2008年に「エロ詩吟」でブレイクしたお笑いコンビ天津の木村卓寛(46)。その後、10年から徐々に仕事が減り、お茶の間から姿を消していった。大型自動車第二種免許を取得し、16年からロケバスの運転手もして、家族を支えた男が21年4月から岩手朝日テレビの「Go! Go! いわて」のMCをきっかけに再ブレイク。人生を変えた出来事や移住した岩手への思いについて話を聞いた。(取材構成=山崎 賢人)
20年12月、お笑いもやりながらロケバスのドライバーをしていた時に、偶然居合わせたタレントのヒロミとの出会いが大きな転機となった。
「ほとんどしゃべったことはなかったんです。たまたまご飯に行ったときに居てはって『俺の専属ドライバーやってみろよ。どうせ食えねえんだろう』みたいな話になって。流れで、じゃあお願いしますと。人生がガラッて変わるような出来事で、ドライバーをやるのも誘われたその日に決めたんですよ」
専属ドライバーをしている時に岩手朝日テレビ「Go! Go! いわて」からMCの話があった。
「(兵庫出身で)元々は岩手に何のご縁もなかった。仕事で1〜2回来たことがあるぐらいでした。ヒロミさんに相談したら『それはお前、すごいことなんだぞ』っていう話をしてくださって。『相手の覚悟みたいなのをちゃんと感じてるか? お前の覚悟もちゃんと見せないといけないんだぞ。お前が週1回行っても、誰もお前のことなんて好きになってくれないぞ。岩手のスターになってこい。ドライバーなんかやってる場合じゃないだろう』と言われました」
ヒロミの言葉で覚悟が決まり、21年3月から約6か月の単身赴任。9月からは妻と小学生の長女、次女も東京から引っ越してきた。
「10年後、自分が何をやってるか何も思い描けていなかったから、このままじゃあかんなという思いと相まって『岩手に住みます』と即決でした。10年後、岩手のスターになっていたい、それが恩返しかなとバチっと決まった」
岩手には当初、田舎で寒いイメージしかなかった。食べ物のおいしさ、人々の温かさに感動する日々を送っている。テレビでは県内全33市町村を回るコーナーもあり、さらなる魅力を感じている。
「大阪って大阪人ひとくくりな感じがあるけど、岩手は県北、県南や沿岸部、内陸の人でみんな違う。それぞれ面白いし、各地方に特産物名産物もあるし飽きないですね。全市町村を回ったら2周目に入ろうと思っていて。もしかしたら80歳の僕が『今、14周目』とか言ってるかもしれないですけど(笑い)」
テレビ以外にも「いわて暮らしアンバサダー」や「いわて牛応援団長」など県内での仕事も増えて充実感も増している。
「適当なことはできへんな、と。車に乗ってても鼻くそほじられへんなって。誰がどこで見てるかわからんし、すごい品行方正に生きてる感じです。ええ加減な人間やから、見られてると思ったほうがちょうどいい。JA全農いわてさんの『銀河のしずく』っていうお米のPR動画にも起用されまして、YouTubeでそのチャンネルの過去最多視聴者数を更新する約30万回再生ですよ。人前に出たくてこの仕事をやってるから、それが今、実ってうれしい限りです」
様々な場所に足を運び、観光コースも組めるようになった。新型コロナウイルスが収束したら多くの人が岩手に来てほしいと話す。
「例えば2泊3日あったら中尊寺金色堂は絶対入れて、ホテルはここがいいんじゃないとか言えるようになった。何を相手が求めるかですけど、個人的には小岩井農場ですかね。車で走るのがすごく気持ちいいんですよ。酪農のきれいに整備された畑があって、春は桜並木を通って岩手山も見えるので。そこはぜひ行ってほしい」
移住して約1年が経過した。今後の生活について思いを明かす。
「永住するとは決めないようにしています。例えばニューヨークでMCの番組が4個決まりましたとか、トップガンの続きを木村くんでやりたいと言われたら、たぶん行くと思うんですよね。めっちゃ体鍛えて(笑い)。だから言い切れないけど、なんとなく永住するとは思います。岩手に来て仕事できるのも全部他の人から頂いたチャンスで、県民の人にもすごく良くしてもらっている。もらうものが多すぎて返せてないから恩返しを中心において、ヒロミさんに言ってもらった『岩手のスターになってこい』という言葉をかなえたいです」
最後に岩手愛を詩吟にしてもらった。
「吟じます! 体に〜『岩手』っていう〜タトゥー彫ろうかな〜」
あるんですか?
「あると思います」
〇…6月22日に岩手県営球場で行われる楽天対日本ハム戦では試合前にトークショーを開催予定。木村は「楽天に銀次さん(岩手県出身)がおられるじゃないですか。僕のこと知ってくれてる分からないですけど、銀次選手の前で1回吟じますって言ってみたい。怒ったらどうしようかな(笑い)」。
◆木村 卓寛(きむら・たくひろ)1976年5月22日、兵庫県生まれ、46歳。吉本興業所属。9歳から詩吟を始め30歳で詩吟師範代の資格を取得。99年にNSC大阪で知り合った向清太朗と漫才コンビ「天津」を結成した。08年に伝統芸の詩吟と下ネタを融合させた「エロ詩吟」でブレイク。16年からロケバスのアルバイトを始め、同年4月に大型自動車第二種免許を取得した。スポーツ全般に興味があり、主に野球好き。スポーツ報知は約20年定期購読している。