コロナ禍を機に、都心のオフィスビルから企業の撤退・縮小が相次いでいる。収束後に需要はV字回復するという見方もある一方で、オフィスビルの空室率が一気に跳ね上がる可能性があると指摘するのが、 不動産コンサルタントのオラガ総研(東京都千代田区)社長で「不動産激変」の著書もある牧野知弘氏だ。一体どういうことなのか。わずか「1割の変化」が重大な影響を及ぼすという今後のオフィス需要の見通しや、激変する2030年の都心の姿を占ってもらった。 © 全国新聞ネット オフィスビルが立ち並ぶ東京都心
▽1・4%の低水準から一変
オフィスビルを賃借しているテナントの面積縮小、解約の動きが止まらない。オフィス移転の仲介などを手がける三鬼商事(東京都中央区)の発表によると、東京都心5区(千代田、中央、港、新宿、渋谷)のオフィスビルの空室率は、2021年2月時点で5・24%、貸手と借手のどちらが優位に立てるかの分水嶺といわれる5%の壁を突破してしまった。
オフィスビルマーケットは、アベノミクスの恩恵を受けた大企業を中心とした業績の伸びを背景に15年以降くらいから目に見えて空室率が下がり続け、20年2月時点で1・49%という空前絶後の低水準になっていた。
ところが、コロナ禍による緊急事態宣言を受けて、多くの企業で在宅勤務を前提としたテレワークが行われるようになると、まずはIT系企業を中心にオフィスの面積を縮小したり、解約してもっと小さな面積のビルに移転したりする動きが顕著となった。
その結果、空室率はこの1年間で3・75%も悪化してしまった。これは面積としては、29万坪(三鬼商事のデータベースは0・1ポイントで約7800坪)に相当する。例えて言えば、55階建ての超高層ビル、新宿三井ビル約11棟分に相当する面積がわずか1年の間に空室になったことになる。
▽悪夢のストーリー
空室率が上昇を始めた当初は、今後のオフィスビルマーケットについて大型ビルのオーナーである大手デベロッパー首脳から危機感を持った発言は聞かれなかった。というのは、面積縮小や解約が相次いでいるのは、IT系の中小企業が中心だったからだ。賃借面積も小さく「マーケットに影響を及ぼすものではない」という理屈だった。
コロナ禍が過ぎ去れば、多くの企業が社員をオフィスに戻すため、あくまでも現在の動きは一過性に過ぎず、コロナ後の経済のV字回復でオフィス需要は再び活発になるというせりふが聞こえる。
だが、どうやらこうした楽観論では今後のマーケットを語ることが難しくなっている。大手ビルオーナーにとっての嫌な記憶は、08年に起こったリーマンショックだ。07年の11月くらいまで都心5区の空室率は2・49%と堅調だった。ところが、リーマンショックが顕在化する年明けから上昇をはじめ、08年11月には4・56%となる。1年間の上昇幅は2・07%。現在の年間3・75%の上昇よりもむしろ穏やかだ。ところが、その後空室率の上昇には歯止めがかからず、10年11月には9・04%に跳ね上がる。こうした悪夢のストーリーは思い描きたくはないのだろうが、実際今後のマーケットはどうなっていくのだろうか。
現状は、年が明けたころから、大型ビルでの大型テナントの解約が目立ち始めている。リーマンショック時とは異なり、現在の大型テナントの多くは定期賃貸借契約という3年から5年間といった比較的長期の契約を結んでいる。このため期限がくるまで解約できない。テナント側からみれば今は解約したくとも、期限が来るまでは交渉すらできない。それでも、時が進むにつれて期限を迎えるテナントから順に、面積縮小や解約がだらだらと続いているのが現状だといえる。
実際に筆者の会社がつきあっている大手企業の中には、契約満了時点で面積の縮小や拠点の集約による解約を考えている企業は多い。ただ、そのことをご親切にも現時点でビルオーナーに告知する会社は少数だ。今後テレワークを続ける部署や社員数を見極めたり、景気の動向を注視したりして、今後のオフィス計画を考えるのが一般的で、何も1年や2年後のことを今決める必要もないのである。
