらしてくれているのだ。

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