現在、期限を迎える大型テナントから解約や面積縮小の動きが顕在化し始めている。報道によると、富士通が22年度末までにオフィスを半減させると発表、国内のグループ従業員8万人はテレワークを基本とし、オフィスの座席は全席フリーアドレスにするとしている。また日立製作所グループの日立オートモティブシステムズは大手町のオフィス4500平方メートルを昨年9月に半減させるなど具体的な動きも顕在化している。 © 全国新聞ネット テレワークが定着し、人がまばらになったオフィス
▽甚大な影響及ぼす「1割の変化」
では、コロナ収束後に景気のV字回復が起こるので、再びオフィス需要が高まるという見方についてはどうだろうか。
これまでオフィス需要は、景気動向に大きく左右されてきた。実態として景気動向に半年程度遅れて変動するとされる。景気回復さえすれば、企業が戦略を見直して人員補強を実施するため、半年程度で、オフィス需要の回復が顕在化すると言われている。
だが、今回については、テレワークの定着具合が大きく関わってくる。テレワークは当初、コロナ禍で出社できない社員のための臨時的な働き方として実施されてきた。だが、実際には部門や職種によって、テレワークの方がむしろ生産性が上がることも確認された。今後、在宅をはじめ、自宅近くでオフィス環境を共有できるコワーキング施設で働き、都心の本社に通ってこないワーカーの数は一定数出てきそうだ。
たしかに、昨春の緊急事態宣言時にはガラガラだった電車に通勤客は戻り始めている。それでも、完全に戻ったわけでもない。シフトで週2回しか通勤しない社員もいる。通勤定期をやめて実額精算に切り替える会社も出始めた。会社役員でも軽井沢の別荘で仕事を続けている人はごく普通にいる。
戻っているように見えて、現実はそうでもないのだ。変化とはちょっとした小さなところから始まる。シンクタンクの日本総研が20年5月に、都内の従業者の1割がテレワークを実施する状態になれば、都心部のオフィス空室率は15%に跳ね上がると発表した。当時は荒唐無稽な予測だと一部から批判はあった。が、都心のオフィスワーカーが1割減れば、その分のオフィス面積を減らそうと考えるのは自然な流れだ。
実際に通勤電車は、やはり少なくとも1割程度減っているようだ。たかが1割と思うかもしれない。が、日本総研が予測するように、「1割が行動を変える」ということは、オフィスマーケットには甚大な影響を及ぼすことになる。
都心の賃料が高いオフィスを縮小し、浮いた分の賃料を社員の福利厚生に振り替えて社員の満足度が上がるのであれば、今までの都心一辺倒の価値観は大きく変わるかもしれない。 © 全国新聞ネット 劇場などが立ち並ぶニューヨークのブロードウエイ
▽「無味乾燥」な東京、訪れる変化
では、これからの東京都心部はオフィスが空室だらけになり廃れてしまうのだろうか。そんなことはない。実は世界中の大都市の中で東京は北京と並んで建物のほとんどがオフィスで構成されている「無味乾燥」な都市だ。ニューヨークやロンドンには劇場、映画館、コンサートホール、美術館、博物館などが林立し、仕事終わりの「アフター5」にこれらの施設を気ままに利用するカップルや家族連れが多い。
東京はこれまでは長時間オフィスに縛られて、残業後に会社の同僚と居酒屋で一杯といった「アフター5像」が主流だった。これでは文化や芸術はなかなか育たない。だが、コロナ禍は人々のライフスタイルの変化を大きく加速させそうだ。
2030年ごろの東京を想像してみよう。働く場所や時間が自由化され、家族同士、友人、カップルで都心にやってくる。そして、エンターテインメントを楽しみ、くつろぎ、レストランで食事する―。これまでとは異なるライフスタイルを形成するようになるだろう。そうなれば、人々が一日の多くの時間を暮らす街は、コミュニティとして成熟するし、東京都心は趣味趣向をさらに昇華させる都市としておおいなる発展を遂げるだろう。オフィスの空室率で一喜一憂するのではなく、本当の都市の楽しみ方を模索する令和時代は、意外と快適な毎日が待っているのかもしれない。